22 救出
注意:少し暴力的な表現があります。
苦手な方は飛ばしてください。
後の回で何が起きたのか、その原因と一緒にさらっと触れる予定です。
「あははは、怖いんだ? それならいう事をきいて婚約を解消しなさい。それともそこから飛び降りますか?」
どこか楽しそうな声にリュカはゾッとした。人が死ぬ事をなんとも思っていない、そう思えたからだ。
ここは今日の会場であるホールと同じ三階だ。しかも日本と比べて天井が高いので結構な高さがある。そのバルコニーから飛び降りたら、怪我ではすまない可能性が高いだろう。
それが分かっていて飛び降りろと言っているのだ。
しかも婚約式は午後から始まったけれどまだ外は明るく、空は茜色がうっすらと滲み始めているが日没までにはもう少し時間があって、庭師がこの日の為に整えた美しい庭もはっきりと見える。
そんな中でこの青年はあまりにも異質だった。
「…………どうしてこんな事をするんですか? 貴方は誰ですか?」
「………………生意気な。元は平民なのだろう? 身の程をわきまえろ」
途端に眉根を寄せた青年にリュカはさらに話しかけた。
「私は、貴方に会った事がありません。だからどうしてこんな風にされるのかが分からなっ、がっ……!」
けれどその言葉を最後まで言う事は出来なかった。
彼は憎々し気にリュカを睨みつけてその手を前に伸ばした。彼の手はリュカに触れてはいない。それなのに首を掴まれた感覚と共に少しずつ身体が浮き上がっていくのだ。
「ぐ……ぁっ……」
苦しい、痛い、苦しい……
「ああ、そうだ。会った事がない。見たくもない。お前の存在が許せない。どうして、どうして、あの方の隣にお前がいられるんだ!」
見えない手に首を掴まれたまま、尻もちをついてバルコニーに座り込んでいたリュカの身体はすでに膝立ちの状態になっていた。締め付けている手を外そうと自分の首に手をやるけれど、何もないそこをリュカ自身の指が滑る。
「……がぁっ……っ……ぁ……」
開いた口から涎が落ちて、苦しさに涙が滲んだ。
首を絞める手がない事が分かっていても、苦しさから逃れたくて首を掻きむしるリュカの姿を楽しんでいるかのように、見えない手はすでに足の力が入らないまま立ち上がらせたリュカの身体をさらに上に引き上げる。
「……あぁっ……ぃ……が……っ」
ぼんやりとしはじめた視界の中、リュカはこんな風に自分の命は終わってしまうのだろうかと思った。
婚約式の日に、誰か分からない男に、理由も分からず恨まれて殺されるために自分はこの世界に引き寄せられたのだろうか。
「…………ふぃ……」
あともう少し持ち上げられたら、足は床から離れるだろう。もっとももうそうなっているのかもしれない。
『りゅか・わしゅとぅーる。よいなだ。あなたにとてもにあっていりゅとおもう』
ふいに浮かんできた言葉に涙が頬を伝った。
新しい名前は驚いたけれど、嬉しかった。嬉しくて、本当に、ここで……生きていこうと思ったんだ。
「…………ぃる」
その瞬間、部屋の扉が開いた。
「りゅか!」
首を押さえていた力がふっと消えて、そのままバルコニーの床に崩れ落ちる筈の身体が、グインと引き寄せられたのが分かった。
「っ……が……ゲホ!……ぁが……ゲホゲホ! っ……がは!」
うまく息が吸い込めずに咳き込んで、その苦しさに身体を丸めてヒューヒューと喉を鳴らしながらまた咳き込む事を繰り返すリュカの背をさすっている小さな手にブワッと涙が溢れてまた咳き込む。
「もう、だいじょうぶら。しゅぐにちゆしがくりゅ!」
そう言いながら上半身の下に柔らかな布のようなものが差し込まれるとほんの少しだけ楽になった。それでも声は出ないし、目もうまく開けられない。
「……っ…………」
「しゃべりゅな! りゅか! りゅか! いきをしりょ! りゅか!」
落ちていきそうな意識の中で沢山の足音と「捕縛!」という声、そして「フィリウス様! フィリウス様!」というあの青年の声が聞こえた。
「どうしてですか! 誰とも一緒にはならないと! 傍に置く事はないとおっしゃったではないですか! その者が許されるなら、どうして私はお傍に置いていただけなかったのですか!」
「…………ちゅれていけ」
「フィリウス様! それがいなければ私はお傍にいられるのでしょう? 隣にいるだけが許されるなら私でも! いや、離せ! フィリウス様! いやぁぁぁぁぁ!」
声が遠ざかっていくのと同時に意識も遠くなっていく。ただ掴まれた感覚のまま掻き毟った首が痛くて喉が苦しい。
「治癒士が参りました!」
「りゅか! しゅぐになおりゅ! もうだいじょうぶら!」
「公爵様、こちらで応急処置をしてからお部屋の方にお移しして、完全治癒魔法をかけます」
「まかせりゅ」
その声を最後にリュカの意識は落ちた。