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呪われし料理音痴イレイナの挑戦  作者: 雨足怜


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90魔女と獣人

 雪にのまれた廃墟。砕けた外壁の先に広がるのは、それなりの規模の街だった。

 そこには、人の気配などない。魔物の気配も感じられない。まるで時間が止まったように、氷と雪の中にあった。

 崩れた外壁に手を触れながら、ネストは目を細めてつぶやく。

「かつてこのあたりにあった都市国家の成れの果てみたいだね。このあたりにはこうした街があちこちにあるらしいよ」

 寒さ厳しい北の土地は満足な食料を得るのにも一苦労する。自然の中には深雪を気にすることもない魔物が潜んでいて、その危険性は変わらない。魔王が現れる前も、この北の土地は人にとって住みやすい場所ではなかった。

 けれど、それでも増え続けた人はその居住域を広げた。多くの人が寄り集まり、互いを守るように生まれたのが、大小さまざまな都市国家。魔法で作った外壁で身を守り、魔物を狩って糧とするようなそんな戦闘民族が暮らしていたという。

 そのことを証明するように、雪に半ばほど飲まれた廃墟のあちこちに動物をモチーフとした石像の姿が見られた。壁や柱にも動物が刻まれる。

「狩りの記録のようなもの、なのかな?」

「さぁ。ひとまず寒さをしのげればいいでしょ」

 この雪の中で眠れば待っているのは死だ。そう都合よく毎回洞窟が見つかるわけでもない。そんな中でネストたちがまだ雪が降る中で魔王軍の土地に侵入したのは、都市国家で体を休める計画だったからだ。

 降り積もる雪のせいか、街は一層わびしく見える。積み重なるがれきを雪が飲み込んで小高い山があちこちに見える。倒壊した一部の家屋は、魔物の襲撃に加えて雪の重量で壊れたかもしれなかった。

 比較的形を保っている家屋の一つに腰を押し付け、近くにあった風化した棚を砕いて薪とする。

 魔法具で火を興して暖を取る。外では風が強まり、びゅうびゅうと音が鳴っていた。夜が近づいているからか寒さも強まっている。

「これは壁のある場所じゃないと眠れないね」

 焚火に冷え切った手をかざしながらネストがぼやく。イレイナもまた濡れた靴を脱ぎ、冷えた足を吹きながら同意する。ベルコットは素早く薪の上に自作の三脚をセットし、その上に小さな鍋をのせてお湯を沸かし始める。

「……そんなに寒いか?」

 唯一平然とした様子のガウルが首をかしげる。三人の中で最も軽装であり、特に足などは靴も履いていない。そんな状況でも余裕でいられるくらいには、ガウルは寒さに強かった。

