第59話 終幕~アルカナを継ぐ者1
お待たせしました!アルカナ本編の続きをどうぞ!
迸る紫電と轟く雷鳴。
閉鎖された霧の迷宮を照らす蒼い光の嵐が世界を埋め尽くした。
落雷に似た轟音が、居合わせた誰の耳をもつんざいていく。
強烈な魔力が空間を満たしていく様を感じたまま、沙樹達は身動きすらできなかった。
「※#・◇☆∵……!」
声にならない誰かの悲鳴があがる。その悲鳴も風鳴りに掻き消され、全てが蒼い燐光の爆発に呑まれていく。
視界を焼く強烈な光と聴力を奪う轟音。
ルンの咆哮が放たれた先には、形有るものは何一つ残らなかった。
沙樹達の姿さえ、閃光に巻き込まれて見えない。
ルンの咆哮が通過した空間に亀裂が走る。それが、“四面廻廊”の結界が力づくで破壊された瞬間だった。
視界を焼く閃光が霧の迷宮を覆い尽くす。次第に形を失っていく世界に、沙樹は自らの意識も蒼い光に塗り潰されていくような錯覚を覚えた。
途切れそうな意識の片隅で、吼える竜王の姿が見えた気がしたが、その偉容は魔力の海の消失とともに見えなくなっていた。
そして、その場に静寂が訪れていた。
魔力波動の静かな余韻が、霧の迷宮に閉ざされていた者達の影をゆっくりと洗い出す。
そうして魔力の波動が途切れ、澄んだ空気が冷たく肌を刺した。
五体の感覚が、意識の覚醒を促す。
身体中の苦痛に美しい顔が歪む。少女は、手放しかけた意識を必死に繋ぎ止めた。その彼女が最初に眼にしたのは忠実なる使い魔と、彼に守られたまま倒れ伏す友人達の姿だった。
霧は現れた時と同様に、いつの間にか何処かに去っていた。
見慣れた講堂の中に、沙樹達は倒れていた。
「主人よ、気がついたか?」
錯視の蛇の声と気配に、美しい少女が応える。
「……ウロボロス!? どうなったの?」
沙樹は身を起こすと頭を振った。風に乱された長い黒髪をすくいあげて後ろに流す。まだ意識も朦朧として、ぎこちなく身体を動かす少女に使い魔が告げた。
「奴は去った。主人との魔力回路が一時的に切れたためにな。魔術媒体は回収できている。亜流の魔女の結界は奴の咆哮によって粉砕されたため、期せずして脱出できた。そんなところだ」
使い魔の冷静な現状分析に、沙樹は理解を進めていく。自分達の置かれた状況を正確に理解できるより早く、彼女は倒れ伏す親友に気付いた。
「春香……?」
慌てて除き込む顔色は、沙樹が思うより赤味がさして吐息も乱れはない。
手に触れた箇所からは、温かな脈動が伝わってくる。確かな鼓動を刻む感触が、はっきりと親友の無事を知らせてくれた。
あれほど傷付いた身体には、傷痕など一つも無いようだ。流れ出た筈の血潮さえ、彼女の身体には一滴たりとも見当たらない。まるで、夢でも見たかのように記憶から洗い流されたようだった。
其の不思議な現象に、沙樹は使い魔を見た。
錯視の蛇が、じっと此方を見返している。
「心配無用だ。守護者の娘も無事に施術は終わった。身体に馴染むまで少し掛かるかも知れぬが、魔術師生命に問題はない」
「私の制服にも血の跡がついた筈なのに……。ウロボロス、本当に大丈夫? 春香だから、無茶して傷口が開いたりとかしない?」
「傷痕など無いのだ、主人よ。初めから怪我などなかったのだから」
心配する主人に使い魔は説明する。魔術の園の友人に起きた奇跡の御業に、使い魔が誇らしく胸を張っていた。
「問題はない。むしろ心配なのは少年のほうだが?」
事も無げに告げる蛇に、沙樹が慌てて光一を見た。その吐息も顔色も青ざめており、衰弱した様子が窺える。
魔力に耐性などない少年が、ルンの咆哮の余波を受ければどうなるか。嫌な予想しか思い付かない。
