【1】ー15 狙われた〇〇
再開された訓練でハンスは、レヴァンへと木刀を振るっていた。
――こいつ、案外やりやがる……。
無作為に繰り出す斬りと突きを、レヴァンがかわしていくという訓練内容。本気を出しているわけではないが、通常の浄法院生には目で追うことが精一杯の攻撃を巧みにかわしていく。それを見て、ハンスは内心驚きを隠しきれていなかった。
浄法院の入学試験は、魔力の適性のみ。体術の習得は個人に任されているので、通常、体術を上達させる浄魔士見習いはめずらしい。
袈裟斬りを避けた上で、軸足を使って直後の突きをレヴァンがかわした。不自然さや動作の滞りなどは全く存在しない動きは、洗練されていた。
ハンスは時折、試しにレヴァンの視界外からの一撃を放つのだが、レヴァンはそれすらもかわしてしまう。その時に攻撃を見ない。このような相手の流れを読むことによる攻撃予知は、実戦経験を積まないと身につけようのないものであった。それに集中することもなくやってみせるレヴァンの動きは、はっきり言って異常というべきものだった。
現役の装器士として活動していたハンスであったが、同年代でかつ練習相手となる者がいなかった。カナンが唯一の例であったが、武器の相性上、他の練習相手を欲しているところだった。
ハンスは口の端を吊り上げる。
「……行くぞ」
「え、え? なんでいきなりこんな速くなんの!?」
戸惑いを隠せない様子のレヴァンに禍々しい笑みを浮かべながら、ハンスは徐々に実力を出していった。
「あの二人、楽しそうだね」
「…………友達どうし」
「よかったです……馴染めそうで」
外野から聞こえてきた声に顔をしかめながら、突きを放った。八つ当たり気味のその攻撃もレヴァンは容易く避ける。
――面白くねぇ。
これは訓練だ。訓練というのは己を高めることを指す言葉である。だから――
「――俺も鍛えねぇとな」
「え、え、え? なんで更に速くなるの!?」
驚愕に染まるレヴァンの顔を見て愉快そうな笑みを浮かべて、ハンスは「攻める」ことにした。怒涛のごとく繰り出される突き斬りをさすがにかわせなくなったのか、レヴァンも木刀のしのぎの部分を叩いて攻撃をかわすようになった。
「てめぇ、その体術はどこで身につけたんだ?」
「そんなの……どうでもいいだろ?」
レヴァンの記憶喪失を知らないハンスが手を緩めないまま軽い調子で質問するが、レヴァンははぐらかす。
レヴァンの心の機微を理解したのかどうかは定かではないが、ハンスは追及することはしなかった。代わりに木刀のスピードを上げた。
「うえ。まだ速くなるのかよ……」
レヴァンには珍しい呆れ気味な声を上げながら、後退していた身体を前のめりにした。
――――来る。
反射的に思って、ハンスが心を構える。それと同時にレヴァンはハンスの懐に潜り込む、はずだった。
「……?」
しかし、レヴァンは不意に眉をひそめると、即座にバックステップを踏んでハンスと距離をとる。
どうした、と声をかけようとしたところで、ハンスも気がついた。修練場の反対側にいる複数の人間が魔法を発動しようとしているのだ。
この場所は第一修練場。魔法の訓練にも使われるため、魔法発動が確認されたからといってそれがいけないというわけではない。
ただ、現在発動されようとしている魔法の発動者が、真っ直ぐこちらを向いていなければ、の話だ。
おいおい……、とハンスが呆れるのと、レヴァンが走り出したのはほとんど同時だった。
自分が捕捉されたと思ったのだろう。目標されたものが人気のない場所にあれば、被害は抑えられるという考えだ。確かに、すぐに起こせる行動としては的確である。しかし、その考えはすぐに粉々に砕け散った。
発動された魔法は範囲設定型の大規模魔法だったのだ。
