92豆串
翌日、イレイナたちは滅びた都市国家を発ち、再び雪の中を進んだ。今日は幸いにも雪が降っておらず、かんじきを靴に括り付け、雪の上を歩いてかなり距離を稼ぐことができた。
ガウルの故郷はかなりの豪雪地帯だったらしく、彼は雪に慣れていた。火の番をしている間に即興で作り上げたかんじきのおかげで、イレイナたちは柔らかな新雪に足を取られることなく歩くことができた。
そうして、ネストたちはまだ午後早いうちに次の都市国家にたどり着いていた。
最初に訪れた場所よりもだいぶ大きいそこは、けれどやはり魔物対策として上部な石壁で街を覆っていた。外壁の先にはそれなりの広さの広場――一面白一色の畑があり、その向こうに内壁が存在する。そちらは半壊程度に住んでおり、さらに奥に住居が見える。
北の地にて最大だった都市国家フォエルナルン。ライオネス家で情報収集をして書き上げた手書きの地図に載っていた名前をネストは口の中で音にする。
「……古語の響き、かな」
「さぁ?」
この都市国家が滅びたのは百年ほど前。けれどこのフォエルナルンは元より外の人間を受け入れず独自の文化を気づいていたため、街では主流派ではない古い言葉が使われていたという。
文化の独自性を示すように、廃墟と化した街は異国風の装いをしていた。赤茶の土を固めたレンガで作られた家屋は円筒形をしている。天井は急勾配になっており、雪は積もることなく滑り落ちる。
広い街道のようなものがないのは、町中を馬車が走る文化がなかったためだと思われる。時折、家屋には狼と思しき動物の像が飾られている。
「なんか、不思議な感じだな」
狼の像の一体に触れながら、ガウルがポツリとこぼす。その石像は、広場のようなスペースの中央に鎮座していた。遠吠えをする個体、牙をむき出しにして唸る個体、そして体を丸めて座り込む個体。足先まで神経が通っているように錯覚するほどに、丁寧に作りこまれた作品だった。
「不思議って?」
「んー、こう、なんとなく落ち着く感じか?」
イレイナにそう返事をしながら、ガウルは言葉とは裏腹に落ち着かなさげに周囲を見回す。きょろきょろとあたりを見回すその姿は辺境から都会にやってきたおのぼりさんのようで、けれどここに彼を生温かい目で見るものはいない。
「……私はむしろ首の後ろがピリピリするけど」
首筋をさすりながらイレイナが告げる。油断なく周囲を見回すも、特に生き物の姿が見つかるわけではない。てっきり雪をしのげる場所として廃墟の中に魔物が巣食っているものと思っていたが、それは間違いだったらしい。まだ二つ目の街だが、廃墟と化した街には動物はもちろん、魔物一匹その姿が見えない。
何より街があまりにもきれいすぎるに違和感があった。
街はボロボロで完全に無事な家屋は数えるほどしか存在しない。形を保っている家屋の多くは今にも崩れ落ちそうな亀裂を走らせ至り、あるいはすでに半壊していた。
ただ、問題なのはそこではなかった。家屋の倒壊は予想通り。けれど、そこには戦いの痕跡が見当たらなかった。
例えば、血の跡。火魔法の焦げ跡や爪痕。何より死体の一つもありはしなかった。
街を襲った魔物が死体を食べつくしただけ――そう呼ぶには、街はきれいすぎた。
ただ崩れた家屋が存在するだけの底は、本当の意味で人の気配が感じられなかったのだ。
「……ガウル、血とか、腐敗した臭いはある?」
「いいや、ないぞ?それがどうかしたのか?」
「ないならいいわ」
少しだけ不思議そうに首を傾げながらも、ガウルはそれ以上イレイナに何かを尋ねることはなかった。
夜番は慣れた者が中間の時間を担当する。
四人の中で一番夜番に慣れていないのがベルコットで、だからこそ彼女は四番目を担当する。一方、イレイナたち三人は特に差はなかった。
だから、昨日から少し順番を変えて、イレイナ、ネスト、ガウル、そしてベルコットという順番で火の番に努めることにした。
今日四人が借り宿に選んだのは、街の中でもとりわけ大きく頑丈に見えた、元領主邸宅と思しき家屋だった。
その、屋敷の者がくつろぐためと思しきリビングのようなスペース。暖炉がある部屋に腰を落ち着けた四人はまだ日が高いころからあたたかな食事をとり、早めに休むことにした。
慣れない雪の上の移動に加えて、今日は日も出ていたために雪が反射する日差しがまぶしくて索敵にもかなり気を使った。精神的な疲労も大きく、火の番以外の者はすぐに深い眠りに落ちた。
