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王宮筆頭通訳官を辞めた翌朝、二国間の会話はすべて噛み合わなくなった  作者: ヲワ・おわり


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第53話 記録は嘘をつかない

「記録の魔法は、一度に複数を施せません」

 私は、会議場の全員に、はっきりと聞こえるよう、語った。立会人たちの顔を、一人ずつ、見ながら。判定を下すのは、この中立の重鎮たちだ。だからこそ、先ほど突きつけた理を、もう一度、彼らのために、平易に解きほぐす。焦らず、明瞭に。難しいことを、誰にでも分かる言葉で、伝える。それが、通訳という仕事の、本質なのだから。

「記録の儀式には、魔力と時間がかかります。ゆえに、書簡や条約は、施された順に、記録庫へ並ぶ。その並びは、後からは、変えられない。動かそうとすれば、記録の魔法に触れ、紙が焼け落ちてしまうからです」

 私は、バルトが届けた記録図を、卓上に広げた。立会人たちが、身を乗り出す。

「これは、ヴェルガの記録庫の、正確な並びを記したものです。立会人の署名つき。――ご覧ください。私が在職中に残した、本物の訳の記録は、当時の他の記録と、整然と、正しい順番で並んでいます。日付も、内容も、すべて、自然な流れの中にある」

 立会人たちが、記録図を覗き込む。真剣な、まなざしで。

「一方、ジェラルド殿が『証拠』として提出した、この誤訳の文書。記録庫における、その位置は――ここです」

 私は、記録図の、ある一点を指した。明らかに、流れから、外れた位置を。

「正しい並びから、明らかに外れている。後から、不自然に、割り込ませた跡がある。本物の記録の間に、無理やり押し込んだのです。記録の順番が、それを、雄弁に物語っています。これが、後から作られた、偽物である証拠です」

 会議場が、どよめいた。立会人たちの表情が、変わっていく。疑念から、確信へと。

 記録の順番。それは、言葉を扱う者にとっては、当たり前の知識だった。けれど、言葉を「右から左に流すだけ」と侮っていたジェラルドには、思い至らぬ盲点だった。彼は、記録の「内容」を偽装することばかりに、気を取られ、記録という営みが持つ、時間の秩序を、まるで、考えていなかった。言葉を軽んじる者ほど、言葉の奥深さを、知らない。その無知が、今、彼を、追い詰めていた。

「これが、何よりの証拠です。本物の記録は、整然と並ぶ。偽物は、後から割り込んだがゆえに、並びを乱す。――この文書は、私の在職中のものではない。後から捏造された、偽物です」

「で、でたらめだ!」

 ジェラルドが、立ち上がって叫んだ。顔は、蒼白だった。

「その記録図こそ、サルディアが作った偽物だろう! 信用できるものか!」

「では、確かめましょう」

 私は、冷静に応じた。動揺の欠片もなく。

「この記録図には、ヴェルガの記録庫の立会人の、正式な署名があります。中立国の立会人を、ヴェルガの記録庫へ派遣し、実際の並びを照合させればいい。記録の魔法は、書き換えられない。実物を見れば、すべて明らかになります。――もし、これが偽物だと言うなら、あなたは、記録庫の実物照合を、拒む理由がありますか?」

 ジェラルドは、言葉を失った。

 彼が封じた本物の記録は、消せない。記録庫の並びも、変えられない。中立の立会人が照合すれば、捏造は、必ず露見する。照合を拒めば、それこそが、やましさの証になる。逃げ道は、完全に、塞がれた。

 彼が頼みとした「記録の魔法」が、今、彼自身の捏造を暴く、最大の証拠となっていた。言葉を軽んじ、記録を軽んじた者が、その言葉と記録によって、裁かれる。なんという、皮肉だろう。

「記録は、嘘をつきません」

 私は、静かに、けれど、揺るぎなく、言った。会議場の、隅々まで、届くように。

「私が、何を訳し、いかに正確であったか。それは、あの光る羊皮紙たちが、永遠に、証言してくれます。誰に侮られようと、誰に忘れられようと――私の言葉は、誤っていなかった」

 あの文書庫で、殿下と交わした言葉。記録に残す責任と、誇り。それが今、私自身を、救っていた。あの時は、まさか、この知識が、自分を救うことになるとは、思ってもみなかった。私が、誰にも見られず、ただ正確であろうと心を砕いて残した、あの膨大な訳文。それが、声なき証人となって、今、私のために、立ち上がってくれた。

 形勢は、完全に、逆転した。会議場の空気が、ヴェルガから、私へと、傾いていく。立会人たちの目に、私への、信頼が、宿り始めていた。

 サルディアの貴族たちも、安堵の表情を浮かべていた。引き渡しを、と主張していた者たちも、今は、口をつぐんでいる。ロドリク侯は、組んでいた腕を解き、わずかに、口元を緩めた。私を、認めるように。殿下は、隣で、静かに、けれど、誇らしげに、私を見ていた。その視線が、背中に、温かく、感じられた。

 ジェラルドは、青ざめた顔で、立ち尽くしていた。彼の、完璧だったはずの計画は、たった一つの見落とし――記録の順番という、彼が侮った真実によって、根底から、崩れ去ろうとしていた。

 私は、立ち尽くす彼を、静かに、見つめた。かつて、私を「口寄せ役」と呼び、職と婚約を奪った男。私の人生を、踏みにじった男。その男が今、私の言葉によって、追い詰められている。

 けれど、不思議と、勝ち誇る気持ちは、湧かなかった。ただ、淡々と、真実を、明らかにする。それが、私の、戦い方だった。激情に任せて、相手を罵るのではなく。言葉に誠実な者として、ただ、事実を、積み重ねる。それこそが、私の、誇りだった。そして、その誇りこそが、彼を、最も深く、打ちのめしていた。

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