苦悶の表情を浮かべる少年に、沙樹は冷や汗が背中を伝う気がした。
「光一君!? どうして?」
「典型的な魔力酔いの症状だ」
淡々と答える使い魔の声も少女には届かない。自分の知らないところで光一の身に起きた不運に、沙樹の顔色からは血の気が引いていく。
「守護者の娘に対する魔力譲渡に際して、この者が協力してくれたのだ。赤の魔石には回復率上昇の効果がある。故に”導管“となってもらった」
尚も続く蛇の説明に、沙樹の瞳から涙がこぼれる。言葉にならない想いが、少女の中にあった。
自らが想いを寄せる少年が、危険に晒されている。それも自分のせいで、だ。
申し訳ないと思う気持ちと、少年の無事を祈る気持ち、後悔を誘うそれらがない交ぜになって心を乱す。違う選択肢を選んでいれば、との有り得ないIfが沙樹の心を更にかき混ぜてしまう。
光一の協力がなければ春香の回復はなかった。あの致命傷とも言える傷を治し、癒すことなど出来なかったことだろう。それもまた、事実の一つであった。
「光一君……」
使い魔の言葉を信じるなら、少年の生命に別状はない。心配の種は尽きないものの、現状では沙樹の置かれた状況に影響する事はない。そんな次々と浮かぶ打算的な思案の欠片に、少女自身が嫌悪感を示す。
手を伸ばし、光一の顔に触れたいというのに、沙樹は躊躇う。行き場の無い指が、宙を撫でる。思わず引っ込めた手は、膝の上に置かれた。
少年の顔を見つめる少女の顔には、複雑な色が見て取れる。それでも、沙樹は自分の気持ちに正直でいたいと思う。
そんな、ふとした安堵の気持ちが彼女に変化を与えていた。
知らず流れる熱いものに、沙樹は拭うことも忘れて見つめていた。
「また、助けてもらったんだ……」
込み上げる想いが少女の胸を焦がしていく。彼の献身は、いつの時も打算が無い。躊躇いがちにそっと手を触れた少年の顔からは、幾らか苦痛が和らいだように見えた。
「ウロボロス、何か方法はない? どうすれば……」
主人の声を待っていたかのように、錯視の蛇が応える。
「魔力酔いには自然回復しかないのだ、主人よ。無理に魔力を抜いても負担を掛けるだけになる」
「……そう、なんだ」
答えながら少女は頬を伝う涙を袖で拭き取る。
自分が泣いたところで事態は好転しない。それなら少年が目を覚ました時に笑顔で迎えるほうがいい。そう沙樹は結論付けた。
「わかったわ」
「賢明な判断だ、主人よ」
言葉も短く切り上げた錯視の蛇は、向き直るように身を捩った。その違和感からか、少女の視線が足元の魔法陣を認めた。
守護の陣が、敷かれている。
魔術戦でしか発現させなかった守護の陣を彼女の使い魔が敷いている。同心円状の魔力回路が複雑な術式を織り上げている。ルンの活躍によって“四面廻廊”から脱出し、危機は去ったというのにだ。
それは即ち、魔法陣が向かう先に警戒すべき対象がまだいることを示唆していた。対象がいると思われる方向は、ほぼ沙樹の真後ろ。緊張に喉が嚥下する。急に空気が張り付くような感覚に襲われ、彼女は背後を気にしていた。
恐る恐る振り返った沙樹の瞳に映ったものは、講堂内の風景。
ただ、その方向にあるものに気付いて沙樹は固まった。
「……ウロボロス!? あの人、生きてるの?」
少女の口がやっとのことで言葉を紡いだ。
「分からぬ。彼処にいること自体、異常だと言えるが……」
主従が目を向ける先には、まるで眠っているかの如く安らかな顔をして横たわる日野貴理子がいた。
たったいま横になったというように、その着衣に乱れはない。本当に眠っているのではと思える様子だった。
