119料理音痴イレイナの挑戦
最終話です。
『……おかしい』
木々の間を飛びながら、悪魔デミゴブリンはつぶやく。
恐ろしさに顔を引きつらせながら左右を見れど、そこには数多いた同胞の姿は影も形もない。
魔王という絶対の支配者が消えて、最も活発になったのは力の弱い悪魔たちだった。弱くとも、凡庸な人よりは圧倒的な強さを有した彼らは、抑圧から解放されるとともに、我先にと人間たちに襲い掛かった。
実際に、人間は弱く、彼らを阻む存在は皆無に等しかった。
たまにそれなりの戦士に同胞がやられることもあったが、もとより命のサイクルが早いデミゴブリンの集団にとって、それは大した問題ではなかった――はずだった。
わずかな音がして、デミゴブリンは一層強く跳ねを羽ばたかせる。
人の頭ほどのサイズの、紫の肌の体が、翼の推進力によって限界以上に加速する。
翼膜が破れそうで、引きちぎれそうで、それでも、デミゴブリンは飛翔をやめない。
恐怖が、迫る。悪夢が近づく。
デミゴブリン――悪魔の間ではインプと呼ばれる彼は、その理不尽に叫ぶ。
『おかしいだろうが!』
恐怖をかき消すための声。あるいは、自らの専売特許を奪われたことへの、困惑の声。
悪夢が、そこにあった。
数多いた仲間は皆、殺された。いや、殺すなどという生易しいものではなかったと、彼は心の中で叫ぶ。
あれは、自分たちよりもいっそう、命を冒涜する怪物だ。あれの刃に触れた瞬間、自分たちは生物として在り方を究極的にゆがめられてしまう――
風が吹き抜ける。生温かい、不吉な風。
「……あ」
その風に、一瞬、赤い影を見た気がして、インプは声を漏らす。
「悪魔が……」
赤い髪をたなびかせ、自分たちよりもよほど悪魔的なそれに毒づいて。
冷たい刃が触れた瞬間、インプは魂からの悲鳴をあげる。
聞くもの皆がすくみ上るような、あらゆる動きを縛られるような、そんな絶叫。
その次の瞬間、インプの体はぼこぼこと膨れ、ゆがみ、変形して。
やがて、一尾の魚の形になって落下を始める。
紫の、焦げ跡がついた魚モドキ。それは落下中に白魚のような手の中に納まる。
「……んー、もう少し?」
つぶやくイレイナは空色の目を興味深げに細めて、紫の魚を見ながら首をひねり。
次の瞬間、その場からはイレイナの姿も、倒された悪魔の姿も消える。
そうして、森に静寂が戻った。
もうすっかり見慣れた扉をくぐり、背負っていたカバンを下ろして両肩紐を手に持つ。
「ただいま」
「お帰り……膨れ上がってるね」
出迎えたネストは、ややおびえながらイレイナの手元にあるカバンを見る。
限界まで詰まったその中身はすべてイレイナの「成果物」。
それは討伐した魔物自身であり、そして、ゆがめられた魔物料理だった。
イレイナの魔力は、料理に限って触れたものを変質させる特異性を有している。それが、イレイナの料理音痴の原因。
料理だと思った瞬間に、魔力は食材に干渉。その味をゆがめ、本来であればありえない化学反応を引き起こし、ありえないものを生み出す。
その多くはもはや食事などではなく、おぞましい「ナニカ」と呼ぶべきもの。イレイナが強くなるほどに魔力もまた確実にその効果を強め、希少かつ膨大な魔力を含んだ食材でもなければ、イレイナの魔力の影響を受けてしまうまでに至っていた。
その変質の方向性を制御することこそ可能になっても、イレイナの料理の味は改善しなかった。まるで、呪いのように。
ネストは何度もイレイナの料理を試し、悶絶を続けてきた。
さすがにその光景を何度も見ればイレイナだって学習する。自分が絶望的な料理音痴――味音痴であって、ネストにおいしいと思ってもらえる料理を作ることはできないのだと。
けれど、イレイナはあきらめなかった。
