58魔王の正体
グリフォンによって魔王軍が巣くう大陸北部へと移動したイレイナたちは、魔王が支配する土地の外で野営をしていた。
空はもうすっかり闇に沈んでいて、遠くでフクロウのか細い鳴き声が響く。虫のさざめきの中に、ぱちりと火の粉が爆ぜる音が混じる。
揺れる焚火をじっと見つめていたイレイナは、ふと視線を上げ、正面にいるベルコットのその後ろ、うっそうと生い茂る森を見る。
「……魔物でもいましたか?」
「いいや、エルフィードからの連絡」
すっと目を細めたイレイナが集中する気配を見せる。無言でその顔をじっと見つめていたベルコットは「やっぱりきれいになってる」と内心で思った。
これまでのどこか地に足がついていないような飄々とした雰囲気。その中に甘さと凛々しさが追加されているようにベルコットには思えた。
イレイナの変化の理由がネストにあるというのは、もう疑いようもないことだった。時々視線を合わせては、互いにあらぬ方を見る。そんな甘ったるいかかわりを見せられて、ベルコットはひどくげんなりとしていた。
失恋の傷がうずき、心の中で渦巻く感情を思いっきり叫びだしてしまいたかった。
何より、ここはいつ魔物に襲われるかわからないような場所なのだからもっと集中してと、そう言いたかった。
けれど、そんな気の抜ける空気を出しながらもイレイナの意識はこれまで以上にさえわたっていた。気配を森と同化させてじっと息をひそめているような魔物も、イレイナは誰よりも早く気づくことができた。その中には、まだ動いていないフォレストイーターもいた。腐葉土に半ばほど埋まってしまっているような察知困難なフォレストイーターを見つけられてしまっては、集中しろなんていうことは言えなかった。
むしろイレイナたちに意識を向けてしまっている自分の方が問題なんじゃないか――ベルコットは小さくため息を漏らす。
同時に、イレイナが大きく目を見開く。揺れる空色の瞳は、焚火の光を帯びて夕暮れのような色合いに染まっていた。驚愕と動揺はすぐに収まり、あごに手を当てて深く思索にふける。
ベルコットには精霊エルフィードの声は聞こえない。そもそも、声のように音でやり取りしているのかも定かではない。
唯一今もなお遠く離れた場所とやり取りできるのはイレイナだけだった。
「……精霊様は何を言っているの?」
「魔王についての情報ね」
パチリと、もう一度火の粉が爆ぜる。真っ赤な煤が空へと昇り、その途中でふっと光を失って姿をくらませる。それは、まるで自分たちの未来を暗示しているように思えて、ベルコットはわずかな寒気に体を抱いた。
魔王。それについては様々な議論がされている。曰く、魔王とは魔物の中から誕生した、すべての魔物を支配する能力を有した王個体である。あるいは、魔王とは異界より侵攻してきた人類の敵対者であり、都合よくこの世界で人類と戦っていた魔物に目を付けた。
あるいは、魔王とは人であり、復讐に狂った者が人類社会を壊すために魔物を使役するすべてを手に入れたと叫ぶ者もいる。
真実は、魔物から生まれた王個体、というのが一番近い。少なくともそれが、精霊と、精霊から話を聞いたイレイナたちの暫定的な結論だった。
魔王は、何らかの理由で精霊を取り込んだ魔物であるという。そうして精霊が司る力をそのまま宿したか、あるいは何らかの力に変質させた強い魔族が魔王ではないか。
だとすれば、魔王との闘いとはすなわち、精霊との闘いである。自然の化身でもある精霊と人類がまっとうに戦うことなど本来は不可能である。だが、精霊の力が宿ったとしても、精霊ではない魔物にその力を万全に使うことができるとは考えにくい。その弱体化が、勝利のカギの一つだった。
あるいは、弱ければいいのにという願望であったのかもしれない。
そして、やや焦燥と呆れをにじませながらエルフィードがもたらした情報は、魔王の強さを上方修正すべきものだった。
イレイナはテントで眠っているネストやスラシャ、アレインへと視線を向けてからベルコットへと向き直る。ひとまずは最低限の共有をしておくべきだと判断して、唇を舐めて湿らせる。
「エルフの国、エアリアル国でエルフィードが言っていたの。精霊を取り込んで王に至った魔族であっても、精霊や幻獣の敵ではないはず。それなのに精霊や幻獣が魔王を滅ぼそうとしないのはおかしいって」
そこでエルフィードは、魔王は精霊の力を取り込む能力を持っていると考えた。つまり、魔王を倒そうと精霊が立ち向かうほど、魔王は敵対する精霊の能力を奪って強くなってしまう。だから自然の調停者である精霊は、明らかにこの世界の摂理に反した魔王という存在を認識しながら排除せずにいるのではないかと。
