【1】ー7 休日と初の実戦
――キィィィィ……ン。
坑道の中、澄んだ音が響いていた。不規則に音を奏でては、壁へと染みて消えていく。それは美しくもあり、同時に少し悲しい気分になるような音だった。
「ふうっ……ふうっ……」
汗を流して動いている数人の男が、先ほどの音を鳴らしていた。
シレンティアを出て、東へずっと離れた場所。シレンティアが管理している数ある鉱山のうちの一つである。資源を多くは有していない都市であるシレンティアにとって、かなり重要な場所と言っても過言ではなかった。
数人の男達は、鉱山の最奥の担当だ。掘り出した鉱物を控えている別の作業員に手渡し、作業員はそれを資源車と呼ばれる運搬用車両へと積込む。
「ノルマ達成しましたー」
背後から聞こえてくる作業員の報告に手を振って答えてから、男達はどさっとその場に腰を下ろした。あまり長居すると体調が悪くなるという場所なのであるが、辛い肉体労働の後であるので仕方ないとも言えた。
「おーいてて……」
「大丈夫ッスか? また腰痛めたんじゃ……」
「おっさん、もういい年なんだから無理するんじゃねえぞ~」
「馬鹿にするんじゃない。こちとら、まだまだ現役だ。無駄口叩いてる暇があったら、いっぱしに偉くなりやがれ」
「「へーい」」
そんないつもの会話を繰り広げながら、しばしの休憩を取っていた。この鉱山での仕事はもう終わりだが、都市に戻ればまた次の仕事が入ってくる。そのため、今のうちに休んでいないと体がもたないのだ。
「ったく、若造が調子に乗りおって……次もビシバシ使ってやるからな。せいぜい覚悟しとけよ?」
「うえ~」
「マジかよ……」
そんなやりとりに周りがどっと沸く。きつい仕事の合間の楽しいひとときであった。
「よし、てめえら戻るぞ。稼ぎ時だ」
しばらく話し込んでから話題が少なくなってきたところで、最年長のたくましい男が立ち上がる。続いてうーいとか言いながら、全員が立ち上がって、資源車の方へと歩き出した。
と、そのとき、
「……ん?」
一人の若い働き手が、視界の端で光るものを捉えた。なにかが自分の持つ懐中電灯の光を反射したようだった。ちゃんと意識する前に、その場所へと向かった。
たどり着いてみると、地面に近い位置にあったのは半分ほど地面に埋まったこぶし大の鉱石だった。輝き方からして、宝石の原石かも知れない。
「おい。なにしてる」
年長のリーダーがそばに来る。青年は指さして示した。
「これは、宝石か? それにしてはずいぶんと輝いてるな。それに大きい」
ふうむと考え込んでいるリーダーを見た。リーダーにも分からないものなんて珍しい。そう思った青年は、採ってみますと言って、切削する道具を構えた。
周りの岩石を削り始めて、五、六分。案外簡単に取ることができた。ころんと足元を転がった鉱石を、仕事の後、手袋を外していた手で掴み上げた。
「これ、なんですかね? やっぱ見たこと――」
と青年がここまで言ったところで、変化が起きた。
「――痛っ!?」
「な……どうしたッ!」
地面を転がっていく鉱石はひとまず意識から外し、リーダーは青年に近づいた。苦悶に歪めた顔で自分の手のひらを抱えている。それを確認すると、
「……火傷……か?」
赤くただれていた。青年も混乱したような声で、わかりません……とつぶやいた。
「熱かった……んですかね?」
「俺に聞くな」
そう言って、リーダーは、青年が制止の声を上げる間もなく、ひょいと件の鉱石を掴み上げた。
「……ふうむ。軍手越しにはなにも感じないが」
「そうなんですか?」
青年も無事な方の手に軍手をはめて、試す。あ、たしかに、と納得行かないような声を上げた。
「……どうします? これ」
「とりあえず、監視者へ報告する。おめえは先に次の仕事に向かってろ」
