小話 ~ジュード~ ドラッド砦の悪夢3
今日もリアナの部屋は空だった。一緒に食事を摂ろうと毎朝誘いに行くのだが、部屋の主は既に仕事に行ってしまったらしく不在が続いている。意気消沈しながら食堂へと向かえば、丁度席を立とうとしていたリアナに出会った。
「おはようございます、ジュード殿。よく眠れましたか?」
最初は可哀相なくらい緊張していたマルーカ女史も今では二人の竜騎士に慣れたようで、気軽に声をかけてくる。今もリアナと食事をしていたらしい。羨ましいことだ。
「お陰様で。昨夜は客人が来たようだが大丈夫だったのか?」
「罠の有効性について実地で試せたので、良い予行訓練になりました」
「そうか」
リアナが嬉々として兵士に指示を出しながら作っていた罠のえげつなさを思い出して身を震わせる。
地方対抗戦は直接ぶつかる二月前から既に情報戦は始まっているのだ。昨夜忍び込んできたのも、恐らく敵方の兵士だろう。竜騎士一人一人が持つ特殊な魔術印の押された紙を持つ者、つまり上司から許可を貰った者に限り、対抗戦の一環として捕まっても丁重に扱われる。勿論捕虜扱いになるので、逃げるかしない限りは試合が終わるまで拘留されることになるが。万一その紙を紛失、または忘れたりすると直ちに犯罪者と見なされるので取り扱い注意が必要だ。
リアナが懐から出した紙は確かに対戦相手であるサンスの印だった。解禁されたその日に送り込んでくるとは。
「余程警戒しているのか」
常ならば、全敗を誇る弱小地域の偵察などわざわざしなくとも勝てるだろう。竜騎士の位になれば砦の内部構造の情報くらい簡単に手に入れられる訳で、対抗戦が近くなると官舎の書庫で互いの内部構造を調べるのが常だ。
「実際一月前を思えば、段違いですから」
マルーカの自虐の響きを持つそれに、ジュードもリアナも苦笑するしかなかった。下手な慰めも失礼なほど酷かったとだけ明言しておく。
「お二人の尽力のお陰です。次こそは勝って見せますよ」
「ああ。楽しみにしている」
やる気を漲らせるマルーカがまた後で、と残して去っていく。リアナも軽く手を振って見送っていたが、立ち上がる素振りはない。
「いいのか?」
忙しい妹を気遣ってのことだが、どうやら構わないらしい。料理係から朝食を受け取って、リアナと向かい合う形で座る。この辺りは暗黙として士官専用となっているため周囲に人はいない。小さくお兄様とリアナが呼んでも、聞こえないだろう。例え耳を澄ましたとしても、魔術を発動しているために音を妨げているはずだ。
「どうした?」
「私としたことがすっかり忘れていました。お義兄様との約束の日を」
ジュードは呻いた。元々ジュードがリアナを竜騎士に引き入れた一端もあって、リューグがリアナに課して更にそれをヴァリアスに承諾させた通称”リューグ百二十三条”は全て把握している。その中には、三ヶ月に一度は故郷に顔を見せに来るという内容がある。奇しくもそれは丁度明日で、リューグが王都へ帰る日でもあった。つまり、責任者不在ということになり、それはあまりに無防備だ。
「俺の方で出立を遅らせるか?」
と提案してみたものの、実現するのは難しい。リューグとて一地方を束ねる竜騎士として、そろそろ対抗戦の準備をせねば間に合わないだろう。というか、大分前から部下達から苦情が来ているのを、ヴァリアスとジュードが握りつぶしていた、が正しい。しかし、象徴ともいうべき竜騎士がおらねば志気も上がらず、準備の状況があまり芳しくないと聞けば、無視するわけにもいかなかった。
「こうなったらお義兄様に手紙を書きましょう。正直に書けばきっと」
「契約破棄だと嬉々として迎えに来そうだな」
「ですね」
リューグより幾分か頭の柔らかいジュードならばまた違っただろうが、あの兄ならば必ずやる。それだけの権力と実力を備えているからこそだが。
「これから行ってきたらどうだ?」
「定例会議があるので欠席できません。会議に使う資料を纏めたものがここに用意してあるので持っていかないと」
「ルークーフェルなら往復くらい可能だろう」
「その後ロードさんの帰郷報告を聞いて、リュディアス様とヴィエッタ様にお茶会に呼ばれています。午後からはジェラルド様と温室の薔薇を見に行って、それが終わったら魔術塔に新術の開発の立ち会いに」
皇帝陛下とか皇妃殿下とか皇太子殿下とか仕事しろよ、と言いたい。そもそもなぜ、彼等との約束が入っているのか甚だ疑問だ。薔薇の観賞などと、あのエロ王太子は家の妹に何ちょっかい出していやがるんだ。俺に黙って良い度胸じゃないか。
一通り心の中で罵倒したところで、少し精神が落ち着く。どうやら、気が立っているようだ。
「……つまり忙しいんだな」
「はい」
「そうだな。よし、リアナ。今日はスフェンネル領で泊まってこい。それならば、顔を見せたことになるし、朝早く発てば間に合うだろう」
「ですが、夜間訓練はどうされるのですか。お義兄様は暗器を使えないでしょう?」
「お前よりは下手くそだが、これでも練習してるんだぞ。お前の部下には……負けるだろうが、素手なら問題ない」
暗器も勿論殺傷能力のない、野菜で作られた玩具だ。少数で夜襲が行われた場合の訓練である。
「罠の位置は?」
「夜までに憶えておく。お前は心配するな」
不承不承といった感じで、リアナは罠の配置図を手渡す。それを見た瞬間、リューグは眩暈がしたが(数の多さに)請け負った。
結論からいうと。三度目ということもあり、まずまずの動きであった。あの地獄の特訓の成果もあり、それぞれの動きもよかったと思う。しかしリアナに入れ知恵したことで、リューグから度々恨みの篭もった手紙を受け取るようになった。