追い詰められた先に
俺を助けようとしたヒサヒデが敵の攻撃を全身に受けたうえに、右手が使う事まで出来なくなったという絶望的な現状。
それを象徴するかの如く、“BE-POP"も枯渇寸前であり俺に打つ手はないかと思われた。
にも関わらず、"淫蕩を腐食させる者”を前に、追い詰められた俺がしようとした行為。
それは――。
俺は眼前の敵を見据えながら、ゆっくりとアイテムボックスを開き、そこから左手であるモノを取り出す。
「――――――――」
"淫蕩を腐食させる者”は変わらず無言だったが、かすかに息をのんだ気がした。
それというのも当然かもしれない。
俺が左手で握りしめているのは、BL的な内容が描かれている原稿用紙だった。
俺がエルフの魔導師達に投げつけた単行本とは違うまだ書きかけの出来に違いなかったが――それでも、“お菓子の家の魔女”の言っていた事が本当なら、この原稿用紙の作者は眼前のユニークモンスターであるはずだった。
だが、この漫画の作者がコイツだからといって、コレ自体は何の変哲もないごく普通の原稿用紙だった。
それは読んだ俺だからこそ良く分かる。
けれども、だからこそこれを読んだ俺には言わなければならない言葉がある。
「――これを描いたの、アンタなんだろ?……俺は、あの部屋でこの漫画を読んでみたんだ……!!」
今度は明確に肩をピクリ、と震わせる"淫蕩を腐食させる者”。
言葉は発しないが、それでもこちらの言葉が通じているのだろう。
そうであると信じながら、俺は言葉を続ける。
「と言っても、言語が俺には読めない感じのヤツだったから、台詞どころかメインキャラクターの名前すら全く分かんないし、この作品の内容が面白いのかどうかは、今の俺には判断出来なかった……」
ここは圧倒的強者である相手の機嫌を損なわないように、嘘でも何でも良いから『面白かった』とか言うべきかもしれない。
でも、この漫画を描いた本人を前にして俺は、追い詰められているにも関わらず、そんなおためごかしを使う気には到底なれなかったし――アレだけの作品を作り出したコイツに、そんなものが通じるとも思えなかった。
だから俺は、そのまま自身が読んで思った感想をまっすぐに伝えていく。
「作ったお前からしたら、『大事な部分すっぽかしておきながらあの作品の何が分かるんだ!!』って感じかもしれないけどさ……それでも、この漫画はBLっていうものに偏見、っていうかそういうイメージが先に色々あった俺でも夢中になるくらいに、何もかもが新鮮で時間も忘れて読み進めていたんだ」
そこから俺は、熱心に自分がこの漫画を読んで見つけた発見やそれによる衝撃を語っていく。
人によっては、この非常事態に何を馬鹿げたことをしていると思われるかもしれないが――。
例えユニークモンスターという得体の知れない存在であったとしても、これだけの作品を生み出すほどの情熱を持った人物である以上、自身の作品に向けられた読者の感想から逃げるつもりは毛頭ないようだった。
俺が熱心に話している間にも、眼前の相手が反応を見せる様子は特にない。
だが、現在原稿用紙によって拘束されているはずの俺の右手から、痛みを感じなくなっている気がしていた。
……いや、それすらも血を吸われ過ぎて、既に感覚を失っているのか?
HPを確認する作業すら、今の俺には煩わしい。
語っているうちに、あれほど感じた死への恐怖が薄れてきた俺は、気が付くと作者であるコイツに向かって激情のままに感情をぶつけていた。
「本音を言うとさ、今だってなんもこの状況をどうにかする方法が自分じゃわかんなくて、仲間であるヒサヒデをこんな目に遭わせたお前が許せないけど、それでもこうやって熱心に作品を話していたら、気を良くしたお前が俺達を見逃してくれるんじゃないか、みたいな打算もあったりするよ。――でも、それ以上にさ、お前は一体ここで何をやってんだよ?」
言葉が通じていても、俺が何を訊ねたのか意味が分かっていないのか?
――いや、そんな事はないはずだ。
ここまで攻撃することなく、黙って俺の話を聞いていたお前が、分からないなんてことはないはずだ。
俺はズイッ、と一歩前へ出て、"淫蕩を腐食させる者”と対峙する。
「こんだけ、BLってもんに興味すらなかった俺を夢中にさせる事が出来るような奴が、自分の作品もほっぽり出して何遊び歩いてんだ、って聞いてんだよッ!!」
俺は叫ぶように、自分の想いを口にする。
この発言を受けて、流石に憤慨しただろうか?
それでも構わない、と言わんばかりに俺は堰を切ったかのように今感じている全ての言葉をぶちまけていく。
「こんだけ描きたいものが明確にある奴が、なんで自分を無理やり連れ去った卑怯者に良いように使いッパシリになった挙句に、作品のファンになった読者を殺すような真似が出来るんだよッ!?――俺はアンタの作品の登場人物の名前すら一人もロクに言えないけど、それでもこんなに感情を揺さぶられていても、アンタにとっちゃ俺の言葉なんて薄っぺらいものでしかないっていうのか!!」
息が切れ始めている。
限界も近いのだろうか。
そう感じると同時に、俺はドゥ……!!と盛大に身体を地面へと倒れ込ませる。
こちらに顔を向けているらしい"淫蕩を腐食させる者”。
そんな相手を下から睨みつけながら、俺は精いっぱい負け惜しみともいえる言葉を口にする。
「……俺は、お前と違って将来なりたいものとか、やりたい事やら才能なんて何もないようなつまらない奴だけど、それでも死にたくなんかなかったんだ……!!そんな、俺やヒサヒデの命を奪ったアンタは、この先何があっても、絶対にこの漫画だけは描き上げてみせろよ……!!」
そう言いながら、左手で握った原稿用紙を奴へと突き出す俺。
それを見ながら、"淫蕩を腐食させる者”はこちらへと屈みこみ、そして――。




