第51話 砂塵の獣
サンズイの家で一夜を明かした面々。
トウコもすっかり落ち着いた様子で、自力で起き上がることができるようになっていた。
その姿を確認し、胸を撫で下ろしたサンズイは、静かにしかし揺るぎない決意を込めて口を開いた。
「俺はミナストリアに行こうと思う。この戦争の鍵が、そこに眠っているような気がするんだ」
サンズイの言葉に、キザムとクノは迷うことなく力強く頷いた。だが、同じ部屋にいるナナシ、チユ、そしてトウコの【百合の花束】の面々は、どこか浮かない顔でそのやり取りを見つめている。
「ナナシ、チユ。トウコを頼む。俺はしばらく留守にする」
サンズイが告げると、トウコは静かに布団から起き上がり、自分の部屋へと足を向けた。そして、戻ってきた彼女の手には一刀の太刀が握られていた。
「サンズイはん……。これを……」
トウコがサンズイに手渡したのは、秋月家に伝わる妖刀『紅葉』と対をなす、もう一振りの名刀『緑葉』だった。
サンズイは無言でそれを受け取り、鞘に収める。
「行ってくる」
「……どうかご無事で」
トウコは静かに、けれどしっかりと京の言葉の響きに祈りを乗せて送り出した。
病み上がりのため室内からの見送りとなったトウコに背を向け、キザムたちは里長の屋敷へと急ぐ。ミナストリアを目指す前に、単独任務の許可を得るためだ。
屋敷の奥に通されたキザムたちが事情を説明すると、里長は深いシワの刻まれた顔をさらに険しくさせた。
「『護衛部隊が掴んだ黒幕の噂』……『ミナストリアでの人体実験』……そして『古代文字を宿した刺客』とはのぅ……。よし、わかった。お前達3人の単独任務を許可する。ただし――この者も同行させることが条件だ」
里長の屋敷の廊下から、ヒョイと姿を現したのはジャミだった。
「ジャミ、この間はありがとな」
「ケガの調子は…もう大丈夫そうだね」
キザムが驚きつつも声をかけると、ジャミは蛇のような細い目でニタァと笑って見せた。
「これより、この任務を極秘任務とする。任務で掴んだ情報は伝書鳩で飛ばすが良い。必要であれば、いつでも援軍を送ろう」
里長の許可を正式に得て、ジャミの同行の元、ミナストリアへの潜入任務がいよいよ幕を開けた。
里を南下し、乾燥した大地を進む道中、キザムは硬い空気を和らげようと口を開いた。
「なんか、こうして4人で任務に出るのって……昔に戻ったみたいだな」
少しでも明るい話題にしようとしたキザムの意図だったが――。
「キザム、遊びじゃないんだ。あんまりはしゃぐな!」
ピリついた声でサンズイが遮る。その瞳には、トウコにあの酷いトラウマを植え付けたミナストリアへの激しい怒りと焦燥が宿っていた。
「サンズイ、キザムだって悪気があったわけじゃ……」
クノがたしなめるようにフォローを入れるが、サンズイの背負う殺気は収まらない。
「あんまりピリつくと、敵に殺気を気取られて潜入任務にならないよ」
ジャミが涼しい顔で釘を刺す。だが、そのジャミの表情はいつもどこか掴みどころがなく、何か別のものに対して怒っているのか、それとも強烈な嫌悪感を隠しているのか、キザムには到底読み取ることができなかった。
里を離れ、ミナストリアへと近づくにつれて、周囲の様子は確実におかしくなっていっていた。遠くの地平線からは、あちこちで爆発音や人々の悲鳴が響いてくる。
(この任務を遂行させ、少しでも早くこの争いを終わらせることができれば……!)
