【1】-5 発覚
「…………つん」
「……」
「…………つんつん」
「……」
「…………返事がない。ただの屍のよう――」
「勝手に殺すな」
ゆったりと起き上がるレヴァン。アミナはそんなレヴァンをじーっと見ていた。そんな視線を感じたのか、レヴァンは口を開く。
「……いやーまさか縄で縛られたまま組み手をしてボコボコにされると思わなかったけど、なんとかなったなー」
「ふふ、教官に気に入られてるよね~」
「てめ、そういえば。なにがあでゅーだよ。助けてくれたっていいだろ?」
拳を握って抗議するレヴァンをけらけらと笑うフロル。一方アミナは心配そうな表情で見ていた。そんな様子のアミナに大丈夫だからと安心させて、レヴァンはうんっと背伸びをした。
教官のシバキの翌日であり、自主訓練の時間であった。どうも教官は書類仕事にかからなければならなかったらしい。とは言っても、ここで練習しなくては他の生徒に差をつけられてしまうため、実質全員参加の通常訓練であった。
レヴァンは筋肉痛に苦しむ身体を頑張って動かしながら、フロルやアミナとの組み手を見ていた。
「じゃあ始めよ?」
そう言って構えを取るフロル。アミナもそれを見て真似をする。そんな向かい合った二人を脇から見ながら、レヴァンはフロルに了解の意を伝えた。
「行くよ~?」
「…………うん」
そうして組み手が始まった。フロルとアミナに好きなように組み手をさせ、レヴァンが助言を贈るというかたちをとっていた。レヴァンは魔法にはからっきしでも、体術は人一倍得意であったからである。
しばらく互いに打ち合う二人をぼーっとした目で見つめて、
「あーアミナ、脇を軽く閉めて。フロルは腰をもっと低く」
全然見ていないかと思えばそうでもないようで、レヴァンは的確に二人の悪い部分を直していく。その度にわかった、と返事する二人。その真面目さのおかげかみるみるうちに上達していた。始めの方にあった突きのぎこちなさも今は殆ど無く、流麗な動きで打ち合っていた。
「……もういっか」
ここまで来るともう特に言うこともなくなるので、レヴァンは本格的にぼーっとし始めた。ふと仰いだ空が珍しく曇っていたため少し驚く。まったく天気予報はあてにならないなと思いながらも、分厚い雲の向こう側を見てやろうと見続けていた。しかし晴れる気配もない。本当に雨でも降るかも知れなかった。
と、そこで何かが脇腹をさわる。
「…………よそ見、だめ」
「へ? アミナ?」
てっきりフロルが怒ってくるかと思っていたレヴァンはけっこう驚く。フロルの方へと視線をやると、そこにはにやつく少女の姿が。その顔には「アミナの言うことは聞かないわけにはいかないもんね~?」。それに苦笑しながら再びアミナの方を向いて謝ろうとする。すると、さっきまではいなかった奴がいた。
「小僧。自らの役割も果たせないとは、情けない限りだな」
「……おまえ、忘れた頃に出てくるよな。今までどこにいたんだ?」
「うむ。人間たちの捧げ物を貰ってやっていた」
「……あーはいはい、餌付けされてたわけか」
む、と軽く唸ってから何か反論しようとしたミグルスを、アミナが絶妙なタイミングで抱え上げてさえぎった。ナイスタイミングだとレヴァンは感謝した。
しばらく不満そうな顔をしていたミグルスだが、やがてもうよいと諦める。フロルがねえねえとレヴァンを呼んだ。
「ところでどうだった?」
「ん?」
「いや、組み手」
「ああ、二人とも上手に動いてたよ。フロルのほうはさすがだな。アミナも、相手の肩を見て攻撃を予測するといいよ」
最後に二人に軽いアドバイスをして、レヴァンは練習を終わることにする。あと少しで時間も終わるので、余裕を持って準備するためである。また、女性側としてはシャワーを使う時間が欲しいだろうと、レヴァンなりに考えた結果だった。
終わりを告げると、フロルとアミナはふうっと息をつき、クールダウンをし始めた。それも早めに終わらせると、
「ふー今日も疲れた~」
「…………眠くなった」
二人にレヴァンは思わず「まだ今日の講義は終わってないけどな」と言う。爽快感を奪わないでとフロルに怒られ、アミナをしょぼんとさせてしまっていた。
ごめんごめんと謝りながら、レヴァンは二人と一匹を連れて練習に使っていた第二修練場を後にしようと歩き始めた。そんなときだった。