「その毛皮のおかげ?」

「自慢の毛皮だからな……って目が怖えよ。はぎ取ろうとかクソみたいなことを考えるんじゃねぇぞ!?」

「冗談。そもそもこれ以上服を着ても重いうえに動きを阻害されて満足に戦えない」

「でも温かそうですよ?」

「おい、ベルコットも何言ってやがる」

「そうだね。……おお」

 雪が降る中で歩いていたにも関わらず、すでにガウルの毛皮はすっかり乾いていた。熱を蓄えたフワフワの腕に触れて、ネストが感嘆の声を上げる。

「なんで触れてるんだよ。触るな!ちょ、お前もかよ!?」

 気づけばイレイナが反対側からガウルの左腕に触れて大きく目を見張る。手をワキワキとさせるベルコットがそれに続こうとする。

「やめろ!」

「あれ、ご飯はいらないの?」

「……食事を人質に取るつもりか!?卑怯な」

「ガウルが全く料理でいないのが悪いでしょ」

 むふーと鼻を鳴らすベルコットがイレイナと入れ替わりでそっとガウルの腕に触れる。

「おお」

「気色悪い手つきするな。なでるな。揉むな」

「別に減るもんじゃないでしょ」

「女だって髪に触れると切れるだろうが」

「女性と男性を一緒にしないでくださいよ」

「一緒だろ」

「一緒じゃない」

 言い合いを続けるベルコットとガウルだが、ポコポコとお湯が音を立て始めたのを聞き取ったベルコットはいそいそと焚火のほうに向く。

 四人分の薬草茶を淹れる。

「……ほぅ」

 顔を緩め吐息を漏らす。そんなイレイナを横目でちらちらと見ながら、ネストもまたお茶に口をつける。

「思ったより苦くないね?」

「香りと味と薬効のいいとこどりを目指しましたから」

「さすが魔女の孫娘」

「……あ?」

 魔女――その単語を聞いて、ガウルはカップに口をつけたところで動きを止める。

 次の瞬間、ガウルはカップを部屋の端に全力で投げつけた。

 舌をだらりとたらし、触れたお茶を手でぬぐい取る。

「……何してるの?」

 怒りに目を吊り上げながらベルコットが問う。その声以上に、ガウルの顔には激しい怒りの感情があった。

「魔女と、言ったか?」

「そうですけど、それが何か?」

「言われないとわからないのか。魔女が俺たちに何をしたと思ってるんだ!?」

 ガウルの怒りが、ベルコットには理解できない。そもそもベルコットは魔女ではない。魔女である祖母に薬の調合を軽く教わりはしたが、それ以上のところに踏み込んでいない。

 だから、魔女と獣人の怨恨も知らない。

 そのことを感じ取ったのか、ガウルは怒りを込めた大きなため息を吐き出す。白い息が部屋に消える。揺れる炎に目を細める。その目は、かつて目にした焚火を重ねていた。

 種族の長老たちから聞いた話を、ガウルが経験したことを思い出す。

「……魔女にとって、俺たち獣人は格好の獲物だったんだ」

 ガウルは語る。それは、己の探求心のままに動く魔女の悪い側面の行きつく果て。

 獣人は魔族と似ている。正確には、獣人に似ている魔族が存在する。

 ゆえに、獣人は魔族の一種ではないかと考えるものがいた。獣人は魔族と人の間に生まれ落ちた種族なのではないかという考えがあった。獣人は魔族寄りに進化した人類なのではないかと考察するものがいた。

 それらはすべて、獣人の迫害につながった。人間は魔族であろうが獣人であろうが気にすることなく討伐した。あるいは捕らえて、民の不満のはけ口にした。

 ただ、それはまだましなほうだった。

 為政者に情報を制限され、獣人は魔族の一種だと誤解していた民による殺意よりもまし――そんなことを、かつて魔女たちは獣人相手に繰り返していた。

 ある魔女は考えた。もし獣人が魔族に関係する種族であるのならば、獣人を支配する方法を生み出すことで魔族を、引いては魔物を支配する方法を編み出せるのではないかと。そんな考えから、魔女は無数の獣人で実験を繰り返した。脳に電流を流し、多種多様な毒物を摂取させ、四肢や臓器を人間のそれと取り換え、拷問し、刷り込みを試みた。無数の獣人の命が無残に散らされた。

 また、ある魔女は、獣人は魔族と人間という二つの種族をつなぐ、新たな人種であると考えた。魔族と人間。対立する二者をつなぐ奇跡のようなその存在は、人間が神に至るための道の途中ではないか。神を信奉し、神に至ることを望んでいた魔女は、獣人を改造することで神への道を模索した。

 あるいは、獣まじりの人間――不浄として、獣人を呪術の道具にする魔女がいた。残虐な方法で獣人を殺し、その血肉をもってして他者を呪い殺す。そんな道具として、獣人は消費された。

 その怒りを、憎しみを、恨みを、獣人は決して忘れない。キグナスによって人間とのわだかまりが解消されつつある中、それでも獣人は魔女という存在を決して許さない。魔女を殺すためであればその命を散らすことなど惜しくない――心から、そう思っていた。