キザムは逸る気持ちを抑えながら、砂に足を取られそうになるのを踏みしめた。
しかし、足場が悪い砂漠地帯では、力を入れれば入れるほど足首が深く沈み込んでいく。慣れない環境に戸惑いながら進んでいると、前方の砂煙の向こうから、見慣れない服装の忍がこちらへ向かって必死の相貌で走ってきた。
アメルイーストの忍だ。だが、彼はただ逃げているのではない。何者かに――文字通り「追いつかれることへの恐怖」に背中を押されるようにして追われていた。
その動きは目を凝らさなければ見えないほど凄まじく、だが確かに、その空間を歪めながら何かが迫っていた。
「あれは……っ!」
キザムが息を呑んだ瞬間。
「キミ達っ!」
ジャミが声を張り上げるよりも早く、サンズイは自分達に危害が及ぶのを警戒し、迫りくる見えざる脅威に対して白鞘から『緑葉』を引き抜いて身構えた。
だが――その刃が敵を捉えるよりもほんの一瞬早く、逃げてきたアメルイーストの忍の背中から鮮血が噴き出した。
忍を追ってきた何者かの見えざる一撃に貫かれ、その身体は糸が切れたように前のめりに砂漠へと崩れ落ちたのだった。
「あら? 新しい獲物かニャ?」
血飛沫の舞う砂埃の向こうから、ふわりと姿を現した女がいた。衣服の布地を極限まで削ぎ落とした、野生の獣を思わせる軽装な身なりをしており、両手両足にはギラギラと光る鋭い鉤爪を装着している。そして、その露出した肌の胸元には、『猫』を模した不気味な古代文字が浮かび上がっていた。
女――ミケは、鉤爪から滴る鮮血をぺろりと舌で舐めると、獰猛な笑みを浮かべながらキザムたちに向けた。
「逃がさニャいニャ!」
キザムは素早く右手の人差し指を立てると、自分の左手のひらに一角一角、念を込めて『火』の術式を書き殴っていく。文字が赤熱して脈打った瞬間、両手を強く合わせ、ぐっと合掌した。
その掌から爆発的な熱量が溢れ出し、両手に灯った猛火をそのまま両足へと撫でつけるように纏わせる。足元に推進力が宿り、キザムは大地を蹴破って一瞬でミケの懐へと潜り込んだ。
しかし、ミケはそれをあざ笑うかのように上回るスピードで体をひねり、キザムの鳩尾へと鋭い足蹴を叩き込む。
「……っ!」
容赦なく突き刺さった鉤爪の痛みにキザムが息を詰まらせ、そのまま砂塵の中へと蹴飛ばされた。
「もうっ……! 油断しすぎ!」
すかさず駆け寄ったクノが両手をかざし、高速治癒の淡い光をキザムの腹部へと集中させる。
「悪いクノ! でも、まだ死ねないよな!」
「……バカ」
クノは呆れたように息を吐きつつも、その目はしっかりと敵を捉えていた。
「――退け、キザム!」
サンズイが前へ出た。彼は両手両足に刻まれた深い刺青へと自らの血を流し込む。トウコと暮らし始めてから、いざという時に自身の力の底上げをするために彫ったものだ。
サンズイの足元から、翠と青の術式が複雑に混ざり合うように激しく浮かび上がる。
「一閃……!」
『wind』と『speed』の術式で極限まで跳ね上げられたスピードと斬撃。しかし、ミケはその鋭い刃さえも、まるで紙一重でするりとすり抜けるように軽々と回避してみせた。
「ふーん……忍のくせに、大したことないニャ」
余裕の笑みを浮かべるミケの視線が、ふと傍らに立っていたジャミへと向けられた。
「あれ? ニャんだっけ、その顔……どこかで見たことある顔だニャー?」
ミケの言葉に、ジャミの目がわずかに細められた。
「気のせいじゃないかな? こんな糸目な人間、いくらでもいるし」
言い返すジャミの短刀が冷たい光を放ち、ミケへと鋭く斬り掛かる。しかし、ミケは驚異的なフットワークでそれをことごとくかわしていく。
かわしながら後退していくミケの退路を断つように、すでにキザムとサンズイが回り込んで待ち構えていた。
「……っ!」
「あちゃー。3対1とは分が悪いニャ。今日のところは出直すニャ」
挟み撃ちにされたにもかかわらず、ミケは焦る様子もなく軽口を叩くと、キザムとサンズイのわずかな隙間をまるで猫のようにすり抜け、驚異的な速さで砂漠の彼方へと姿を消していった。
静けさが戻った砂漠の上で、キザムは息を整えながら呟いた。
「アイツ……いったい何者なんだ?」
「おそらくは……あれが、古代文字を使った人体実験のなれの果て、ということだろうな」
サンズイが血の付いていない『緑葉』を慎重に鞘へと収めながら、歯をくいしばる。
「そういえば……アイツ、ジャミのこと『見たことある』って言ってなかった……?」
クノが首をかしげながらジャミに視線を向けると、ジャミはいつもの飄々とした笑顔を崩さぬまま肩をすくめた。
「気のせいじゃないかな?」
「でも……」
「さっ、ケガもないようだし、先を急ごう!」
そう言って軽やかに歩き出すジャミの背中は、どこか不可解な影を落としていた。その言動に混じるわずかな違和感が、キザムたちの胸の内に言い知れない不安の種を植え付けていくのだった。