「んだとテメエ!」
そんな怒りの声が修練場に響いたのは。
「……なんだ?」
ほんの少しの興味でレヴァンは後ろを振り返る。すると、それほど離れていないところ、レヴァンたちよりさらに修練場の中心に近い位置に強気そうな赤髪の男子生徒が紺の髪を持つ生徒の胸ぐらをつかんだまま至近距離で睨んでいた。
「ケンカかよ……」
子供か、と思いながらも目を離さないレヴァン。喧嘩の原因と先行きが気になってしまっていた。
「レヴァン」
「わかってるよ」
フロルは、昔レヴァンが喧嘩を止めに入って返り討ちにされたことを思い出したのか、制止の言葉を口にするが、レヴァンは最初からその気はなかった。
そんなやりとりの間にもケンカは進んでいく。どうやら相手を見下すような態度に腹が立ってつかみかかっているような状態であるようだった。
「手を離してくれ」
「ああ? なんでつかまれてると思ってんだ?」
「それは、無能な君が僕の才能に嫉妬してつかみかかって――」
「てめ、だからその言い方がムカツクんだよッ!!」
次第にヒートアップしていくやりとりを見て、レヴァンはだめだこりゃと思った。
「だいたい、才能才能ってなんだよッ! それがどうかしたのかよ!」
「僕は招魔がAランク、魔法の成績もトップクラス。どちらも平凡でしかない君とは大違いだ。君は浄魔士を志していないのか? 才能がものをいうに決まっているだろう? これだから無能な奴は……」
「テメエ、いいかげんにしろよ!!」
どこまでも見下したような冷たい声色と態度に、とうとう赤髪がキレた。拳を掲げ、そのまま振り下ろす。訓練されたような鋭い動きじゃないが、強い衝撃を与えそうな拳であった。それをもう片方の少年は冷たく一瞥し、
「守れ」
そう一言つぶやいた。殴りかかった側の拳はそのまま相手の顔面へと向かい、しかし当たることはない。小型で緑の飛竜が拳を受け止めていた。
「疾風竜……」
フロルがつぶやいた。
「風属性で攻撃型小型竜の一つ。発する風にはものを切り裂く力が付加されているらしいよ」
「……すげぇ」
「…………図書館みたい」
フロルの説明にレヴァンとアミナがそろって驚く。
「はっ。招魔に頼って、自分には力がないんじゃないのかよ?」
自分の拳が遮られた恥ずかしさをごまかすためか、挑発をかける強気そうな生徒。しかし、それが意外と効いたようだった。
「なんだって? 君と一緒にしないでくれ」
そういって赤髪の手を振り払い、数歩下がって魔法を展開し始めた。
「させるか!」
隙を与えまいと赤髪が拳を振るうのだが、先ほどと同じように疾風竜に防がれてしまう。チッと舌打ちして、来い、と声を発する。すると、赤髪の招魔――群青色のコウモリが出現する。
一気に危険が増した状況に周りが制止の声をあげるが、二人は聞こえていないようだった。
「はっコウモリか、お似合いの低ランクだね」
「ウゼェぞ、ナルシスト! ナメてんじゃねえよ! 行け!」
言い争った後、赤髪が招魔のコウモリに指示を出す。招魔は主人の命令を聞いて、キィッと鳴き声を上げると、紺の少年の方へと飛ぶ。
展開している魔法陣はかなり大きく、そのため紺の少年は動かない。そのまま行かせるわけもなく、疾風竜が牙を剥いた。その鋭い牙がコウモリを捉えにかかる。が、
突然、コウモリが鳴いた。
耳を破壊する勢いの超音波を耳に受け、レヴァンを含めその場にいた大多数が、ふらついた。……事前に耳を塞いでいたフロルとアミナを除いて。
「……フロル、なんで教えてくれねえの?」
「忘れてたってことで♪」
「おまえなぁ……」
ゆっくりと立ち上がりながらフロルの話に耳を傾ける。群青のコウモリは発する超音波で招魔を混乱させる能力だ、とのこと。それを事前に聞いていたアミナも耳へのダメージを回避できたらしい。
「くっ……」
近くで聞いたためか、顔をしかめながらふらつく紺の少年。しかし、その魔法陣は出来上がりつつあった。魔法陣の大きさは少年の身長を軽々と超えるほどで、普通の魔法陣の大きさの三倍以上はあるだろう。
こりゃあっちの勝ちかねぇ、とレヴァンが呑気に思っていた。そのときだった。隣からあっと聞こえたかと思うと、
「だめっ!! 魔法陣の展開をやめて!」
――え?