「わかりました」
リーダーと青年は外へと向かった。イレギュラーなことが起こって、困惑する二人であったが、
「よし、一旦戻るぞ」
判断は監視者に仰ごうと、いつも以上に早く、車両はシレンティアへと向かったのだった。
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「ふわぁ……」
今日は定休。講義も訓練もなしというとてもありがたい日である。
そんな訳で誰もいなくなった寮を出て、レヴァンはいまだ眠そうな目をこすりながらとりあえず商店街にでも、と歩いていた。足を投げ出すように歩くレヴァンの姿は、傍から見たらとても、有名な「イレーネ浄法院」の生徒とは思わないだろう。
都市シレンティアは、大きく分けて三つの要素で出来ている。
始めはシレンティアの中央。そこにそびえ立つ灯台のような外見の建物が『物見塔』である。目立った装飾も何もなく、ただそこに佇立する存在である。それでいてなぜか威圧感のようなものは感じない。浄魔士や政治、その他都市の運営が一手に集まっている場所であり、最上階では『監視者』が都市の外に生息する害獣の動きを見張っている。
二つ目は『物見塔』のエリアを囲むように存在する「生活区」である。都市の住民の家宅、商店街、浄魔士用の武器鍛冶、学校など、多くの人々が協力しながら日々を一生懸命に生きている場所である。レヴァンたちが通う浄法院も教育目的が違うが学校であるので、生活区の最も中心寄りに建てられている。
そして三つ目は生活区を、というより都市全体を囲うようにして設置された「隔壁」である。外に広がる荒野には害獣を始め、様々な危険が存在する。それらの脅威から都市を守るのがこの「隔壁」なのだ。同時に、当たり前ではあるが浄魔士の仕事場でもある。
「……大変そうだな、浄魔士って」
ふとレヴァンがつぶやく。フロルは用事があるからということでいない。寮の自室でだらだら暇をもてあそんでいた流れでレヴァンはここまで来たのだった。が、
「……寮で寝てればよかったかねぇ」
商店街に着くなり情けない後悔を口にする。商店街、特に大通りを包む異様な熱気に挫けそうなレヴァンであった。
どうやら今日は、商店街の店が後援している抽選会みたいなものがあるらしい。商店街で買い物をした人に配られる抽選券で参加する形式で、賞品は豪華かつ実用的な家具家電であるのだとか。
うまく客寄せしてるな、とかぼんやり思いつつ、レヴァンは目を離した。あまり興味がわかなかったのだ。そのまま通りすぎようとする。
したのだが、
「……アミナ?」
異様な熱気を振りまく主婦たちの中に、一人、アミナが混ざっていた。
身長が足りなくて抽選が見えないのか、一生懸命ぴょんぴょんと跳ねていた。それがなんだか微笑ましく、見過ごすことが出来ずに、レヴァンは足の向きを変えた。
変わらず跳ねているアミナの後ろから、さきより軽い足取りで近づいていく。しかし、ずいぶんと近づいても、アミナがレヴァンに気づくことはなかった。仕方がないので、軽く声をかけた。
「何してんの?」
「…………ッ!?」
ばっと身を翻して反射的に距離をとろうとするアミナ。ここ最近の修練の成果か、いい動きであったが、人の混雑でそんなことは出来なかった。
「……そこまで警戒されたら傷付くなぁ」
「…………レヴァン?」
苦笑を滲ませて頭を掻くレヴァンを見て、アミナは不思議そうに小首をかしげた。その目が純粋に尋ねたそうにしていたので、レヴァンは一足先に答えた。
「暇だったからさ、ちょっとブラブラしようかなって。アミナは? こんなところで何してんの?」
自分の聞きたいことが当てられて恥ずかしくなって、アミナは頬を染める。少し口ごもった後、少し小さくなった声でレヴァンに答えた。
