93廃墟の地下
廃墟はすでにすっかり闇の中に沈んでいた。
空にちりばめられた星明りだけを頼りに、イレイナたちは地下へと続く道を探して歩きまわる。
ベルコットとネストが領主邸宅を、ガウルとイレイナは家の外を歩き回る。
日が落ちて一層冷え込んだ外は、暖炉の前のあたたかな空間との落差が非常に大きかった。急激に体が冷えていくのを感じながら、イレイナは神経を張り巡らせて違和感を探す。
地下にある巨大な空間。そこへ続いているだろう入り口。
仮に地下に生き延びた者がいて、100年もの間ずっと地下にいるというわけにはいかない。人間は太陽の光を浴びずに生きていけるほど強い存在ではない。食料だって足りないはずだ。
だから、確実に地上に出ているはず。つまり、この街が滅びてなお残る人の痕跡を探せばいい。
ガウルはにおいを頼りに、イレイナは石膏らしく地面のすり減り具合や踏み固められた雪を見極め、人の痕跡を探していく。
やがて、二人は一つの家屋の前にたどり着いた。周囲に立ち並ぶ建物と同じ、赤煉瓦の円筒形のそれは、まだ比較的形を保っていた。
その扉に使われた鉄の金具は、他とは違ってまだあまりさびていなかった。おそらくはそう遠くない過去に交換された。
なぜか?
「この扉は最近まで使われていたようね」
「ここらにだけわずかだがにおいがする。かなり弱いが、な」
言いながら、イレイナはためらうことなく扉に手をかける。鍵がかかっている。
「どうする?蹴り破るか?」
にやりと笑みを浮かべたイレイナがカバンから針金を取り出す。先端を曲げたそれを鍵穴に差し込み、しばらくカチカチの中で回す。
カチリと音がする。そっと力を籠めれば、扉はわずかにきしみながら開かれる。
「……すごいな」
「ダンジョンの宝箱を開けるときには必須技能だもの」
特に誇ることなく言いながら、イレイナは松明に火をつけて無言で家の中へと踏み込む。
わずかに埃っぽい。けれど、他の家屋、イレイナたちが使用している領主邸宅よりもまし。街が滅んでからも何者かの手が入っている。
俄然、生存者がいる可能性が濃厚になってきた。
部屋を物色するイレイナをよそに、ガウルは部屋の中をぐるりと見回す。
どうにも、無味乾燥な部屋だった。かろうじて置かれている棚は空っぽ。机やいすのような、生活に必要だろうものの一つもない。壊れた窓から光が差し込むあたりの壁がやや色を変えている。
「……何もないだろ」
「そうね。でも、何もないとわかっただけでも収穫ね」
わずかに埃っぽくなったイレイナが告げる。二階建ての建物の中には、生存者の詳細を知れるような情報は存在しなかった。
ただし、目的のものは見つかった。
それは、キッチンの床に存在した。
床に巧妙に偽装されたそれは、ほとんど気にならないくらいに足音が反響する地下への入り口。
壁にある仕掛けのスイッチを押すと、パカリと床板の一部分が開いて地下へと入り口が現れる。
松明を近づければ、下から吹き抜けるわずかな風に炎が揺れる。
穴の先には掘り固められた洞窟が広がっていた。
「……ひとまずネストたちを呼びましょうか」
「だな」
イレイナたちは情報の共有のために領主邸宅へと引き返した。
そのころ、ネストとベルコットは領主鄭を飛び出して夜の街をこっそりと進んでいた。
家屋の壁に体を隠す二人は、陰の先をそっとのぞき込む。
月明りの下、街を歩く小さな人影がそこにあった。
視線を真下に向ければ、雪を踏み固める小さな足跡。慣れた様子で暗闇の中を進むその存在は、ネストたちの見間違いでなければ人間の子どもだった。
やがて、子供は小路に身を躍らせる。
そっと跡を追ったネストたちがのぞき込んだ時には、そこに子どもの姿はなかった。
「……やっぱり生き残りがいるんですね」
「本当にいるなんて、ね」
その存在に気づいたのは偶然だった。一通り領主鄭の中を探し終えたネストとベルコットは、二階の窓から街を眺めていた。
その時、下の方で何かがきらめくのが見えた。それは、闇の中を歩く何かが持つ武器が星明りを反射した光だった。
顔を見合わせたネストたちは、そのまま人影の方へと向かうことにした。
相手はネストたちに気づいていないのか、ただぶらぶらと街をさまよって姿を消した。
イレイナたちと合流したネストは、ひとまずイレイナたちをその場所に案内した。