自分と一緒にいてくれると、そう誓ってくれたネストのため、イレイナは新たな奮闘を開始した。
料理の神に至ったイレイナは、苦戦しながらもその力を行使、そうして、変質の力をさらに強めた。
もはやイレイナは、触れるだけで相手を料理に変えることができる。料理という手段を経ずに、料理を生み出すことができる。
そのために、多くの悪魔がいけにえになった。膨大な魔力を有する悪魔は、おかしな変質をさせることなく目的の料理にするうえで最適の素材だったから。
そうしてイレイナは悪魔を駆逐しながら、ネストのための料理の研鑽に励んだ。ネストがおいしいと思える料理の開発を進めた。
引きつった笑みを浮かべながら、ネストが、そしてベルコットが、食卓に料理を並べていく。
今日はネストの誕生日。そのために腕を振るったイレイナの料理によって、食卓が埋め尽くされる。
紫をした、焼き魚の見た目をしたナニカ。ぞわぞわと、スライムのようにうごめく黒いスープ。白米と思われるそれは、一粒一粒が小さなバッタの姿をしている。添え物には青菜――を思わせる、しなびた細い悪魔のおひたし。かけられた茶色の液体は、悪魔の体液。
ネストは、心の中でアレイン・リシェントを呪った。
イレイナに故郷の料理の話をして、イレイナの師匠であるキグナス・リシェント――アレインの祖父である先代勇者が好きだったという料理を教えてしまったことを。その再現は、果たして、間違いなくアレインの語ったそれからは遠く離れている。
一体何をどう考えればこのような食卓を生み出そうと思うのか――ネストには、イレイナがわからない。
「それじゃあ、食べようか」
告げる声はひどく裏返っていた。顔は青く、唇はわななき、食べることを拒絶するように、腕は動き出さない。
それはベルコットも同じで、ちらとネストを見て、先に確認をしてくれと目で訴える。今日はネストの誕生日で、ネストのために、このようなご馳走ができあがったのだから――
目を閉じ、深呼吸を繰り返し、覚悟を決める。
一緒にいると、そう告げたときのイレイナの笑みを思い出す。ネストのために――そう言いながら頭を悩ませるイレイナへの愛おしさで心を満たす。
覚悟が胸に満ちる。それは、竜神との闘いに赴く時よりも、魔王と対峙した時よりも強い覚悟だった。
まず手を伸ばしたのは、紫の魚。液体よりも固体のほうが被害が小さいことを、ネストはここ最近の料理によって学んでいた。
表面の焦げまでもが変質で再現されているのが憎らしく、皮はパキパキと割れ、ふんわりとした身が姿を現す。
フォークでほぐすその身は、内側まで紫色。
だが、悪臭はない。触感だって、おそらくは最悪ではない。
フォークに乗せたそれを、じっと見つめる。期待する目で、イレイナがネストを見る。その視線に耐えられなくなり、やがて、ネストは固く目を閉じてそれを口の中に放り込んだ。
「………………」
沈黙が食卓に満ちる。
絶望を予感した視線と、期待に満ち満ちた視線。
二つの視線の中、ネストは無表情で咀嚼を続け、ごくりとのどを鳴らして。
「……………おいしい」
理不尽だと、そう言いたげな声を顔で、ぼそりと告げた。
イレイナの目が輝く。ベルコットが疑いの目を向ける。
「うそでしょ……焼き魚だ」
呆然と目を見開きながら、ベルコットは皮の下から覗いた紫の身を見つめる。それが悪魔であることをイレイナは理解している。肌の色やサイズから、おそらくはデミゴブリンであろうとも、あたりをつけられている。
とはいえ、ゴブリンだと思えば、まだ食べられた。ゴブリンの中には、普通に食用になっているものも多いのだから。悪魔ではなく、魔物のゴブリンに限定されるが。
おひたしも、汁も、主食も、ネストとベルコットが食べられる味をしていた。