「でも、それは昔のことですよね?」

 青い顔で確認するベルコットだが、内心ではそんなわけがないとわかっていた。ガウルは伝え聞いた先祖の話でこれほど魔女に怒りを抱いているのではないと、そう確信していた。

 聞きたくない。けれど、聞かなければいけない――魔女の親族として。

 ガウルは牙をむき出しにして、唸るように告げる。ベルコットに怒りを向けたところでそれはただの八つ当たりに過ぎない。そうわかっていても、怒りは止まらなかった。

「……俺も昔、魔女に狙われたことがある。森で狩りの訓練をしているときに毒矢が飛んできたんだ。そいつは、闇色のローブを被った、腰の曲がった女だった。ローブは、こびりついた血で真っ黒で、強烈な死のにおいを放っていた。幸い、すぐそばにいた大人が追い払ってくれたおかげで俺は捕らわれることはなかったけどな。それでも、あいつの笑い声は、今でも俺の耳の奥に残っている」

 どんな風に殺してあげようかねぇ。耳をそぎ落とす。内臓を摘出して半死半生の状態にする?あるいは五感を奪うのもいいかもしれないねぇ――そう、語った。

 こみ上げる吐き気を、口を両手でふさぐことで耐える。戦場で凄惨な死体に多少慣れているイレイナとネストも顔色を悪くする。

 ガウルの顔色はわからない。灰色の毛皮に覆われたその肌は、けれど見えていれば怒りで真っ赤に見えただろう。

「……わかっただろ。獣人にとって魔女は敵だ。魔王以上の敵だ。魔女だけでなく、魔女に便宜を図る人間も、魔女と交流のある人間もすべて悪だ。魔女はこの世界から消えないといけない」

「……おばあちゃんは、そんな人じゃ――」

「だからどうした?仮にベルコットの祖母が、慈愛に満ちた魔女だとしよう。ただ、その魔女の弟子が、その弟子が、悪行に身をやつさない保証がどこにある?系譜の先で、たった一人凶悪な魔女が生まれただけで多くの獣人が再び地獄を見る……なら、殺しておくしかないだろ」

 吐き捨てるように告げられた言葉に、ベルコットは何も言い返せない。

 狂薬の魔女は、既に一人の弟子を育てた。それはまだベルコットが生まれる前の話。その弟子がどこかで新しく弟子をとる。その弟子が弟子をとって、そうして魔女の系譜はひっそりと世界の片隅で続いていく。

 その先に、ただの一人も獣人を犠牲にしようと考える魔女が生まれないと、そう断言することなどできない。何しろ、これまで実際に、そうした狂気をはらんだ魔女がいたのだから。

「でも、多くの人を救う魔女を、魔女だからなんて理由で殺すのは間違ってる」

 それでも、“良い”魔女はいるのだと、ベルコットはこぶしを握って告げる。薬でたくさんの人を癒した魔女がいる。魔法具の開発に貢献して、生活を豊かにした魔女がいる。

 その言葉は、ガウルには届かない。ガウルの、ガウルたち獣人族の恨みは、そんな綺麗ごとで拭い去れるようなものではない。

「……魔女は悪だ」

 二人はどこまでも平行線を行く。

 沈黙が部屋の中に満ちる。やがてガウルは頭を冷やすと告げて部屋の外に出ていく。

「……はぁ。とりあえず料理は僕がするよ」

「別に、いやなら食べなければいいと思いませんか?」

「さすがにこればかりは部外者に近い僕には何も言えないよ」

 困り顔をしたネストが食事の準備を開始する。手伝う気にもなれず、ベルコットは代わりに先ほどガウルが投げたカップを回収する。

「……少なくとも狂薬の魔女はいい魔女よ」

「ありがとうございます」

 イレイナの慰めに、ベルコットは途方に暮れたような顔で告げる。寂しげなその笑みに、イレイナはそれ以上何を告げることもできず、ただ黙ってうなずいた。


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