「こっちでよかったの?向こうはもう入り口が見つかっているんでしょ?」
「確かにそうだけれど、ひとまず複数の入り口があることを確認しておく方がいいでしょう?逃走時にも、相手が逃げる時にも、情報が多い方が有効よ」
「そうだね。……相手は、逃げるかな?」
「さぁ?少なくとも現状では何とも言えないわ。ただ、そもそも相手と言葉が通じない可能性を思うと、な」
イレイナの言葉に、ようやくネストはこの街に暮らしていた者と自分たちが異なる言語を使っていたことを思い出した。
言葉の違う相手がいきなり自分たちの住処に表れて驚かないはずがない。それこそ蜘蛛の子を散らすように逃げていく可能性もあった。
「……ここだな」
においから子どもが消えた方法を調べていたガウルが、壁の一か所に手をついて告げる。それは、この街においてはありふれた家屋の壁。ただ、そこにはスイッチらしき突起物があった。
「……とりあえず押してみるぞ?」
誰からも反対がなかったことを確認してから、ガウルはそっとボタンを押す。それと当時に壁で金属音して、扉の一部がくるりと開く。
現れたどんでん返しの先には、開かれたままの地下への入り口が見えた。
無言で扉を潜り抜けた四人は、そのまま地下へと続く洞窟に足を踏み入れた。
最初はかがまない進めないくらいの大きさ。けれど進む分には問題はなかった。
手作業で掘り進めたような長い道。わずかにでこぼこした壁や足元を松明の炎が照らしていびつな影を生み出す。
わずかな足音がひどく反響する。ベルコットは必死に足音を消そうとするも、そう簡単に音は消えてくれない。
すでに侵入は相手に気づかれているはず――そう考えながら、イレイナは警戒を続ける。
ベルコットがちらと隣を歩くガウルへと視線を向けて、小さく息をのむ。
まだあまり表情がわからないながらも、ガウルがひどく真剣な顔をしているのがなんとなく伝わってきた。
道は次第に大きく、広くなっていく。腰をかがめる必要はなくなり、さらには数人が並んで歩いても問題ないくらいの横幅になる。
「……」
地下は地上に比べて幾分か暖かかった。冷気をはらんだ風はわずかに揺れ動くのみ。乾いた空気は静寂を強め、その中に足音だけが響いていく。緩やかな下り坂の奥へと、音が消えていく。
松明の炎がパチリとはぜる。それと同時に、遠くからかすかな声が聞こえた。
それに、ガウルが強く反応する。
「ガウル!?」
ベルコットが悲鳴のように名前を呼ぶ。
牙のように鋭い歯をむき出しにしたガウルが闇の中を駆け出す。
松明の炎の光にその背中が照らし出される。焦燥のにじむ背中。
その太い脚で、全力で地面を踏みしめる。
すぐにイレイナたちもそのあとを追う。四人の中で最も聴覚に優れたガウルが駆け出したなら、相応の理由がある。
少なくともイレイナたちは、ガウルの行動に確かな理由があると判断するくらいには彼のことを信用していた。
果たして、ガウルは長く続いた通路の先で足を止めていた。
その背中に追いついたイレイナは、松明を掲げることもなく、その先に広がる光景に息をのんだ。
「……は?」
ネストの間の抜けた声に反応する者はいなかった。それくらい、目の前に広がる光景に誰もが目を奪われていた。
そこには、大きな空間が広がっていた。魔法具の明かりに照らし出された、大きな地下空間。広さは、上に広がる街の半分以下。壁のあちこちに取り付けられた明かりに照らし出されるのは、無味乾燥とした土肌と、広場を隔てるいくつもの木の柵。そして、その中で座り込む人間の子どもたち。
襤褸をまとった少年少女の首には鎖が繋がれ、それは広場の中央にそびえる鉄の柱へと伸びていた。
少年少女はピクリとも動かない。ただ身を寄せ合い、息をひそめるようにじっとしている。
まるでミニチュアを見ているようだった。あるいは、質の悪い夢。
「……嘘」
それは誰の言葉だったのか。ベルコットのつぶやきは、全員の思いを代弁したものだった。
それはあえて表現をするならば「人間牧場」。
人間を捕らえ、家畜のように柵の中で育てる行為。
目の前にある光景に、ベルコットは恐怖が止まらなかった。
魔族の、悪魔の仕業か――そう考えたイレイナとネストは、慌てて地下空間の中に魔族の姿を探し出す。