目標を捕捉する魔法に比べ、決まった範囲だけを攻撃する魔法は難易度が格段に低い。目標を捕捉するほどの技量がない者が、複数人集まって範囲型の大規模魔法を発動する意図は、ひとえに目標を逃さないためだろう。
レヴァンが舌打ちをする音が聞こえた。とそこで魔法も発動される。
決められた範囲に空気を圧縮した弾を数多く着弾させる魔法。発射された空気弾は地面をえぐるようにしてこちらへと飛んできた。
空気を使った魔法は事象を改変する力が少なくてすむため、難易度が低い。やはり攻撃した者はあまり技量はないようだ。そして、同時に知識も足りないようだった。
空気を圧縮するだけの魔法は一層式構成。構成が簡単な魔法ほど、それを崩すのも簡単なのである。
しかし数発ならまだしも、それはまがりなりにも大規模魔法だった。数百発はあろうかという大量の空気弾が相応の威力を持って近づいてくる。範囲には遠く離れた女性陣たちも入っている。声が届く距離ではないため、避けさせるのは無理だろう。見た限り攻撃に気づいた様子もない。
自らもその範囲内にいるというのに、全く慌てた様子もなくハンスは佇む。しかし、その視線はレヴァンへ。どうするのか気になっていた。
レヴァンがふと手を掲げた。そして何かに集中するように目を細める。
それと同時に戦闘の弾が内側からはじけた。
今度こそハンスは目を見張った。今レヴァンが見せたことをはっきり理解したのだ。
――確かに、人型の魔物だってことは聞いていたが……。
空気弾と相対したレヴァンが自分の前方、限られた範囲にだけ魔力を照射。属性展開とも言えない弱い魔力を空気弾一つ一つに干渉させていったのだ。
空気弾を形成する周りからの圧力。これを不安定にして、空気弾の暴発を促しているのだった。思い切って属性展開をしないのは、空気弾そのものを消すより、誘爆させたほうが対処する数が減るからか。
ちらりとカナンのいる方を確認してから、ハンスは安全を確認する。今のところレヴァンが全ての弾を無効化している。ハンスはのんびりと欠伸などをしながらも、注意をそらすことはしなかった。
レヴァンがちらりとハンスの方を見てくる。とはいってもハンスを見ているのではないことは、表情を見れば言うまでもなかった。ハンスの後方、カナンを含めて三人で話している、フロルとアミナに注意を払っていたのだ。
カナンを心配しないのは正しい、とハンスは思った。仮にも浄魔士、それも体術を極める装器士であるカナンは、たとえ至近距離から空気弾を受けたとしても、損傷を最小限に抑えるよう攻撃をいなすことが出来るだろう。そのように訓練されている。
にもかかわらず、先程カナンの方を見てしまっていた自分に苦笑するハンス。少し過保護なのかもしれないと笑みをこぼした。
ハンスは再び前を見る。そこで繰り広げられている魔力操作に感嘆を示す。
そこでふと、視界の端に動くものを見つけた。魔法の発動者である。
「そういえば、悪意のある攻撃だったな」
レヴァンが一人で何とかしているこの状況で、危険性を感じていなかったハンスが呑気につぶやいた。
そちらを注視すると、複数の男子生徒が見えた。数は四人。その手首には目立つ純白のブレスレットがあった。
――あれは……。
髑髏のデザインをした腕輪に見覚えがあり、ハンスはより注視する。しかしその男子生徒は、魔法がレヴァンによって防がれているのを見て忌々しそうに踵を返した。その折に一人が笛に一回息を吹き込む。
その音はない。犬笛の一種だろうか。そしてぞろぞろと揃って修練場を出た。教室棟の方へと戻るのだろう。
仕方ねぇ、とその後を追おうとするハンス。しかし直後ハンスは目の前のレヴァンに違和感を覚えた。いや、レヴァンから発せられている魔力に違和感を覚えていた。
「く……ッ!」
不可解な妨害を受けたように自らの魔力がかき乱されたことに、レヴァンが顔をしかめる。その様子を見て、ハンスは驚愕に目を見開いた。
――まさか、「イアクト」か!?