「…………この抽選会、景品欲しい」
「そっか」
一度レヴァンは抽選会場に目をやって、ふうんと何度も頷いた。そのままの流れで「豪華なのが欲しいの?」と聞いてみるが、アミナはそうではないと言う。
「え? じゃあなに?」
「…………ぬいぐるみ」
そんな言葉に会場の並べられた景品を見る。目立った場所に豪華な家具がある。そしてその横には、確かに抱え込むぐらいのサイズのクマのぬいぐるみがいた。
「あれか。へぇ、五等か……」
レヴァンは納得したようにしきりに頷く。「五等目指して参加する人も珍しいな」とレヴァンが漏らすと、アミナもくすっと笑って、「……そうかも」と返した。
しばらくレヴァンがアミナからぬいぐるみの可愛さについての熱心なレクチャーを受ける。すると、
「では抽選会を開催いたしまーす!」
商店街の店員の声と共に、やがて抽選が始まった。
「残念だったな~」
「…………うん。残念」
そう言ってトボトボ歩くアミナ。レヴァンはそんな少女の様子を見て苦笑を漏らした。
商店街を出口の方へと歩いていた。この場所は本当に平和で、浄魔士とはあまり関わりがないため、レヴァンの訓練で疲れた身体には安らぎであった。
ああ、教官がもう少し優しければな、とレヴァンがぼんやり思っているところに、アミナが話しかけてきた。
「…………レヴァン」
「……ん? なに」
「…………今日、用事は?」
即答できるはずの質問に、レヴァンは少し考えるふりをしながら、
「いや、特にないよ。ここで会ったのも何かの縁ってことでアミナについていってるんだけど……」
だめか? と問いかける。少女はぬいぐるみを抱えるはずだった腕で自分を軽く掴んで言った。少し顔も赤くなっていた。
「…………だめじゃ、ない」
そんな返事を微笑ましく思いながら、レヴァンは同時に感謝していた。自分の正体を知った上で仲良くしてくれていることに。
「…………どうしたの?」
「ん、いやなんでもない。それよりこれからどこ行くんだ?」
無理やり過ぎたかな、と話題の転換について反省するレヴァンであったが、アミナは気にした様子もなく「……公園」と質問に答えた。
「公園?」
レヴァンがオウム返しに尋ねると、公園、とアミナも繰り返して答えた。
何をするのかも聞かないまま「そっか」とだけ答えて、レヴァンはついていくことにした。
生活区には基本的に何でもある。商店街を中心としてその付近には住宅が林立し、ゲームセンターなどの娯楽、中央から外れたところには病院、学校なども建てられている。中でも公園は多く、アミナはこれから商店街にほど近い、自然公園へと向かうようだった。
抽選の参加者だったのか、多くの人々が商店街から出て行く。その流れに乗りながら、レヴァンたちは並木道を歩いた。
熱いとまでは感じない優しい陽光に、レヴァンは歩きながら眠ってしまいそうになる。そこをアミナに注意され、お互いに笑う。穏やかな時間が過ぎていった。
やがて人の波を抜けだすと、そこにはけっこう大きな自然公園があった。
入ったところから遊歩道が、中央の湖を一周するように敷かれている。湖の周りや遊歩道の外周にベンチも置かれており、運動や休養など多目的に使えるように整備されていた。
アミナは外周のベンチを選ぶ。レヴァンが目的のベンチへと近づくと、そこは予想以上にいい場所だということが分かった。
湖を一望できる風景。背後は木々が多く植えられていて、小さな森のようになっている。そのおかげか、空気が他とは違うようだった。眩しい陽射しも木々が丁度良く日陰の役割を果たしてくれていた。
うんっと背伸びをするレヴァン。存分に体を伸ばして、ふーっと長い息をつく。そのまま前を向くと、