今日は悲鳴を上げることもなく食べ進める二人を、イレイナはにこにこしながら見つめていた。
だが――と。ネストは、言葉をこらえる。せっかくイレイナが料理をしてくれたのだからと、その言葉を必死にのどの奥に押し込めようとする。
「……もう、我慢ならない」
ぼそりと、ベルコットがつぶやく。フォークを握りしめた手をプルプルと振るわせる彼女は、がばりと顔を上げてイレイナをにらむ。
「どうして、悪魔なのよ!?悪魔って、食べ物じゃないでしょう?人間を襲い、人間を食らう怪物でしょ!?」
人語を解し、人を襲う異界の怪物。そんな悪魔を好んで料理にするイレイナの感性が、ベルコットには理解できなかった。しかも、食材にするのではなく、悪魔自身を料理にする。一体だれが、そんな悪魔じみたことを思いつくだろうと、ベルコットはまくしたてる。
その怒りに、けれどイレイナは理解できないと首をひねる。
「おいしいでしょ?」
「……ああ、そうだね。確かにおいしいよ。おいしい、けれどさ」
材料が――この食事の一つ一つが悪魔だということに恐れ慄きながら、ネストは声を震わせる。せっかくこらえた言葉が、のどをこみ上げそして、口をついて出る。
「料理っていうのは、見た目も含めて料理だと思うんだ。いくらおいしくても、見た目が悪かったら、食欲が失せるよね……」
「そうですよ!この沼みたいな汁ものといい、バッタみたいなものの集まりの見た目の主食といい……見た目が最悪なんですよ」
「それ、バッタの集まりよ」
デビルローキャストという、あらゆる植物を食らいつくす森喰らいの一種だ――イレイナの語りに、ベルコットは遠い目をする。
「おばあちゃん、私は今虫を食べたんだって。悪魔の虫を……は、あはははは……」
壊れたように小さく笑い出したベルコットを不思議がりながらも、イレイナは「褒めて」と言いたげにネストを見る。
「……あのね、言いにくいんだけれど」
絞り出すように、ネストは告げる。これまで、ずっと言えずにいようとしていたことを。
「イレイナ。これはたぶん、料理じゃない」
「料理じゃ……ない?」
「料理っていうのは、食材に手を入れて、食べられるものを作ることだと思うんだ。つまり、生き物の存在をゆがめて、生きながらにして別のナニカに変えたこれは、たぶん料理じゃない、んじゃないかなぁ……」
イレイナは目を瞬かせる。ネストは、すっと目をそらす。
しばらく無言が続き、やがて、イレイナはゆらりと立ち上がる。
「少し、研鑽してくる」
「あー、行ってらっしゃい」
次の瞬間、イレイナの姿は一瞬にしてその場から消える。
突風を吹かせることもなく、爆音を響かせることもなく。
すでに、その動きはネストの目に終えるものじゃない。
テーブルの上には、料理モドキがいまだに並ぶ。うごめくヘドロのようなスープが口を開き、『ボェェ~』と異様な音を、声を響かせる。
「……次こそ、普通の料理が食べられるかな」
「イレイナはずっと料理音痴に、オリハルコンの剣を賭けるわ」
「……うーん、僕も同じ方にベットするから、賭けは不成立だね」
顔を見合わせ、二人は力なく笑う。
神になろうが、イレイナはイレイナ。
その呪いのような料理センスがぬぐえるものではない。
今日も、明日も、そしてその後もずっと、ネストたちはイレイナとともに生きる。
料理音痴なイレイナがいつかまともな料理を作れるようになる――そんな夢が現実のものになる日を、遠い目で思いながら。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
感想などいただけますと幸いです。
ネストたちが胃痛に悩まされない日が来ることを願って……