魔力の流れに干渉し、魔法を不発に終わらせたり逆に強化させたりできる道具のことを「イアクト」と呼ぶ。先程の笛は、おそらく魔力を振動させて不安定にする類のものだろう。
――だがイアクトは希少な鉱物を原料にしてたはず。一介の浄法院生が持てるような代物じゃねぇ。
本気で男子生徒たちの追跡を開始しようとしたハンスであったが、状況がそれを許さなかった。うめき声が聞こえ、その方へハンスは振り向いた。
魔力の部分展開が乱されたため、レヴァンは一度それを消して再び照射を開始したようだった。
が、もとより数が多い空気弾である。充分に展開しないまま、空気弾と相対することになっていた。
そしてレヴァンが次に取った行動に、ハンスは舌打ちをした。
――あのバカ……ッ!
レヴァンは自分自身の体を使って空気弾を無効化していた。つまり、空気弾をたたき落としているのだった。
数が多いために先程は魔力照射という手を使ったのである。それを、単身で止めようとするのは無理な話だ。レヴァン自身もただでは済まないだろう。
しかし、ハンスが舌打ちをした理由はそこではなかった。
ハンスが知るレヴァンの動きは、敵の攻撃を見切り、最小限の動きでかわすものだ。
しかし、レヴァンはそれを使うわけにはいかない。かわしてしまえば後方にいる者たちに危険が向かうからだ。
だからレヴァンは、「自分の体で直撃を受けてまで」空気弾を無効化しているのだ。
「がぁ……ッ」
魔力を体表面に張っているのか、威力の高い空気弾でも切り傷一つできない。しかし、魔力で受け止めるということは、その分衝撃が増すということ。おそらくレヴァンは、空気弾一つにつき自動二輪が突っ込んできたような衝撃を肉体に味わっているだろう。
その様子を見てハンスは、
「……」
何もしない。ただ観察でもするような目でレヴァンを見る。
そろそろカナンも気づいた頃だろう。そう思って、視線を後ろに向ける。さり気なくこちらを見ていたカナンにハンスはアイコンタクトを送った。
軽く頷いてから、残り二人に断ってから修練場を出ていくカナン。ハンスの指示を受け取って、先の男子生徒たちの正体を探りに行ったのだ。後は報告を聞いた師匠が何とかしてくれるだろう。
しばらく考えにふけっていた頭を強制的に停止させて、レヴァンの方へと意識を向ける。とそこで――
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「がぁ……ッ」
脇腹にぶつかった空気弾のせいで肺から空気が押し出される。
瞬間的な酸欠に意識をふらつかせながらも、レヴァンは脇を通りすぎようとしていた空気弾に魔力をまとった拳で裏拳を放った。
直後、不安定な空気弾が爆ぜる。近くの空気弾を巻き込みその辺一帯の空気弾を一気に爆発させる。 ――近くにいたレヴァンに爆風を浴びせながら。
それにも目を閉じることが許されない。次々に迫る数の暴力にレヴァンはもはや反射のみで動いていた。
魔力を展開する暇もない。必要な「溜め」をする暇がないのだ。
残りは三割といったところか。まだ数があることに気分を下降させながら、レヴァンは動きを止めることはない。
突き、払い、蹴り、叩く。
一見形のないただ身体を振り回すような動作。しかしそれは見る者が見れば自由で、どこか洗練されていた。
次々と困難を叩き落す。レヴァンはこの状況にどこか既視感を感じながらも、斜め前方を進んでいた比較的大きい空気弾をたたき落とした。
誘爆。その一帯の空気弾は一緒にかき消える。レヴァンはそこへの意識を切って反対側から来ていた空気弾に意識を向けた。誘爆を起こした場所の警戒は薄くても大丈夫。ここまでの対処法としては確かにそう判断しても仕方ない。しかし、そのためにここで裏目に出た。
誘爆したはずの一帯から、空気弾の一団がレヴァンを抜けていったのだ。
「しま……ッ!?」
完全に注意をそらしていたレヴァンには反応のしようもなく。空気弾は対処できないぐらい後方へと去ってしまっていた。