「……で、あいつは何やってんだ?」
そう言って向かい側のベンチを見た。アミナもつられて見ると、苦笑を浮かべる。そこには見慣れた動物の姿があった。
「うむ。我が名はミグルスと言う」
「わんっわんっ」
「ほう、そうか。おぬしは飼い犬か」
「わわんっ。わんっ」
「む? ……ああ、あれがおぬしの主か。なんだかずいぶんと腑抜けた――」
「ゔー……」
「フ……すまぬ。主を悪く言ったことは申し訳ない」
そんな様子で黒と白の子犬が会話?をしている光景は、なんだかシュール。
「……ずいぶん仲良さそうだな」
もはやレヴァンは呆れてしまうのであった。
その後、しばらく辺りが静かになる。運動する者もなく、レヴァンも、そしてアミナもなんとなく口を閉ざした。しかしそれが気まずいわけでもなく、ほっとするような穏やかな時間が過ぎた。
ほんの十年前は野生の猛獣への対応が間に合わず、安心して過ごすことも出来なかったらしいのだが、招魔を扱えるようになってからだろう、安定してきてベンチで昼寝寸前まで出来るようになった。
「ほんと、『監視者』さまさまだよなぁ……」
レヴァンでさえそう漏らすほど、『監視者』の業績は大きく、この都市の全住民の尊敬と信頼を集めるものだ。そのためか、都市を守る浄魔士という存在は志す者もかなり多い。
そんな事を平和な公園で思いながら、レヴァンは軽く目を閉じる。
「…………レヴァン」
「………………………んあ?」
レヴァンがうとうとしていると、アミナが声をかけてきた。
「どうした?」
「…………もうそろそろ、帰る」
「ん? 結局何がしたかったんだ?」
まだ公園に来てからそれほど経っていないことにレヴァンは疑問を抱きながら聞くと、ゆっくりしたかっただけ、と答えが帰ってきた。
「でも、あんま時間経ってないよな?」
少しぼんやりしたような声のままレヴァンが尋ねると、アミナはくすっと笑って、
「…………かわいかった」
「え?」
「…………寝顔」
どうやら気づかないうちにレヴァンは寝てしまっていたようだった。なんだか恥ずかしくなってレヴァンが立ち上がると、目の前にちょこんと鎮座する動物が。
「小僧らしいマヌケ面であったぞ」
「うっさいわ」
相変わらず姿に不相応な言動に反抗した後、レヴァンはアミナの方に振り返って、
「んじゃ、帰ろうぜ」
そう言った。いや、言い終わろうとした時。
突然、辺りが軽めのサングラスをかけたように薄暗くなった。
「……なんだ?」
「……我が主、注意しろ」
レヴァンとミグルスが同時に警戒の声を発する。太陽を確認するが、空には雲がなく太陽は依然燦々と輝いたままだった。……直視できるのは異常であったが。
「どういうことだ……?」
レヴァンが周りを見渡しても、異常の原因らしきものはない。人もあまりいないので、騒ぎにもならない。ただ突然暗くなった、としか意識していないようだった。
「…………レヴァン」
アミナが側へと寄ってきて、そっとレヴァンの服の袖をつかんだ。アミナと目を合わせ、大丈夫だからと声をかけてから、
「で?」
傍らで毛を逆立てている黒の子犬に尋ねた。ミグルスは首を横に振るような動作をして、
「……わからぬ。しかし只事ではない。気を引き締めるがいい」
「……わかった」
レヴァンは周りを注意深く見渡す。いまだ変化はない。それでも気を抜かず、普段見ないような集中力で目を光らせた。
何分経っただろうか。時間の感覚がなくなり、一秒も長く引き伸ばされていく。しだいに集中力も弱まっていき、レヴァンがクソッとつぶやいた。
そしてこの薄暗さにも慣れてきたそのときに、
キィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!