沙樹の困惑に輪を掛けるように、使い魔が所見を述べる。
「ルンの咆哮を受けて無事でいられる生物などいない。彼処にいる魔女は復活したか、全く別の何者かだ。いずれにせよ、これで魔女の不死性が明らかになる筈だ」
使い魔の説明に、沙樹は言葉を失っていた。その傍らでは使い魔が二つ口で魔術の高速詠唱を続けている。何らかの方法で魔女の秘密を暴こうとしているのだろう。
肌寒い空気に、沙樹は自分の両腕を抱えていた。
これから起こる事態は、自分の予想を超える。そんな漠然とした不安が沙樹の胸に飛来する。
(でも、もし魔女じゃなく日野さん本人だったら……)
そして、もうひとつの疑念も浮かぶ。
それは、日野貴理子が魔女の生け贄として利用されている想定だ。最悪、彼女の意思とは無関係に、日野貴理子は魔女の尖兵として行動する可能性がある。
沙樹の生命を狙って相討ちを選ぶ死兵となる。自分と同じ年齢の少女が、残酷な運命に翻弄される。沙樹でなくとも到底甘受できるものではなかった。
改めて見る貴理子の姿が、沙樹の瞳に映る。青く揺らめく輝きの中で、少女の姿は真実を映し取られていく。
沙樹の”青眼“に映った少女は、か弱い十代のそれだった。
「ウロボロス、助けるから手伝って」
「……主命とあらば。だが主人よ、彼処まで陣を伸ばすには回復が足りぬ。主人に負担を掛ける方法はやむを得ない場合に留めたい」
主人の身を案じる使い魔が沙樹の瞳を正面から見返す。純粋に主人の安全を危惧する従魔の姿が其処にあった。
「大丈夫よ。何となくだけど、あれは日野さん本人だと解るの」
「主人よ、油断は禁物だ。あの魔女の不死性は未だ解明されていないのだ」
「うん、分かってる」
頷く少女を見送る使い魔に微笑んで、沙樹は日野貴理子へと駆け寄った。
倒れた貴理子は静かな寝息をたてているように見える。今しがた此処で横になったというように着衣に乱れはなく、綺麗な髪と汚れ一つない肌だ。
外傷など見当たらないが、それだけでは異常の有無は分からないのも事実だ。沙樹は貴理子に声を掛けた。
「日野さん、日野さん! 大丈夫?」
心配する少女の耳に、予想だにしなかった声が届いた。
「……本当にお人好しなんだねぇ」
応えたのは亜流の魔女。だが、その声は日野貴理子のものだった。
閉じていた両目をすっと開けて、ヘレナが言った。
「アグライアもそうだったよ」
何処か遠くを見るような目をしながら、魔女ヘレナが立ち上がる。
距離を図りかねる沙樹に、使い魔の声が飛んだ。
「離れよ! 主人よ、其処から早く逃げ……」
立ち上がる少女はくすりと笑う。微笑みに指を絡め、沙樹を見つめてくる。その仕草は清楚でいて妖艶。真っ直ぐな瞳は、同時に誘うような色香を放っている。日野貴理子とヘレナの両人、どちらの印象をも受ける不思議な雰囲気であった。
「慌てなくてもいいよ。騙し討ちなんかしないからさ」
青ざめた顔で沙樹が尋ねた。
「……まだ戦うつもりなの?」
「星の力も失ったんだ。魔術師の血を貰わなきゃ、割に合わないからねぇ」
「どうして!? どうしてそんなに力が欲しいの? 何があなたを駆り立てるの!?」
少女の問いが鋭く飛ぶ。しかし、貴理子の声でヘレナが笑った。
「フフフ……。私達は相容れないって教えてあげたのに。よくよく人がいいんだね」
「こんなことしてたら私か貴女、どちらか死ぬわ! 貴女は怖くないの!?」
その問いは偶然出たものだった。その何が彼女を刺激したというのか。
「アハハハハハハハハハハハ……!」
哄笑が沙樹の不安を彩る。自嘲気味に笑ったヘレナの声が沙樹の耳にも届いた。