とそこで、
「なにしてんだ、役立たず」
そんな言葉とともに、その空気弾が斬られた。それも一つを斬って誘爆させたのではなく、一つ一つ全てを瞬間的に斬って、爆発はその結果に過ぎなかった。
とんでもない技量だった。それを成功させた武器が木刀だということが、レヴァンの感想に拍車をかけた。
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「なにしてんだ、役立たず」
――全く……。
言葉でも内心でも悪態をつきながら、ハンスは木刀をさやへ収める仕草をした。木刀にヒビが入っていた。
さすがに木刀で魔法を破るのは厳しい。
そんな感想を抱きながら、手元にない自分の愛刀が恋しくなった。
「ったく……師匠の言いつけだから仕方ないけどな」
浄法院内では、愛刀の代わりに木刀を持つことを言われていたハンスはため息をついた。そして、前方で先程より集中して空気弾を落としている馬鹿の姿を見る。
馬鹿なやつだ、とハンスは面白くなさそうな顔で思った。
――後ろで俺がカバーしてるって分かってんのに、なんで全部落とそうとしやがるんだ。どうして俺を頼ってきやがらな……。
と、そこまで思ったところで意識が止まった。自分が思ったことを振り落とそうと頭を激しく振る。
別に頼って欲しいわけではない。
そう誰かに言い訳するハンスなのだった。
レヴァンが最後の空気弾を叩き落とし、危機は去った。
「ハンス」
カナンは帰ってきていない。少し手間がかかっているようだ。カナンのことだから、みすみす逃がすことはないだろうが、バックに大きな組織でもついていたのかもしれない。
「おい、ハンス」
しかし例えそうであったとしても、師匠が何とかしてくれるだろう。そこは絶対の信頼が置くことができる。
「少しは反応しろよ」
肩を小突いてくる馬鹿に舌打ちしそうになるのをこらえ、ハンスは声の方を向いた。それでも嫌そうな顔は隠しきれていないだろう。
「……なんだ?」
「いや、そんな嫌そうな顔しなくても……」
馬鹿が困ったような笑みを浮かべて、頭をかく。しかし、ハンスはそんなところを見ていなかった。
鈍器で殴られたような痣。魔力の装甲を突き抜けた空気による裂傷。
レヴァンの身体中をそれらが覆っていた。おそらく現在進行形で痛みを伴っているだろう。普通なら痛みで気絶しているはずだ。
それなのに、レヴァンは顔色ひとつ変えずににこにこと笑っていた。
それにハンスは小さく舌打ちを漏らす。それに気づかないまま、レヴァンは口を開いた。
「ありがとな」
ハンスは、けっこう本気で殴り倒そうかと思った。
ハンスの衝動に気づいた様子もなく、レヴァンはさらに続ける。
「俺の力が足りないばっかりに、手伝わしちまってさ。ホント助かった」
足りないのはてめぇの脳味噌だ、と心の中でハンスが悪態をつく。
「……別に手伝ったわけじゃねぇよ。目の前に邪魔なものがあったから斬っただけだ」
内心とは違いながらも、本音を言ったハンスだったが、レヴァンは何がおかしいのか、にこにこと笑みを崩さない。
それはハンスのイラつきを増した。
「おかげで――」
レヴァンはフロルとアミナの方を見る。つられて見ると、二人は仲良さそうに魔法の練習をしているようだった。
「――二人も怪我せずに済んだようだし」
コイツはやっぱり馬鹿だ。
ハンスは思った。お人好しと言えばまだ救いがある――のかはわからないが、ハンスにしてみれば、甘すぎるというものだった。
誰かを守るために自分を犠牲にする。そんなものに価値など、ない。
自分の大切なものに傷ひとつ付けることなく、その上で自分も元気に戻る。それが最低限守らなくてはいけない常識だ。そうでないと、守ったはずのものも悲しい思いをすることになる。そのことを、ハンスは今までの人生で学んでいた。
だから、イラつく。
