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70歳の一人部活  作者: 種田潔
18/19

川に落ちる

2022年4月3日、日曜日。


河川敷の上空は文字通り雲一つない青空が広がっている。

自転車でここにやって来る途中、川土手の桜は満開で、吹く風は肌寒いものの春爛漫の日曜日の午前9時。


今日は屋外での投擲練習を始めて四回目。

円盤投げ(1K)はずっと不調を極めている。

ベスト記録より10m近くも低い29m飛ぶのがやっとの有様で、円盤が重くなったのではないかと錯覚するほどだ。

マスターズ陸上の先輩たちが70歳を境に徐々に、あるいは急激に記録を落としたのを見て来たが、私にも同じ運命が訪れようとしているのだろうか。

それに加えて右肩が痛く、その痛みに耐えかねて昨日は何年かぶりにマッサージに行ってきたが、さしてよくなったようには思えない。


いくら投げても飛ばない円盤を、今日の練習はここまでと草に置いて、私は川の本流に流れ込んでいるすぐそばの小川に歩いて行った。

幅5mほどの川の水は澄み切って川底の砂の波紋まできれいに見えている。

鶯の声が遠くに聞こえ、もうしばらくすると蝶もこの河川敷にやってくるはずだ。先日はつばめの姿も見かけた。

草はまだ冬枯れの様相だが、もうしばらくするとクローバーやイヌノフグリが花を見せ始める。

「春風や 闘志いだきて 丘に立つ」という高浜虚子の句を思い出す。


(春だなあ)

私は川岸に咲いている菜の花を見ようと川岸に身を乗り出した。

その瞬間、右足が滑った。

とっさに手近な雑草をつかんだが、私の75kの体重を支えることなど想定外だった草はあっけなく抜け、勢いのついた私は土の川土手を滑り落ち、頭から小川に転げ落ちて行った。

4月の川の水は冷たかった。水ぶきがガラスの破片のように砕け散った。

全身ずぶぬれになった私は、水を滴らせながら滑りやすい川岸を犬のように四つん這いになって這い上がった。

河川敷に人の姿はなく、体から水を滴らせた見るも哀れな姿を人に見られることがなかったのは不幸中の幸いだった。


川に落ちたのはこれで二回目だ。

一度目は30数年前、当時住んでいた静岡県沼津市の狩野川でカヌーに乗っていた時のこと。

当時愛読していたカヌーイストの野田知佑の本に影響され、私もカヌーの川旅をしたいと思い、まずその手始めにと沼津市の広報で見た一日カヌー教室に参加した。

私の雄姿を一目見んものとやって来た、妻と幼かった娘と息子が川岸から私に声援を送ってくれていた。

パドル操作にも慣れた私が川の真ん中に差し掛かった時、突然カヌーがひっくり返り、私は頭を下に川の中でカヌーに宙づりになった。一瞬のことで何が起こったのか分からなかった私も、このままではまずいと、必死にもがいてカヌーから脱出し、インストラクターに助けられてあえぐようにして川岸にたどり着いた。

全身から川底のヘドロのにおいが立ち込めていた。

全身ずぶ濡れの私は、ヘドロの悪臭に包まれながら、妻と子供たちと一緒に家まで歩いて帰ったものだ。

しかしあれは夏だったので川の水こそ汚れてはいたものの、冷たくはなかった。

今の今まで、4月の川に飛び込むという酔狂なことなど思いもよらないことだった。


まあこれも川の水で禊をしたのだと考えようか。

円盤投げの不調もこれで厄を払い、次の練習日には大きなアーチを描いて飛んでほしいものだ。

なにせ4月の川に頭の先まで浸かったのだから。



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