「……フ、フフフ。死ねないねぇ」
「え?」
少女の聞き間違いかと思う其れは魔女の秘密。
「生命の壺に漲る星の力があるかぎり、死ねないんだよ!」
苛立つように吐き捨てる魔女に、沙樹はいよいよ困惑する。とても理解が追い付かなかった。
「解るかい!?」
ヘレナが感情を吐き出す。
「小賢しいじゃないか! 誰だか知らないけど、この私を操ろうだなんて!!」
尋常ではない魔力がヘレナに流れ込む。漲る力を拳に込めて、魔女が吠えた。
握り締めた指が白くなる。そして、一瞬だが彼女は講堂の窓から見える丘陵地を睨んでいた。
「それでもね、私は……負ける訳にはいかないんだよ!」
血を吐くような想いで言った台詞は、ヘレナの眦を険しいものに変えた。漲る気迫が彼女の魔力を活性化させていく。
「さあ、私と戦う覚悟はいいかい?」
「もう止めましょう! 戦う理由が無いわ!!」
訴える沙樹の主張にも耳を貸さない魔女の様子に、緊張が高まる。
二人の魔女が言い争う様を油断なく見つめる二つの眼があった。他ならぬ錯視の蛇である。
(不死性の秘密は其れか!? 復活後で警戒心が薄いと見える)
魔女が自ら言及した不死性の秘密。体外からの魔力供給を可能とする術式の存在。そして、ヘレナ自身が見せた行動が、難解な問題を突破する可能性をみせてくれた。
(とは言え、迂闊に動けば亜流の魔女に気取られるが……)
其処を突かない理由は無い。だが、そのためには手勢が足りない。切迫する事態に錯視の蛇が二つ口を使用する。詠唱するのは如何なる術か。冷徹な蛇の眼に魔女の姿が映る。
(急げ! 守護者どもよ!! 主人のために集い来たれ!!)
人知れず行使した魔術を悟られぬように使い魔は息を殺して伏せる。主人の護りを固めるべく鎮座した蛇は居ながらにして守護の陣を操作する。
だが、春香と光一は倒れたままだ。
二人を庇ったままでは沙樹の傍へと駆け付ける事が出来ない。主命がある故に春香と光一を見捨てる事は出来なかった。
彼もまた、選択と決断を迫られていた。
そんな使い魔から少し離れた場所で、沙樹は日野貴理子と相対していた。
いまだ二人の議論に決着は着かない。
多分、永久に平行線を辿るのだろう。戦いなど望まない少女と戦いの中にしか自分を見出だせない少女。あるのは交わる事のない螺旋の因果のみ。
高まる魔力が周囲に伝播していく。
「……どうしても戦うつもりなの?」
少女の瞳には戸惑いを示す揺らめきがあった。その青い揺らめきが魔女の存在を映し取っていた。
「そうさ。私には、もう他に残されたものもないからねぇ」
「そんなの……、もうたくさんよ!」
沙樹にも解るのだ。青眼を持つが故に、ヘレナの葛藤が見えるのだ。彼女自身ですら、戦いに縛られているだけなのだ。無益な戦いが齎す不幸な結末を沙樹は何とかして回避しようとしていた。
少女は踵を返そうとして、急に立ち止まった。背後に猛烈な殺意を感じたからだ。
「背中を見せれば殺す……。本気だよ」
静かに告げるヘレナの声だけが、講堂内に響き渡った。
「さあ、私と戦うか殺されるか……。二つに一つだ。選ぶんだ!」
逃げ道を塞がれた沙樹は、白い肌を一層白くしていた。少女の美貌が泣きそうなほど曇る。
対照的にヘレナが見せた決意の瞳は、不退転の意思を秘めていた。
「……本当に戦うしかないの?」
小さな呟きが、魔女に最後の一手を採らせた。
「なら、戦えるようにしてあげるよ!」
ヘレナがそう言った途端、魔女の背後に見える校舎から爆発音が響いた。
なんとか終章へと踏み込んだ今回ですが、いかがだったでしょうか?なんとか本日中に投稿です!