イレイナは暖炉に薪を放り込みながら、料理をしたいという欲求と戦っていた。
ベルコットに料理禁止令を出されてからすでに四日。むずむずと落ち着かない気持ちになりながら、その気持ちをごまかすようにイレイナは火力を強める。
この屋敷を休む場所に選んだのは、倉庫に十分な薪が存在していたからだった。一部は虫に食われたりカビたりしていたが、大部分が問題なく残っていた。
そのため強く火をおこして薪を大量消費しても何の問題もなかった。
着こんでいるイレイナは汗ばむほどに火力を強めながら一人じっとしていた。
ちらとベルコットの方を見る。横になっているベルコットは深い眠りの中にいる。ネストとガウルも目を覚ます気配はない。仰向けになって眠るガウルのひげがぴくぴくと動く。
「……ばれなければいい。ばれなければ……」
こそこそと動き始めたイレイナは、荷物に入れてあった入り豆を取り出す。火であぶることによってカラカラに乾いた茶色の丸い豆。布袋から取り出したそれは、そのまま食べてもそれなりにおいしい。
けれど、イレイナがやりたいのは料理。
少し悩んでから、イレイナは雪を鍋に入れて暖炉のそばで溶かす。まだ料理と意識していないのか、雪はただの水へと変化する。
そこへ入り豆を加えて放置する。
魔力によって料理が変わってしまうのはすでに諦めている。ただ、今日に限ってはベルコットにばれないようにする必要があり、イレイナはその方向で料理のイメージを固める。
においが出ないように、煙が出ないように、音が鳴らないように。
ふやかした豆を水から取り出して手でそっと握りつぶす。本当はすり張りがあればいいのだろうが、残念ながらこの場にはなかった。
致命的な不器用のせいで周囲に豆の破片を飛ばしながらも、イレイナの料理は続く。
水でふやかした豆に、ふやかしていない豆を一割ほど加える。どちらも手で粉砕済み。ペースト状になったそれを練っていく。
気づけば茶色かった豆は赤くなり、気づけばなぜか青色に染まっていた。
食欲が減衰しそうな鮮やかな青。そのペーストを、イレイナは慎重な手つきで串に引っ付けていく。
イレイナが作っているのは、懐かしい故郷の料理。名前もそのままで「豆串」。こうして粘り気のあるペーストにした豆を串の周りに張り付けて焼いたもの。故郷では焼いた豆串を、香草をミルクで煮出した液につけて食べた。
もちろんこの場にミルクはないし、においで料理に気づかれないように香草を使うこともできない。豆単独であることを少し残念に思いながら、イレイナは豆串を暖炉で焼いていく。
煙が立たないように、においが出ないように、強い音が鳴らないように。イレイナのイメージを反映させる料理は、けれど他には一切制限を設けられていなかったせいか、おかしな変化を進めていく。
青い豆串は、表面にまるで金属のごとき光沢を帯びていく。のっぺりとした大判状の豆串はもう焼けているのかどうかもわからない。その見た目は、少なくとも好んで食べようとしている人がいるようなものではなかった。
ほんの少し、豆が焼けるにおいがイレイナの鼻腔をくすぐる。懐かしいその香りに頬を緩めたイレイナはハッと顔を上げてガウルの方を見る。
イレイナとは比較にならないほど高性能な嗅覚を有するガウルは、果たして悪夢でも見ているのか歯ぎしりしているものの、起きる気配はなかった。
ほっと息を漏らしつつ、イレイナは加熱を続けていく。
ガウルは暗闇の中にいた。
すぐにこれは夢だと思えたのは、もう何度もこの夢を見ているから。
左足が燃えるように痛かった。足を中心に全身に広がる違和感は、血液から全身に広がる麻痺毒のせい。袋をかぶせられたガウルの耳に、しわがれた老婆の声が届く。
魔女――ガウルの心に怒りの炎がともる。
魔女が告げる。どのようにガウルを殺すか、そんなことを楽しそうに話している。
目は見えず、口もきけず、助けを呼ぶこともできない。
怒りと、それを上回る絶望がガウルの心を占める。
それでも、ガウルはしびれる手足を縛ったロープをほどこうと腕に力を入れる。
腕は全く動かない。ロープはちぎれない。
あいつは、無事だろうか――友人の姿を思い浮かべながら、ガウルは唇を強く噛む。
自分だけが捕まるのならまだいい。けれど村にとって生命線にもなりうるリエルリルルが捕らわれることだけは防がないといけなかった。