ガラスに引掻き傷を付けるような、とっさに耳をふさいでしまうほどの耳障りな音が突如この場を支配した。
呑気に散歩をしていた一般の人々も、さすがに異常を感じ取ったのか動きを止めて困惑した瞳をしていた。
レヴァンが目をより鋭くし、音の聞こえた方――ベンチの後ろの森を睨んだ。ミグルスも毛を逆立て、アミナを守るような位置にいる。理解が追いついていないのはアミナだ。レヴァンとミグルスを交互に見て、困惑しているようであった。
「……小僧」
「……ああ。こりゃやばい……」
なにが、とアミナが訪ねようとしたそのとき、ふたたび先程と同じ不快な”鳴き声”が聞こえてきた。
「くそ。近いな」
レヴァンが苦々しくつぶやいた。と同時に、レヴァンたちが睨んだ先、そこにある茂みがガサガサと音を立てた。
ビクっと身体をすくませるアミナを庇うように立ち位置を変えながら、レヴァンとミグルスが目を離さずにいると、やがて「ソイツ」は現れた。
「ッ!? …………冥種……!!」
アミナが信じられないというようにつぶやく。それは、この都市に住む者全員が恐れ、忌み嫌う化物だった。その全身の色はよく見ないとわからないほど濃い濃紫色で、猟犬のような姿形であった。しかし、通常の魔物と決定的に違うところは、その体表に不気味な黒の斑模様が入っていることと、まるでオーラか何かのように黒色の気体を身体全体から放出していることか。その気体は人には有毒なもの。それが辺りを埋め尽くし、陽光を遮るほど濃かった。
レヴァンが顔をしかめる。その後周りを見渡して、舌打ちをした。魔物を目にしたために急いで逃げているようであったが、公園内にはこの付近の住民がまだ残っていた。
「なんでこんなとこに、はぐれが出るんだよ……」
「ふむ。冥種、か。しかし、これはまた厄介な化物のようだな」
はぐれ。
ときどき都市内に侵入してきた冥種が出現することがある。その個体のことをそう呼ぶのだ。
「で、どうする気だ」
ミグルスが普段以上に低い声音で尋ねてくる。それをレヴァンは横目で見ながら、
「……残念ながら、作戦立てる暇はないみたいだ」
そう言った。直後ッ!!
キィィィィッという金切り声をまき散らしながら、冥種が初速からトップスピードでレヴァンたちの方へと向かってきた。
「ハッ!」
それに対応するのはレヴァン。冥種に負けないほどの速さで飛び出した。
あっというまに両者は近づく。冥種のほうは振り上げた腕を叩きおろし、レヴァンはそれを迎え撃つような掌底。武器を使ったわけでもないのに発生するゴッという鈍い音。お互いの初撃を受け止めた。
続いて出たのはミグルスだった。レヴァンの足元まで素早く移動し、魔物に向かって吠えた。それは咆吼というには頼りないものであったが……しかし、
『■■■■ッ!?』
冥種が驚くような反応をして大きく下がって離れた。
よく見てみると、その右前足は凍りついていた。
「無事か、小僧」
「ああ。……おまえ、氷の魔物だったのか」
感心するような意外なものを見るような、そんな判別しがたい声を上げながら、レヴァンは再び目の前の脅威を睨み据えた。
睨みつけたまま、手のひらに力を入れて開いたり閉じたりしてみる。レヴァンの手はあまりいい動きをしなかった。魔物の人外の怪力に腕がしびれていたのだ。
「……くそ」
自分にしか聞こえない程度に悪態をつくレヴァンに気づいたわけではないだろうが、ミグルスが落ち着いた声で尋ねる。
「……魔力は纏っているか」
レヴァンが首肯すると、ミグルスはフッと息を吹き出した。
「ならいい。アレに直接触ったら、腐るぞ」
そう言って前を向く。レヴァンも警戒を強めた。冥種が体勢を立て直したようだった。
相変わらず耳障りな音を立てて、突っ込んでくる。腐食特性を持った害獣――これを冥種と言う――には知能はない。シレンティアの一般常識である。
「おい、バカ犬」
「小僧、氷漬けにされたいのだな?」
額に怒りマークすら浮かべている隣の子犬の言うことを聞き流し、真剣な顔で続けた。
「アイツには力じゃ無理だ。真っ向から勝負するのは厳しい」