確かに目の前の馬鹿には多少力があるようだ。体術だけなら自分と同じレベル。魔力をうまく使えば、自分が負けるかもしれない。
しかし、その力を自分のために使うことを微塵も考えていない。自分がケガをすることで誰を悲しませるかをわかっていない。
ハンスは遠くの二人をちらりと見た。わかっていない。コイツはとんだ馬鹿野郎だ。
守りたいものは自分を強くするが、強くないと守れない。自分を守れない奴は強くはなれない。
師匠から言われたこの言葉は、ハンスの信念となっている。それに反するレヴァンにハンスはイラついたのだった。
だから、
「まあ、なんというか、とにかくありが……ってうおぁ!?」
突然振り下ろされた木刀を白刃取りするレヴァン。相変わらずの動きの良さにハンスは舌打ちを漏らした。
「おい! なんでいきなり攻撃を――」
「うるせぇ。訓練だ」
立て続けに木刀を振る。レヴァンは困惑したような表情のままそれを避ける。
うわぁ、とか、あぶね、とか騒ぎながら必死に避けるレヴァンの様子を見ながら、ハンスは嗜虐的な笑みを浮かべた。
コイツは馬鹿野郎だ。根っからの馬鹿野郎だ。自分を守ることもできない馬鹿野郎だ。だから、
ハンスは笑みを深くして、思った。
――自分を守る必要のないくらい強くしてやる。
ついでに自分の訓練にもなるしな、と後付けのように考えたあと、木刀の速度を上げる。
「その笑顔、こ、怖いぞ?」
「黙れ」
その後、陽が落ちるまで休憩も挟まず、ハンスは訓練を続けるのだった。
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「バタンキュー」
そんなことを言って、レヴァンは教室の床に仰向けに転がった。
放課後の教室。夕暮れももう終わるような時間帯。その中で、レヴァンは指一本動かすのも億劫になるほど疲労を感じていた。
「まさか、途中から教官も来るとはなぁ……」
「……それは大変だったね」
引きつった笑いを浮かべて労いの言葉をかけるのはフロル。レヴァンの傍らで床に座る彼女は訓練着ではなく、Tシャツとハーフパンツというラフな格好だった。
アミナはミグルスの検査があるらしく、教官に呼び出され、ここにいない。ハンスは、カナンに引っ張られどこかへ行ってしまった。直前の会話から察するに、買い物だと思われるのだが……ハンスの尋常じゃない嫌がりように背筋が寒くなったのは、レヴァンは胸の内に秘めておいた。
レヴァンはちらりと幼馴染の方を見て、すぐに視線を戻す。それに気づいたフロルが、声をかけてきた。
「? どうしたの?」
小首を傾げるフロルを見ないようにしながら、レヴァンは口を開いた。
「いや、おまえが治癒使ってくれたらいいな、てさ」
それほど消耗しているわけではなかった。たしかに疲労はあるが、休めば治る類。わざわざ治癒を使う程ではなかった。
しかし、レヴァンの姿を見てフロルは納得した様子。レヴァンは自分の思ったことをうまく誤魔化せたことにホッとした。
「ごめんね、使えなくて。なんか苦手で……」
「わかってる。おまえに丁寧な作業なんて似合わないよ」
なんだって~、と肩を小突いてくるフロルに、レヴァンは横たわったままフッと笑った。
――こいつが知る必要のないことだ。
レヴァンは自分の中でそう結論づけた。レヴァンは内心を表情に出さないまま、天井を見つめ続けた。その時に思い出すのは、先ほどの攻撃のこと。
――狙われている、なんて知らなくていいんだ。
先の生徒たちが放った魔法は、確かに範囲型であった。そして範囲型を使う場合、普通、範囲の中央に目標がくるように魔法を行使する。自分が魔物だからなのか、レヴァンにはある程度範囲を感じることができた。
そして、その中央に当たるのが、フロルだった。
一緒にいたアミナという可能性がないわけではないが、首席ということで何かと有名なフロルが目的と考えるのが普通だろう。主席という立場への嫉妬とレヴァンへの恐怖のせいか。
俺が何とかしないと。