それは確かに、一見正しいようにも思われた。けれど、それだけでは幻獣が魔王を倒さない理由が見つからない。
魔王は、人類も幻獣も敵とみなして攻撃している。拡大を続ける魔王の支配下には、かつては幻獣の住処も多く存在した。気高き幻獣は、けれど魔王に住処を追われてなお反撃している様子がない。その以上に、これまでは答えはなかった。
けれど、眠りから覚め、世界を観測し始めた精霊エルフィードは、最悪の状況を知ってしまった。
すなわち。
「精霊も幻獣も、魔王に立ち向かわなかったわけではなかった。ただ、そのすべてが、魔王を襲って帰らぬ存在となった。――つまり、倒された」
「精霊様が、倒された?」
幻獣であればまだわかる。幻獣と一言で読んでもピンキリだ。例えばイレイナが足として騎乗しているグリフォンは、飛翔能力にこそ優れているものの、戦闘においてはそれほど強くない。それこそ、ネストが相打ち覚悟で戦って勝利しうるくらいの強さだった。
魔王に住処を追われた魔物の中には、最強と名高い幻獣・ドラゴンもいたという。けれど、そのドラゴンも魔王に倒されてしまった。だが、ドラゴンとて生物の枠内の存在。急所に剣を突き立てられれば死ぬような存在だ――オリハルコンレベルで頑丈なうろこの存在を考慮しないのであれば。
だが、精霊が倒されたとなると話が変わってくる。大自然の化身、世界の調律者。強力な力を有している精霊相手に全戦全勝するなど、そのようなモノが世界に存在しているということが異常だった。
「幸い、今のところ精霊の死……消失によって世界が狂っていくことはないらしいわ。でも、細かい調節のためにエルフィードは手一杯になるから協力も難しいという話よ」
魔王討伐において、イレイナはエルフィードに協力を取り付けていた。恵みの化身であるエルフィードは、木々や大地に干渉する力を持つ。その能力によって、木々を動かして魔王を絡めとるような奇襲はできないかと話し合っていたのだ。
けれど、仮に魔王を倒せたところで世界が崩壊してしまっては意味がない。崩壊というのは大げさかもしれないが、このまま調節を怠れば天は荒れ、大地は揺れ、気温は狂い、地獄のような世界に陥りかねなかった。
天災の一つでもなすすべもなく数を減らす人類が、そのような天地がひっくり返るほどの大自然の試練を乗り越えることができるとは思えなかった。
――そして、エルフィードの増援が望めないこと以上に、最悪な事実があった。
「精霊や幻獣を殺した魔王は、“世界特攻”とでも呼ぶべき能力を持っているらしいわ」
「世界、特攻?世界に牙をむくような力ということですか?」
「エルフィードの話し方からすると、この世界の者にとって致命的に相性が悪い敵、という感じらしいわ。それこそ、世界そのものの化身でもある精霊や、世界を守るために存在する幻獣に勝利の目はないってことね。特に精霊なんかは、あらゆる攻撃が魔王には通じなかったと考えるのが自然だという話よ」
「とんでもないですね」
「そのとんでもない敵に、これから立ち向かおうとしているのだけれどね」
イレイナとってその先行きの悪さに深いため息を漏らすばかりだった。
世界特攻。それは、精霊はもちろん、この世界で生まれ育ったイレイナたちにだって有効な能力だ。その内容は、魔王が“この世界の存在ではない”という仮説を信憑づけるものだった。何しろ、世界に対する絶対的な優位性のある力が、魔王自身にも牙をむかないというのはいくら何でもおかしいから。
魔王はこの世界とは異なる世界出身か、あるいは魔王が宿している精霊の力が異なる世界のものであるか。
その答えは出ていなくても、魔王が脅威であるということだけはいやおうなしに突き付けられる。
「……綿密な作戦が必要ね。魔王を確実に倒すための作戦が」
イレイナという心強い存在をしてなお分が悪いという顔をする闘い。そんな場所に自分もついていこうとしているのだということをいまさらながらに実感して、ベルコットは小さく体を震わせた。
ついてこなければよかった――そうは思わない。魔王の情報も知らずに一人街に残ってイレイナとネストの帰りを待つ方が、ベルコットにとってはよほど苦痛だった。
かつて、冒険者として魔王との戦いに向かって帰ってこなかった父の背中を思い出した。まだまだ小さかったベルコットは、父の顔をほとんど覚えていない。ただ、強くて、すべてを包み込むような器の大きい人間であったと、そんな印象があった。
父と同じように、イレイナたちも帰ってこないのではないか。そんなことを心配して不安で眠れぬ夜を過ごすよりは、己の命を天秤に乗せてでも、イレイナたちの力になる方がよかった。
自分にできることを――じっと焚火を見つめながら、ベルコットはそんな決意をしていた。