「……ふむ。ではどうする」
「だから――」
と、そこまでレヴァンが言ったところで冥種が仕掛けてくる。攻撃を受け止めることはせずに、避けざまに脇腹に鋭く蹴りを入れる。
『■■■■■■!!』
魔力で筋力を強化した一撃はさすがに重かった。獣はバランスを崩し、ズザァァッと手ひどく倒れる。
それを確認してレヴァンは続けた。
「――だから、手伝ってくれよ」
「ほう……」
ミグルスが驚いたように声を漏らす。そして、「仕方あるまい」と首を縦に振った。
「よし、じゃあ――」
行くぞ、と言おうとしたところで、状況が一変する。悪い方へと一気に転がった。
金属をぶつけ合うような無機質な音を鳴らしながら、冥種は、
「■■■■…ッ!」
レヴァンたちから離れていた、アミナを視界に捉えていた。
「……やばいっ!?」
レヴァンは迷わず飛び出した。が、魔物の方もアミナに向かっている。速度はほぼ同じ。しかしこのままではアミナが攻撃を食らってしまうだろう。レヴァンは自分の迂闊さに死にたくなった。
「アミナぁッ!!」
叫びも虚しく、冥種はアミナに到達した。
その爪が振り下ろされるのを見ながら、アミナは恐怖で動けないままその場で尻餅をつく。冥種の凶器はすぐそこまで迫り、そして――
鮮血が、紅の花びらのように散った。
しばらくしてから、意識せず閉じていたまぶたをアミナはゆっくりと持ち上げる。いつまでもこない痛みに不思議に思っていると、目の前にいたのは冥種ではなかった。
「……こんなの、おいしいのかねぇ?」
左腕を切り裂かれた上、噛み付かれているレヴァンが、アミナを守る壁のように騎士のように足で踏ん張っていた。
「……あ、あぁ……」
アミナが声にならない声を出す。それと同時に、レヴァンも叫んだ。
「ミグルスッ!!」
その瞬間、アミナの体が震えた。恐怖ではない。単純にその場の気温が下がったのだ。
「我……氷の眷属……氷の末裔――」
驚くほど平坦な冷たい声音でミグルスがつぶやくと、その場の気温は突然ぐっと下がり、やがて、
ピキッピキピキ……――
『■■■ッッッ!?』
足のほうから魔物が凍りつき始める。
「行け、小僧」
冥種の身体を三分の二ほど氷で覆ったとき、ミグルスがレヴァンに止めを刺すよう命じた。レヴァンは小さく、しかしはっきりと頷くと、足を踏み出す。
「俺の腕なんて安いもんだ」
呟きながら、右腕を掲げるレヴァン。その腕に次第に蒼光が集まっていく。冥種は恐れるような反応を示し逃れようとするも、魔氷がその行動を制限する。
「でも、アミナを狙おうとするのは、やめろよ」
淡々と語るように言う。その間に右腕の蒼光は集まって圧縮するというのを繰り返している。それは触れた物を盛大に吹き飛ばすほどの力を内包していた。
「この怒りを全部テメエにぶつけたいけどな。仕方ないから、三割だけにしといてやるよ。だから――」
そう言ってレヴァンは腕を後ろへ引き重心を落とす。そして、ちょうど全身氷漬けになった冥種に向けて、
「――残りの七割はあの世で味わえッ!!」
全力で右拳を叩き込んだ。
リィィィ……ィィィィ……ン――――
衝撃は魔氷を貫き、体組織を凍結させていた冥種は氷と共に砕け散った。鈴のようなはかない音を響かせながら、粉々になったそれらは虚空へと消えていった。
あとに残ったのは静寂。そしてレヴァンの息切れの音だった。
突然訪れた静寂に、誰も動くものはいない。しばらくそのままの状態でいた後、最初に動いたのはレヴァンだった。と言っても、力の使い過ぎと安堵による筋肉の弛緩で膝をついたのだ。
「…………レヴァン……ッ!」
慌ててアミナが駆け寄ってその身体を支える。ミグルスもレヴァンの方へと近づいたが、レヴァンの心配というよりも契約者の側に移動しただけという感じだった。
「大丈夫」
それだけ言ってアミナに微笑みかけるレヴァン。確かに息切れはしているが、辛そうな顔をしているわけではなかった。
しかし、アミナが心配するのは止めなかった。その視線はレヴァンの左腕に向いていた。
「…………でも」
「大丈夫だから。だから――」
