束縛からの解放と、思わぬ置き土産
瀕死の状態となった俺を覗き込んでくる"淫蕩を腐食させる者”。
絶体絶命の最中、俺が感じたのは2つの喪失感だった。
一つは左手で差し出したBL漫画の原稿用紙。
それがわずかに引っ張られるような力を感じたかと思うと、"淫蕩を腐食させる者”が俺の手から引き抜き、自身にとってどれほど大事なものであるかを示すかのように、両腕でしっかりと書きかけの原稿用紙を抱きしめていた。
それと同時に、ガチガチに拘束されていた右腕も軽くなったかと思うと、血を吸いあげていた原稿用紙がハラハラと散り際の花びらのように、地面へと落ちていく……。
「これ、は……!?」
何もなくなった、解放された自身の両方の腕を見比べるようにしながら、ゆっくりと身体を起こしていく俺。
体力はかなり削られたものの、どうやらすんでのところで命が助かったらしい。
意識を眼前の"淫蕩を腐食させる者”に向けると、彼女はもうこれ以上こちらと争う意識はないのか、自身を見上げている俺に向けてペコリ、と一度だけお辞儀らしきものを行う。
そうしてすぐに、周囲に浮かんでいた原稿用紙が彼女の全身を覆うかのように吹き荒れたかと思うと、"淫蕩を腐食させる者”という存在の姿は忽然とこの場から消えていた。
ロクに何も出来なかったけど……だからこそ、この場でアイツが何もせずに立ち去ったのは、俺の言葉が少しは届いたのだと思いたかった。
「……そのために、あまりにも多くのもんを失い過ぎたけどな……」
両腕は解放されたものの、今の俺はHPも“BE-POP"も残り僅かで、とても万全の状態とは言えないだろう。
……何より、俺を助けようとした結果、ヒサヒデがあんな目に……!!
そう思っていた矢先のことだった。
「……ピ、ピ、ピ―ス……」
か細い吐息とともに紡がれてはいるが、しっかりと俺の耳に聞こえてきたのは、ここに来るまでに何度もやり取りしてきた仲間の声だった。
ハッとして、そちらの方に視線を向けると、そこには、全身を覆っていた原稿用紙から解放されて、俺同様にゆっくりと身体を起こそうとしているヒサヒデの姿があった。
「ヒサヒデッ!無事だったのかよ、お前……!!」
「ピ、ピ、ピ~~~ッス!!」
俺の呼びかけに対して、思った以上に元気に答えるヒサヒデ。
HPバーもいくぶんかは減ってはいるものの致命傷といえるほどではなく、残り体力だけで言えば、むしろ俺よりも元気といえる状態のようだった。
無事なのは嬉しいが、でもヒサヒデも俺と同じように――いや、それどころか俺以上に急激に原稿用紙によって血を吸いあげられていたはず。
だが、その疑問もヒサヒデの姿を見た瞬間にすぐに氷解することとなる――!!
「ッ!!そうか!これも、ヒサヒデの【昆布型ビキニアーマー】の装備のおかげか!」
――【昆布型ビキニアーマー】。
現在ヒサヒデが身に着けているこの装備品は、他の装備などを一切身に着けず、この【昆布型ビキニアーマー】のみを纏った格好でいる状態でのみ、スキル・魔法による“効果”を一切受け付けなくなるという性能を発揮する。
おそらくヒサヒデはこれによって、最初の迫りくる原稿用紙で斬りつけられたダメージ以外、原稿用紙による【吸血】という効果を受け付けなかったため、血が全く吸われていない以上はダメージを受けるはずもなく、ただ単に全身に原稿用紙がまとわりついていた事以外、何の影響もなかった……という事かもしれない。
現にヒサヒデの全身を覆っていたとされる原稿用紙の束は、俺の右腕を拘束していたものと違って、どれもこれも全く血を吸いあげて出来た赤い色の漫画が書かれていない辺り、俺の考察はそこまで間違っていないはずだ。
なにはともあれ、これで互いの無事を喜び合いたいところだが、そうも言ってられない。
何故なら、"淫蕩を腐食させる者”という脅威が去ったとはいえ、彼女すらも連れ去るような実力者である“お菓子の家の魔女”が、俺達とは違ってほぼ無傷のまま控えているのだ。
流石に今の俺達で、魔女の相手をするのは無謀極まりない自殺行為に他ならない――。
そう思いながらも瞬時に俺は、背後の魔女の方へと振り返るが……そこには、思いもよらない光景が広がっていた。
「クッ……!!何なのよ、これはっ!?」
くぐもった声ながらも、明らかに苛立っているとしか思えない内容の発言を叫ぶ魔女。
魔女の苛立ちの原因は、今まさに彼女の周囲を飛び回るもの――一つの群体のように迫る原稿用紙達にあった。
"淫蕩を腐食させる者”の置き土産である原稿用紙の数々は、魔女が掌から放つ業火球を華麗に躱しながら、魔女へと飛来していく。
それらを魔女は迎撃しようとしたり避けようとするが、数の多さと軌道が読めない原稿用紙の動きによって、俺と同様に次々と両腕に纏わりついていき……やがて、それは彼女の両掌まで覆い尽くしていた。
この状態で無理にあの“固有転技”と思われる業火球を放てば、自身の存在力が込められた炎によって、自身の両腕が盛大に負傷することになる……。
"淫蕩を腐食させる者”なりの俺達への罪滅ぼしか、それとも魔女への報復か……あるいは、その両方なのか。
いずれにせよ、俺達も大分疲弊させられたが、それ以上に魔女は"淫蕩を腐食させる者”によって大幅に弱体化させられることとなったに違いない。
だが、それでもこの状態で自身が負けるはずがないといわんばかりに魔女がこちらへと敵意を向ける。
「……良い気にならない事ね!!今の貴方達なら、この状態の私でも十分」
「いや、それは無理だ」
「ッ!?」
自身への攻撃を察知したのか、慌てて回避する“お菓子の家の魔女”。
彼女がそれまでいた場所には、短剣を持ったある人物が佇んでいた。
俺は、その人物の名を口にする――。
「――ラプラプ王!!来てくれたんだ……!!」
俺の呼びかけに対して、ラプラプ王は「あぁ、そうだとも!」と返しながら、魔女を見据える。
「リューキ、ヒサヒデ。“ユニークモンスター”という強大な敵まで呼び出されながらも、よくぞここまで戦い抜いた。お前達の勇姿を誇りに思う」
だから、とラプラプ王は告げながら、短剣の切っ先を魔女へと向ける。
「ここからは、この我が彼らの勇気と行動に応える番だ!!――貴様に、それだけの覚悟はあるかな?未だ正体を明かせぬ“お菓子の家の魔女”よ……!!」