植物に愛された少女。恵みの少ない森で生きている灰狼族にとって、彼女の存在は大きかった。
村長の娘であり、次代の灰狼族をけん引していく少女。彼女がすぐそばにいる可能性に、ガウルは気が狂いそうだった。
どうか無事でいてくれ――口の中に広がる血の味を感じながらガウルは祈る。
果たして、悲鳴が一つ、ガウルの耳に飛び込んでくる。リエルリルルの声がすぐそばで聞こえた。
魔女が笑う。
リエルリルルという優秀な“生贄”を見つけた彼女が歓喜の声を上げる。
や、めろ――声は、言葉にならず、ただ呼吸となって喉から漏れる。
やめろ。やめてくれ。彼女を傷つけるな。そいつは希望なんだ。みんなが、そいつを希望だと語っているんだ。だから、なぁ――
魔女の悲鳴が聞こえる。布越しでもわかる血の香りがした。
乱れた足音が遠ざかっていく。同時に近づいてくる足音が複数。
救出に来た大人に抱き上げられながら、ガウルは泣いていた。自分の無力さに、泣いていた。
頭を覆っていた布がはぎ取られた先、まばゆい光に目を細めて。
泣いているリエルリルルから目をそらす。
ふわりと、何かのにおいを感じた。これまで、この夢に登場したことのないものだった。
そのことを自覚した瞬間、ガウルの視界は再び闇に染まる。
闇の中。
トトトトト――と軽快な足音が聞こえた。
小さな振動。それを、けれどガウルの高性能な耳は聞き逃さない。
音は下の方から聞こえた。
下、下ってどこだ――そんなことを感じながら、ガウルは勢いよく飛び起きた。
「……ん?」
青い何かを口に運ぶイレイナと目が合う。大きく見開かれた空色の目と視線を交錯させたのは一瞬のこと。ガウルは土下座するように頭を床にこすりつける。
突然の奇行にイレイナが完全に動きを停止させる中、ガウルは目を閉じ、耳を澄ます。
トトトトト――やはり、地下から音が聞こえた。軽やかな、歩く音。
「……なぁ、この下って何かあるのか?」
「地下?……ワインセラーならある、かも?」
「……いや、もっと広い感じだ」
足音は遠ざかっていく。かなりの距離を進んでいる。そして、その足音は一つではない。反響して確実ではないが、声も聞こえる気がした。
そのことを報告すれば、イレイナは大きく目を見張る。
「……地下に、生き残っている人がいる?」
「あるいは魔物か、だな」
声量を抑えることなく話し続けていたため、会話のせいでネストとベルコットも目を覚ます。
寝ぼけ眼をこするベルコットが顔を上げ、ぼんやりとした目でイレイナを見て。
その顔が一瞬にして覚醒する。
「……イレイナ?」
どこか責めるような声音で告げる。イレイナはベルコットの視線の先、自分の右手へと目を向ける。そこには、光沢のある青い串肉が刺さっていた。
「…………はむ」
少しだけ悩んでから、ひとまず手に持っている串肉を口に運ぶ。まったく味がしなかった。外見からは想像できないほど、それは柔らかかった。まるでスポンジを食べているようなスカスカ具合だった。
「…………んー?」
自分の中のイメージと大きく乖離した味や触感に首をひねる。
イレイナを見るベルコットの額に青筋が浮かぶ。
「イレイナ。私、料理はダメだって言いましたよね?」
「魔物に感づかれたらダメなのでしょ?だからにおいも煙も音もなく料理をしていたわ」
「……はぁ」
汚れた部屋を見ながらベルコットはため息をもらす。イレイナがつぶした豆の破片があちこちに飛び散り、料理で使った道具は汚れたままあちこちに放置されている。少し前からは想像もできない散らかりように、ベルコットは強い頭痛を感じていた。
額を抑えながら小さく首を振るベルコットの肩に、ネストがポンと手を置いた。
わずかな期待を込めてベルコットがネストを見て。
「イレイナの料理は任せたよ」
「……ネストさんももう少し止めようとして下さいよ!」
すべてを任せるつもりらしいネストに、思わずベルコットは声を張り上げる。
「おい。それよりも今は地下のことだ」
始まったコントをガウルが止める。
地下――何のことかと顔を見合わせたネストとベルコットが、シンクロした動きでイレイナの方を見る。
「地下から足音が聞こえたらしいわ」
人がいる可能性がある――その言葉に驚愕をあらわにする。
時間は日が沈んで一時間ほどしたところ。
イレイナたちは地下空間の入り口捜索のために動き出した。