そんな泣きそうな顔するなよ。
レヴァンは困ったような顔をして無事な右手を動かそうとする。しかしそのとき、左手に違和感を感じた。
ほとんど反射的にレヴァンが左手を見ると、
「っておいミグルス! 何してんだよ!?」
その左手は、傷の部分が丸ごと氷に覆われていた。そのすぐ隣でミグルスがこちらを見てきていた。
「何をとはなんだ。止血をしてやったのだろうが」
「……へ?」
「その程度の怪我は迅速に治せ。じゃないと――」
そこまで言ってふいっとミグルスは顔を背ける。
「――主が心配するだろうが」
そこには明らかに主への配慮以外の感情もこもっていて……
「……そうだな。ありがとう」
レヴァンの言葉を驚いたような顔で聞いた後、ミグルスは自らの主の後ろ、レヴァンにとっての死角へと回った。
それを見送ってから、レヴァンは泣きそうなままのアミナへと向き直る。
「…………ごめん」
急な謝罪にレヴァンは驚いた。とっさに返事ができないレヴァンを待たず、アミナは続けて口を開く。
「…………私、魔法で援護、すべきだった」
そんな暗い雰囲気をレヴァンはまず真剣な顔で受け止める。そして納得した。アミナが泣きそうなのは自分への心配だけではなかったのだと。
「…………私、浄法院生なの、に。この時のため、魔法を習っているのに……」
アミナは自分を責めるような言葉を並べると、俯いてしまった。
レヴァンはしばらく何もしなかった。何をしていいかわからず、ただアミナを見た。しかし肩が小さく震え出したのを見ると――
その肩を、レヴァンは優しくつかんだ。左腕が激痛を訴え、顔が痛みに歪んでしまったが、アミナに見られていないので良しとした。
「アミナ」
できるだけ優しく聞こえるよう声を出すと、アミナは顔を上げた。レヴァンはそれを確認すると、
「どうだ! 俺に惚れちゃったか?」
顔全体でにこやかに笑った。
「…………え?」
呆気に取られた様子のアミナを無視して、続けて口を動かす。
「女の子を守るために身体を張る男の子。いやー俺ってかっこ良くなかった? まあ、今ので惚れてしまっても仕方ないよ。うん」
途中からはアミナから目を逸らし、早口でまくし立てるレヴァン。そんなレヴァンを変わらずポカンとアミナが見ている。
「男の子の存在意義はここにあると言ってもいいと思うんだよね! いやぁ、今のをいろんな子たちに見せられなかったのが残念だな~」
自然公園中に聞こえるほどの大声でレヴァンはにこやかな顔のまま話す。そしてそのまま、アミナの方へと顔を戻す。自分の左腕を指し示した。
「だから、これは名誉の負傷だよ」
「…………あ」
驚いたような顔のアミナの目を、奥まで覗き込むようにして見る。そしてレヴァンは、
「……帰ろう?」
優しく微笑んだ。
とそこで、公園入口方面の少し離れたところからフンッと鼻を鳴らす音が聞こえてきた。
「なにが惚れてしまっても仕方ない、か。おぬしが惚れられるのなら、我は求婚されるに違いない」
「なんだって?」
眉をひそめてレヴァンがミグルスの方を見る。そのまま言い合いを始めてしまう二人。そんなやりとりを、レヴァンの横顔を見ながら、アミナはつぶやく。
「…………――ちゃった、かも」
「ん? どした?」
「…………ううん、なんでもない」
アミナはすっと立ち上がる。レヴァンもそれに続いて立ち上がると、アミナはレヴァンをじっと見ていた。その顔はほのかな笑顔で、
「ほんとになんでもない? なんか顔赤いぞ?」
「…………うん。顔は赤い、かも」
そういってふふっとアミナは微笑む。レヴァンは「うん? 顔は赤いけど大丈夫? どういうこと?」と一人首をかしげて悩み始める。
それをアミナは優しい瞳で見て、
「…………レヴァン、置いてく?」
「うむ。それがいい」
「……って!? いつのまにそんな離れたんだよッ!?」
いつのまにかアミナはミグルスと同じ位置まで歩いていた。そのまま踵を返す二人をレヴァンが追いかける。一応怪我人として扱って欲しいと思うレヴァンと、その一方で、
「…………~♪」
アミナの足取りはややスキップ気味だった。