そう思ったレヴァンは思わずフロルを見る。紺の少年も同じなのか呆気に取られたような顔をしていた。そんな少年にフロルは続けた。
「少し間違ってる! 大きな魔法陣ほど失敗が大きく響くって知ってるでしょ!? だからそれ以上の展開は――」
なんとか止めさせようとしているフロルが言い終わる前に少年の表情に変化が見えた。純粋な驚きだけだった表情が、かっと赤く染まる。フロルに見とれたとかそういうことではない。多くの羞恥と怒り、だった。
「うるさいっ!!」
言葉を止めるフロル。少年はどこか危なげな目で、叫んだ。
「うるさいうるさい! どうせ僕より下等なくせに、無能なくせにそんな分際で僕に注意するな! 僕はどこも間違っていないっ!」
ち、ちが……、とフロルが否定しようとするけれども、少年のヒステリックな叫びが続いて聞き入れられなかった。紺の少年にはもう周りが見えていなかった。
赤髪の少年の方は、紺の少年の異常さに気づいたのか怒りを鎮めていた。そんななか、紺の少年は一人声を上げ続ける。
「無能のくせに! 無能のくせに! 無能のくせに! 僕が才能の違いを見せてやる!!」
そういって少年は魔法陣の最後の直線を――
「だめ――――っ!」
――引き終えた。直後、
「なっ、魔法陣が歪んで……っ! 何故だ……僕は完璧なはず――」
蒼色に光り輝き、理に干渉するはずの魔法陣。それが少年の目の前で少しずつ、そして決定的に形を歪めていった。それを見た紺の少年の驚愕をかき消すように、やがて、
ゴオォッッッ! と耳を吹き飛ばす轟音と目を灼く光が生まれた。
魔法陣が爆発したのだ。周りの生徒達がとっさに上げた悲鳴も全く意味をなさず、爆発とそれに伴う爆風は修練場全体を巻き込んだ。もちろん、レヴァンたちも無関係ではなかった。
巻き起こった土煙が場を埋め尽くし、やがて緩やかな風がそれを少しずつ流していった。爆発の時とは対称的な静けさで徐々に土煙は飛んでいき、やがて周りが見渡せるまでになった。
いたーい、とそこらじゅうから声が上がる。生身であったら全員が死んでしまってもおかしくない状況であったのだが、そうならないわけが実際には存在した。
招魔である。自らの主をかばい、前に躍り出た招魔がそれぞれの属性を前面に展開し見事に守護の役割を果たしていた。
「我が主。無事か」
「…………あ、ありがとう」
ミグルスは氷で作られた壁を壊しながら、アミナの元へと戻った。自分が五体満足に動けることに安堵したアミナであったが、すぐに大事なことに気づいた。
「…………フロル、レヴァン……ッ!」
近くにいたはずの二人がいなかった。辺りをきょろきょろと見回すが、姿が見えない。まだ鳩尾ほどの高さまである土煙を目を凝らして見渡すが、成果はない。やきもきしながらアミナは探し続けた。
「何故それほどまで案ずるのだ?」
不思議そうに言うミグルスの言葉を理解したアミナは声に怒りを含めて言い返した。
「…………二人とも、私のともだち」
「む? そんなことは理解している」
「…………二人とも、爆風に」
「うむ。確かに」
じゃあなんで、という目をしてミグルスの目を覗き込むアミナ。招魔の守護がない状態で今の爆風は致命的である。命の保証はないし、命あってもかなり危険な状態が予想される。そんな常識的判断をしたのであったが、ミグルスの瞳には本当に疑問の色しかなく……。口をつぐんだアミナにミグルスは再び言った。
「なぜ安全だとわかっている者を案ずる?」
え、とアミナがつぶやいたとき、突然、辺りがざわつき始めた。
誰か怪我人が見つかった――訳ではなさそうであった。悲しい雰囲気は感じられない。まるで不可思議な現場に遭遇したような……信じられないものを見た、そんな感じであった。
「…………二人、とも……」
ようやく開けた視界の中に求めていた人影を見つける。多少離されていたようだが、生きていることが奇跡である。思わず声をかけ、アミナが近寄ろうとした、そのときに異様なことに気づいた。
二人は立っていた。レヴァンの方は服がところどころほつれてかなり汚れていたが、フロルの方は驚くことに全くと言っていいほど汚れていない。……先程まで大量の土埃が舞っていたにもかかわらず、である。アミナでさえ全体的に土っぽくなってしまっているのに、だ。そしてなにより目を引いたのは……
レヴァンが前に掲げた手のひらを中心に、二人を覆うように蒼色の半透明なものが薄く放射されていた。
さながらそれは体すべてを守るような大きな盾のよう。フロルを後ろへやっているところも相まって、今の爆風をレヴァンが防いだような構図になっていて……。
え、どういうこと? と辺り中から声が漏れ、ちょっとしたパニックになりかけた。
「何事だ。当事者は私のところに――」
爆音を聞きつけたのか、ようやくやってきた教官は厳しい顔を周りに向けると、言葉を止める。周りでひそひそ言い続ける生徒と、その視線の先にいる明らかに異端な少年を見た。そして――
「……レヴァン、説明してくれるか?」
「…………はい」
聞きなれないような、静かな返事がその場で響いた。




