第十六話④
教室中が、息をのんだみたいに静まり返っていた。
さっきまでざわざわしていた空気が嘘みたいに止まっている。
その中心に、ちとが立っている。
制服姿で。
春野ヶ丘の教室に。
現実感がなさすぎて、私は瞬きすら忘れていた。
「え……」
「うそ……」
「小柴千都世って……」
小さなざわめきが、波みたいに広がっていく。
それも当然だった。
文化祭のあの日以降、メモリア・コードは顔出しで活動している。サウズが誰なのか、もう世間は知っている。
つまり、この教室にいる全員が分かってしまう。
目の前にいる転入生が、あのサウズだと。
「え、本人?」
「まじで?」
「メモリコの……?」
声があちこちから上がり始める。
綾香なんて振り向いたまま、目を見開いて完全に固まっていた。
私も人のことは言えない。
頭の中はずっと、なんで、なんで、なんで、でいっぱいだった。
ちとはそんな空気の中でも落ち着いていた。
一度だけ教室全体を見渡して、それから静かに口を開く。
「……知ってる人もいると思うけど、前の学校で少し問題があって、転校することになりました」
教室がしんとする。
問題、という言い方はぼかしているけれど、ちとらしいと思った。
言い訳もしないし、余計なことも話さない。
「芸能活動のこととか、いろいろ騒がれることもあって、学校生活を続けるのが難しくなった」
その言葉に、胸が少し痛んだ。
私は詳しい事情を知らない。
でも、ちとが学校を休みがちだったこと。普通の高校生活を送ることが簡単じゃなかったこと。それは知っている。
「だから、ここに来ました」
短く言って、少しだけ間を置く。
そして、ちとはほんの少し表情をやわらげた。
「……でも、この学校では、ちゃんと楽しく過ごしたいと思ってる」
その声は、さっきより少しだけ人間らしく聞こえた。
「有名人とか、バンドのメンバーとかじゃなくて」
一瞬、私と目が合った気がした。
気のせいかもしれない。
でも、胸が大きく鳴る。
「普通の高校生として接してもらえたら嬉しいです」
教室の空気が変わった。
騒ぎかけていたざわめきが、少しずつ別のものになる。
驚きから、興味へ。
興味から、受け入れる空気へ。
先生が咳払いをひとつした。
「……だそうだ。過度に騒ぐなよー。写真とかサインとかも学校ではなし。あくまでクラスメイトとして接すること。いいな?」
何人かが「はーい」と返事をする。
その声に緊張がほどけたのか、教室のあちこちから笑いが漏れた。
「サインだめかー」
「そりゃそうでしょ」
「でも同じクラスやばくない?」
「席どこになるんだろ」
一気に空気が柔らかくなる。
すごい。
ちとの一言で、こんなふうに変わるんだ。
私はただ呆然と見ていた。
先生が座席表を確認して、教室の後ろを指さす。
「小柴の席は……坂城の後ろだな」
その瞬間。
私の時間がまた止まった。
「……え?」
声が漏れた。
綾香が勢いよく振り向く。
高野くんまで少しだけこっちを見た。
ちとは何事もない顔で「分かりました」と答えて、まっすぐこちらへ歩いてくる。
一歩ずつ。
一歩ずつ。
そのたびに私の心臓がおかしくなる。
近い。
近すぎる。
後ろの席って何。
意味が分からない。
机の横を通る時、ちとはほんの一瞬だけ小さな声で言った。
「……よろしく、坂城」
外向けの声。
クラスメイト用の呼び方。
それなのに、耳の奥まで熱くなる。
「……よ、よろしく」
なんとか返した声は、自分でも分かるくらい変だった。
ちとは私の後ろの席に鞄を置いて、静かに椅子を引いた。
ガタン、と小さな音がする。
それだけなのに、背中越しに存在を強く感じる。
近い。
すぐ後ろに、ちとがいる。
恋人が。
秘密の相手が。
同じクラスで、しかも後ろの席。
新学期初日なのに、もう情報量が多すぎる。
前を向いたまま、私は浅く息を吸った。
落ち着け、私。
無理かもしれない。




