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35 消えた聖女

 なんとなく屋敷の中がピリピリする。

 何がどう違うのかは分からないけれどリュカはそう感じていた。

 それは昨日フィリウスが戻ってきてからだ。いつもなら夕暮れ、またはもう少し遅い時間に城からもどってくるのだが、昨日はまだ日のあるうちに帰ってきた。

 結婚式の準備もあるけれど、最近は聖女の式典への参加に向けた準備で、屋敷での仕事は無くなり毎日登城していたのだ。それが帰ってきたと思ったら執務室にこもり、夕食は一緒にとったけれど、唐突に少し屋敷の手入れをするので、しばらくは庭の散歩を控えてほしいと言われた。


「神殿での結婚式の後はこちらの屋敷に人を招きますので。今から少しずつ庭や屋敷内なども手入れをしていくのです。その為専門の職人なども入ります。作業の関係でリュカ様にはしばらくの間ご不便をおかけする事になりますが、よろしくお願いいたします」


 家令のマリヌスからも、フィリウスの言葉を補うようにそう言われて「分かりました」と答えると、フィリウスが声をかけてくる。


「おんしちゅにいきたいときは、わたしといっちょにいこう」

「うん。でもフィルは大丈夫なのかな。仕事が忙しいんじゃないの?」

「りゅかとおんしちゅにいくくらいのじかんはありゅ」

「そう? それなら行きたくなったら手紙を書くね」

「ああ、そうしてくりぇ。もちろんちょくせちゅいってくれてもだいじょうぶら」

「うん。わかった」


 そんなやりとりにホッとしたリュカだったが、それが一日、二日と経つうちに最初に感じたような違和感やピリピリとした空気が強くなっていくのを感じ始めた。

 確かに職人が出入りをすると言っていたけれど、庭どころか窓際にリュカが近づく事さえ声がかかる。


「何かあったのかな……」


 さらに今までは護衛とサーヴァントの二人が一緒に移動していたのだが、今は護衛もサーヴァントも二人ずつ以上が常に傍にいて、部屋を移動する時には護衛がさらに増え、食事もフィリウスと一緒の時以外は部屋でとるようになった。


「しゅまない。こんやくしきのことがあったので、いえのものではないしょくにんがでいりをちているからごえいをふやちたんら。きにはなりゅだろうが、しばりゃくがまんをしてほちい」


 フィリウスの言葉やウィクトルの言葉が信じられないわけではない。けれどどうしてこれほど、何を警戒しているのか。

 その答えはさらに数日してから、フィリウス自身から告げられた。


「りゅか、だいじなはなしなので、きょうはじどうしょきをちゅかう」

 いつもよりもずいぶん遅くなって屋敷に帰ってきたフィリウスはそう言って応接室にリュカを呼び出した。

 フィリウスの隣にはガゼボで話をした時のようにウィクトルがいて、リュカに「よろしくお願いします」と頭を下げる。

 一体何が始まるのか。大事な話とは何なのか。日々大きくなっていくような違和感や緊張感はどこから来るのか。

 テーブルセットの椅子に向かい合わせに腰かけて、フィリウスの斜め後ろの席にウィクトルが座ると、フィリウスは見慣れたペンを取り出して、自動書記魔法を発動させた。


「それでは私からフィリウス様のお言葉を伝えさせていただきます」

「……よろしくお願いします」


 リュカが頭を下げるとウィクトルは手元に溜まっていく紙に目を落として、口を開いた。


『まずは、不安な気持ちにさせた事を謝りたい。そして、今何が起きているのかを説明したいと思う。一週間前、聖女アヤカが無事にルーチェアットに到着したという連絡がきた。けれどその翌日、神殿内での王族との非公式の顔合わせの際に、突然姿を消したという報告を受けた』

「え?」


 思ってもみなかった事にリュカは思わず声を上げてしまった。


『消えたというのがどのような事なのか召喚国として調べるために急ぎ、神殿間の特別な転移門の許可を取り調査隊を向かわせた。だが、現状では聖女アヤカの消息は分かっていない。生死もだ。神殿内から何者かに連れ去られたという可能性は低いというが、全くないわけではない。マグナシルヴァ内では彼女が使える魔法に転移は認められていない』


 目の前が真っ暗になるような気がした。聖女としてこの世界に召喚された彼女。巻き込まれたリュカの事も彼女なりに心配していた。そして心が疲れてしまって婚約式にやってきた時も、彼女なりに頑張ろうという気持ちで帰っていった筈だ。

 お互いに幸せになろうと言っていた。

 彼女がこの国から旅立つ時も会う事は出来なかったけれど、青い薔薇の花を贈った。


「み、見つけてください」

「もちろんしょのつもりら」


 リュカの言葉にフィリウス自身が返事をした。そして……


「りゅか、ここかりゃがほんだいら」

「本題?」


 ペンが動き出してウィクトルの手の中に新たな紙が落ちた。


『聖女に万が一の事があった場合は、聖女召喚をやり直す事になるらしい。その際、その聖女と関りのある者が在ってはならないとルーチェアットから言われた」

「…………関りのある者……え……それって……」


 リュカの顔からサァ~ッと血の気が引いた。これだったのだ。リュカは理解した。

 この為に屋敷中がピリピリとして、皆がリュカを守るために警戒をしていたのだ。


『リュカに話していない事がある。使徒は過去に一度と聞いていたが、実は二度この世界に来ている』

「…………二度、俺が三度目?」

『召喚国の宰相と婚姻を結んだのは二人目だ。一人目は聖女召喚についてきた在ってはならない者として切り殺されているそうだ。その際殺した者は即座に亡くなり、その国は原因不明の病が流行り多くの者が命を落とした。二人目も実は殺されそうになったが、城の中に雷が落ちた。神の怒りとして宰相がその者の後ろ盾となり、その後縁を結んだのだそうだ。この事は十一の大国の王家と神聖国ルーチェアットの大神官に語り継がれているが、今回の事で私も王より聞き、リュカに伝えさせてもらった』

「俺が……聞いても……」


 いいのだろうか。けれどその答えは再びフィリウス本人から帰ってきた。

「りゅかにこそ、しりゅけんりがある」

「…………フィル」


 リュカはクシャリと泣き出しそうに顔を歪めた。


『なぜ話をしたのか。我々マグナシルヴァはこの事を使ってリュカを守るつもりだからだ』

「フィル……」

『聖女の安否が明らかになるまでは、使徒に手を出してはならない。召喚国としてそこは譲れないと主張する。再召喚を行ってから聖女の無事が確認されれば、どのような事があるか分からない。元より、消えた聖女が排除されたのであれば、我が国だけではなくこの世界に禍が降るだろう』


 フィリウスはリュカを真っ直ぐに見つめた。


「だいじょうぶら。せいじょアヤカはかならじゅみちゅける。そしてりゅかのこともかならじゅまもりゅ。わたしは、かのじょからりゅかをしあわせにするとやくしょくしたからな。しばりゃくはふべんをかけりゅがこらえてくりぇ」


 ピリピリしたものが融けていく。その代わりに温かいものが胸の中に染み込んでいく。

 リュカは頷きながら「はい」と答えつつ、彩夏の無事を祈った。


 

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