招魔としての自覚を確かめて、レヴァンが決意を新たにしていると、
「ねぇ……レヴァン」
フロルが控えめに声をかけてきた。
「ん?」
聞こえてきた声に弱気な雰囲気を感じて、レヴァンは不思議に思った。いつもならからかいの一つ言ってきてもおかしくない状況であるにもかかわらず、今回に限ってこのような態度はめずらしかった。
「あ、もしかして帰りたかった?」
「い、いや、そんな事じゃなくてっ」
とりあえず思いついたことを言ってみたレヴァンだったが、違ったようだった。てっきり自分が引き止めるような形になっていたのではないかとレヴァンは思っていた。
そうじゃなくて、と言ってから落ち着くように一拍置くフロル。その様子にレヴァンはなにを言おうとしているか見当もつけられない。
不思議そうな顔で続きを待つレヴァンに、フロルは意を決したように口を開いた。
「後悔……してない?」
その言葉に固まったレヴァン。それを質問の意味を理解していないと取ったのか、フロルは繰り返した。
「私の招魔になって、後悔してない?」
レヴァンはフロルを見た。その不安げな顔。わずかに震える手を見て、レヴァンは反射的に答えていた。
「してないよ」
「……でも!」
尚言ってこようとするフロルを強い視線で制して、にっこりと微笑んでみせた。
意識的には違いないが、心からの微笑みを。
「たしかに辛いこともあったよ。忌み嫌われるのなんて、今でも慣れない」
でも、とレヴァンは続けた。
「アミナやハンス、カナンみたいに仲良くしてくれる人もいる。それは紛れも無くおまえのおかげだよ」
なんだかんだ言って楽しいしね。そういってレヴァンはフロルの頭を軽く撫でるように動かした。普通は恥ずかしさでレヴァンの手を払いのけるフロルだが、今回はされるがままになっている。
「それにさ」
手を動かしたまま、レヴァンは口を動かした。目を細めて、自らに言いきかせるように優しい声だった。
「ここにいたら、なにかやりたいことが見つかりそうなんだ」
なすこと全てが忌み嫌われた孤児院時代。いつのまにか目標というものを失っていた自分が、それを取り戻すことが出来るのなら、それはとてもいいことだと思った。
そして、支えてくれたフロルに恩返しがしたい。
最後の思いだけは言うことなく、口を閉じるレヴァン。沈黙が訪れるが、気まずい思いは微塵も感じなかった。
「……そっか」
フロルがこぼすようにそう言うと、微笑む。いつものような元気にあふれたものではなく、どこか儚げなものだった。
その笑顔に、レヴァンの目が吸い寄せられる。その美しい笑顔を見つめれば見つめるほど、心臓の鼓動が速くなっていく。
自分の異常に戸惑っているレヴァンの様子に気づかないまま、やがてフロルは「よしっ」と言って勢い良く立ち上がった。その表情にはいつものような元気いっぱいの笑顔が戻っていた。
「なーんだ。心配して損したっ」
「おいおい……それはひどくないか」
フロルが本気で言っているのではないことはわかっていた。
ほら行くよ、とレヴァンを立ち上がらせ、手を引いて帰宅を促すフロルはきっと悩み続けているだろう。レヴァンに対して負い目を感じていることだろう。
それでも、それを隠そうと頑張っている。明るくいようと頑張っている。そのことがわからないほど付き合いは浅くなかった。
だから、レヴァンも明るくしていることにした。いつかフロルが負い目を感じることなく自由になれる時まで。
「待てって。自分で歩けるよ」
そう言って、寮へ向かう帰路にレヴァンは一歩踏み出した。その時、
……ウォ……ォォン……。
なにか苦しげで、淋しげな獣の遠吠えを聞いた気がした。
「……ん?」
「どうしたの?」
「……ん、なんでもないよ」
やっぱりハンスとの訓練で疲れているのかな?
そんなことを思いながら、フロルにつられてレヴァンは寮へと帰っていくのだった。
訓練シーンの続きから。
今回は区切りが悪く、長くなってしまいました。集中力に自信のない人、ごめんなさい。