二人が“飼育者”の姿を見出すよりも早く、反応を示したものが一人。
ギリ、と強く歯を食いしばる音が響く。その音の発生源はガウルだった。
頭頂部にある耳を、黒い鼻をしきりに動かすガウルは、心の弱い者であれば射殺されてしまいそうなほど鋭い目をしていた。
血走ったその目に浮かぶのは、憤怒。
「俺たちは、こんなことを望んじゃいない……ッ」
魂から絞り出すように叫んだガウルが穴の先へと飛び出す。
広場までの高さは三メートルほど。すぐわきに岩肌を掘る形で階段が作られていたが、それを使うような余裕はなかった。
「俺たちを侮辱してるんじゃねぇぞッ」
叫びながら、ガウルはただ一点を目指す。そこには、一人の少年に首輪をつなごうとする狂人の姿があった。
それは、黒色の毛をしていた。全身が真っ黒な毛皮で包まれた、二足歩行の狼――狼獣人。黄金を溶かしたような瞳が揺れて、ガウルの姿を捕らえる。
ニィ、口が割れ、真っ白な牙と赤い口内が空気にさらされる。
ガウル渾身の爪撃は、黒狼の獣人の掌の中に収まった。身長三メートル近い獣人の膂力は、ガウルの力を軽く上回っていた。
「……お前たちは、ここで何をしているッ」
「何、か――」
下種な笑みを浮かべる黒狼は周囲を見回し、自らの奴隷である少年少女を嘗め回すように見る。
醜悪な視線にさらされても、少年少女は何の反応もしない。それは当然だ。何しろ、彼らはこの場所で生まれ育ち、自分たちが知恵ある存在だと知らないのだから。
自立することを知らない。自分たちが何者であるかもしれない。自分たちが置かれた状況が、狂気の中にあることも知らない。
憐れな囚人たち。
意思なき暗い瞳を見て、ガウルの視界が明滅する。激しい怒りが背筋を張って脳にしびれるような刺激を与える。
「……獣人を侮辱してんじゃねぇぞ!」
黒狼につかまれた手に力を込めて体を引き上げる。顎を狙った蹴りは回避され、ガウルは後方へと投げ飛ばされる。
憤怒の中にありながらも、ガウルはやけに冷静だった。圧倒的な体格の差と、動体視力、戦い慣れした動き。強いと、素直に認める。
視界が広かった。周囲すべての様子が、手に取るように分かった。
広場の周りには、ガウルたちがやってきたところとは別に複数の通路が存在していた。そして、そのうちのいくつかから、目の前の獣人と同じ、黒毛の狼の獣人が姿を現した。
その体格は、けれど目の間に立ちはだかる者より小さい。それでもだいたい二メートル半の慎重に、筋骨隆々とした体つき。戦闘経験を証明するように、毛皮の隙間に大きな古傷が見える個体もあった。
「お前たちは、何だ?」
抽象的な問いかけに、リーダーと思しき巨狼獣人は顎に手を当てて少し悩むそぶりを見せる。やがて、ニチャァとねばつく笑みを浮かべ、黄金の瞳を狂気にきらめかせる。
両手を広げ、謳うように、高らかに告げる。
「オレたちは黒狼族。この地の守護獣であり、それはその統率者ギルベスギアス――神だ!」
神――そう告げた瞬間、巨躯の黒狼獣人ギルベスギアスの存在感ともいうべきものが膨張した。
全身に力が満ちる。否、体の奥底にとどめられていた力が、解放された。
強烈な圧が吹き荒れる。ギルベルギアスの体躯がさらに大きくなる。身長五メートル。まるでこの広い空間に適応するように巨大化しがギルベルギアスは、片手に捕まえていた人間の少年を放り捨て、鋭い爪をむき出しにしてガウルに対峙する。
「神……お前のような神がいてたまるかッ」
ガウルは神など信じていない。ましてや、獣人の神などいるはずがないと思っていた。
だって、獣人が絶望的状況にある時、救いの手が伸ばされることはなかったから。魔女に神罰が落ちることはなかったから。自分が魔女にとらわれたとき、救ってくれたのは同じ獣人だったから。
だから、ガウルは神を信じない。獣人には神がいない。信じられるのは、同じ獣人だけ。暗い過去を共有する相手だけが、真に心を開ける者――そう、思ってきた。
だから、目の前の存在を否定しなければならなかった。
自分たち獣人に暗黒時代をもたらした魔女と同じ悪行に手を染める、あまつさえ神を名乗る畜生を滅ぼさねばならなかった。
「お前は神じゃないッ」
気炎を吐いたガウルは、弾丸のようにギルベルギアスに向かってとびかかった。




