“淫蕩を腐食させる者”
俺の攻撃を防ぐかのように、"お菓子の家の魔女”の影から姿を現した新たなユニークモンスター。
その姿は、俺達が最初に出会った“淫蕩を打ち砕く者”というユニークモンスター同様に、真っ黒な影らしきものに全身が覆われた小柄な少女らしきものであり、その周囲をひらひらといくつもの原稿用紙が舞い上がっている。
歪ながらも幻想的、そして相手の姿からあのドスコイ女子に比べたら遙かに与しやすそうな印象を受けるが、そこは"ユニークモンスター”のうちの一体であり、それほど甘くない。
"淫蕩を腐食させる者”という名前らしいこのユニークモンスターは当然の如くレベル99であり、そんな相手が雑魚であるはずがないからだ。
現に相手は、既に俺の右手を完全に封じる事に成功しているのだ。
そのうえ、これほど隙だらけとなっているにも関わらず、これまでシャドウ・ビースト諸共消し飛ばしてきたほどの苛烈な"お菓子の家の魔女”が全くこちらに攻撃してこない辺り、このユニークモンスターを刺激したくない――つまり、完全にその力を飼いならせているわけではないのだろう。
そんな俺の一瞥に気づいたのか、魔女が聞いてもいないことをこちらに向かって語り聞かせてくる。
「その子は、ここに来る道が分からずに私達が迷っていた時に、間違えて入った部屋の中で見つけたユニークモンスターなの。……最初は暴れだしたりしないか警戒していたのだけれど、彼女は私達に見向きもせずに、一人で黙々と机に向かって作業をするのみ。誰にも相手にされずに一人ぼっちなのは寂しいと思って、私のもとに招待してあげたの」
……この少女の外見的特徴と今のお菓子の家の魔女の発言から判断するに、やはりこのユニークモンスターこそが、あのBL本で埋まっていた部屋の主だったらしい。
そしてそれと同時に、俺の中で一つの感情が湧き上がってくる。
「……テメェなのか?あんなにも、凄く魂を揺さぶるような作品を書いていたコイツを、勝手に無理やり部屋から連れ去るようなくだらねぇ真似をしたのは……!!」
それは、純然たる"怒り”としか言いようがない感情だった。
確かに、このユニークモンスターが書いていたのはドギツイ内容のBL漫画だったかもしれない。
だが、例えそうだったとしても、あそこまで書き上げていたコイツからその機会を奪った上に、自分が危うくなった時の捨て駒として扱うこの"魔女”という存在が、今の俺には到底許せそうになかった。
もやのような姿と、年齢の判別すらつかないようなくぐもった声の向こうで――それでもはっきりと分かるように、魔女が俺とは対照的ともいえる嘲笑の声を上げる。
「そうやって余所見をしている暇があるのかしら?――貴方がその子の為に怒ったところで、自我があるのかも分からない"ユニークモンスター”であるその子は、ロクに物事の判別がつかないまま、自身の作業を中断させられた事による八つ当たりがしたくてたまらないみたいよ?」
「ッ!?」
魔女の言う通り、俺の右腕に纏わりついている原稿用紙の束による拘束がギリッ……!!と、強く締め付けてきた。
あまりの痛みに歯を食いしばる俺だったが、それでも悪あがきと言わんばかりに何か対策を思いつこうと右腕を見た瞬間、信じられない光景を目にすることとなった――!!
「ッ!!な、なんだコレは……!?」
俺が視線を落とした先。
そこには、右腕に纏わりついた原稿用紙の表面に、うっすらと漫画らしきものが浮かび上がり始めたのだ。
その内容は当然の如くBLだったが……特筆すべきは、その描かれている漫画がまさに深紅のような色合いを帯びていたのだ。
いや……現在自身の身体を襲っている感覚からして、どういう原理かは分からないが、この原稿用紙は間違いなく俺の身体から血を吸い上げており、その血液を用いてこの"淫蕩を腐食させる者”が描こうとしている漫画の内容を原稿用紙に浮かび上がらせているのだ。
どのくらい血を抜かれているのかは分からないが――急激にHPが減っている辺り、あまり余裕はないはずだ。
見かねたヒサヒデがこの絶望的な状況を打破せんと、単身で"淫蕩を腐食させる者”へと突撃を仕掛けようとする――!!
「ピ、ピ、ピ~~~ッス!!」
「ッ!!よせっ、ヒサヒデッ!!」
俺の制止も聞かぬまま、無謀な突貫を仕掛けるヒサヒデ。
それに対して"淫蕩を腐食させる者”は、チラリとヒサヒデの方を見ると、すぐさま自身の周囲に浮いている原稿用紙をそちらの方へ飛ばしていく。
これまでのような舞うような感じから一転して、拘束で飛来する刃としてヒサヒデの身体を切り刻んでいく数枚の原稿用紙。
ヒサヒデは辛うじて急所を守っていたため、致命傷は避けられたようだが、傷口から血を吸い上げんと言わんばかりに、原稿用紙がヒサヒデの全身を覆い尽くしていく――!!
「――ヒサヒデェッ!!」
「~~~……ッ!!」
俺が呼びかけているにも関わらず、ロクに呻き声を出す事も出来ぬまま、全身を紙で覆い尽くされたヒサヒデが直立したまま動かなくなる。
現在右腕だけの俺でもこれだけ体力を消耗しているというのに、全身から血を狙われたヒサヒデが盛大に吸い上げられてしまえばどうなるのか……。
考えるまでもないことだった。
「俺が不甲斐ないばかりに……!!ゴメンなぁ、ヒサヒデェ……ッ!!」
現在乱戦や救出の真っ最中で、ラプラプ王達やオボロの助けは期待できそうにない。
かといって、残り僅かな"BE-POP"と体力の俺が、レベル99かつ“淫蕩を打ち砕く者”のように、本気の状態をいまだ見せていないコイツを相手に、一人で倒すなんてのはいくら何でも不可能だということは分かり切っている。
こんな時だからこそ、本物の“山賊”なら自身の未来を切り開くために”BE-POP"を高めるべきなのかもしれないが――今の俺は、目の前の現実を魂の奥底に刻み付けてしまったのか、意思の力を奮い立たせるどころか、急速に“BE-POP"が低下していくのを感じていた。
もはや天空流奥義を一発も使う事も出来ないくらいに、俺の中の“BE-POP"は枯渇同然の有り様になっていた。
ここに来て俺は、あのリンチの時以来の“死”というものを半ば覚悟していた。
……このとき、俺の心は折れかかっていたのかもしれない。
それでも俺は、この状況を打破するため――いや、そんな御大層な理由ではなく、ただ『今の自分がしなくちゃいけないから』という理由にもならないような漠然とした意志に突き動かされながら、眼前の"淫蕩を腐食させる者”を見据えた状態で、ゆっくりと左手を動かしていく……。




