第129話 考えうる限りの最悪
GMCが管理する病院の一室には、イア・スカーレットが眠っている。
彼女の肉体的損傷は、エストとの戦闘後一週間で完治。普通の人間なら後遺症が残って二度と動けない状態だったが、それは数日前までのことだ。
今では、彼女の体はもう完璧に動くことができる。
しかし、精神面はそうはいかなかった。
「イア・スカーレット特級魔術師の力は必要不可欠だね」
イアが眠る病室の隣の部屋。そこは職員の休憩室であるが、現在、部屋の椅子に腰を掛けているのはエストとリエサであった。
「まともにやれば私でも勝つことは難しい戦力。相手がギーレと新秩序とやらなら、彼女の力はなくてはならない」
ミリアの死亡によるアノマリーの大量脱走事件。
それの影響で、財団とGMCは半壊するほどの被害を受けた。大量のエージェントが、魔術師が死に、残る戦力も疲弊しきっている。
その上で、生存していると思われるギーレ、特級クラスの魔詛使い二人を含む新秩序を相手にすることははっきり言って不可能だ。
「今の私は、こっちに来たときより更に弱ってしまっているからね」
イアの心核結界をごく短時間とは言え食らったことが、今尚影響している。有効的な階級魔法を使うことは難しく、魔術でさえ全力で使えない。
「ミナがいれば、私のこの状態も何とかできるだろうけど⋯⋯」
エストの魔力回路は疲弊し、弱っている。完治するまでかなりの時間を要するだろう。そしてそれは、新秩序との決戦までには絶対に間に合わない。
「⋯⋯ごめんなさい。私が、助けられなかったせいで⋯⋯」
「あ、そういうつもりで言ったわけじゃないよ。私がしくじったせいだしね。⋯⋯まあ雑談もここまで。本題に入ろう」
エストは空気を変えるべく、話題を元に戻す。
「さっきも言ったように、イアの力は必要不可欠だ。でも今の彼女の精神は、崩壊してしまっている。主を失い、あろうことか洗脳された。そのせいで多くの人間が死んだ事実が、彼女の心を壊しちゃったんだ」
エストは、人間の精神機能についてよく知っているし、大切な人を失う気持ちには何より共感できる。
だからこそ、今のイアを責めることはできなかった。
「そこで、だ。リエサ、キミの中に居るアルターの出番、ってわけさ。キミ、イアの知り合いだろ?」
瞬間、リエサの目の色が変わった。交代したのだ。
「⋯⋯ああ。だが──」
「──事情は知らないけど、キミ、イアから自身についての記憶を消したでしょ」
アルターは何も言えなかった。真実を、言おうとしていたことを言い当てられたからだ。
「やっぱりね。変だと思った」
「⋯⋯仕方なかった、ってやつだ。僕も彼女から僕自身の記憶を消したかったわけじゃない。だが、そうしなければならなかった」
アルターは過去について、話し始めた。
かつて、アルターたちはギーレと相対した。
ギーレはイアの母親の肉体を乗っ取っていた。イアの体を、今度は奪おうとしていた。
イアは母親の姿のギーレを殺すことはできずに、戦意を失ってしまい、殺された。
「⋯⋯殺された?」
「当時のイアには残機なんて殆ど無かったし、何より母親の姿の化物に抗うことはできなかったからな」
「でも、今、イアは生きている。⋯⋯どういうこと?」
「簡単な話だ。⋯⋯僕がこうなった理由でもある。僕は、世界の法則を捻じ曲げた。それも一時の変化じゃないものだ。⋯⋯今なら分かる。あれは魔法の領域に手を掛けていた。手を掛けてしまっていた」
アルターが行ったのは、時間の逆行。原理は不明だが、世界の時間を巻き戻したのである。
「なるほどねぇ。キミは不相応の魔術を──いや、魔法を使ってしまった。おそらくそれが『縛り』のような世界の法則を破っていたんだろう。だから、キミは相応の代償を支払うことになった、か」
結果として、彼の肉体はこの世から消え去り、存在した記憶、記録は人々から失われた。
どういう因果か、アルターの精神と魔力はリエサに渡ったが、本来ならそれさえ消えていたのだろう。なぜ残ることができたのかは思い出せない──いや、分からないのだろう。
「⋯⋯だから、キミは、例えイアにあったところで意味はない、と言いたいんだね」
「ああ。僕のことをイアは覚えていない。世界の記録からさえも追放されてしまったからな」
「じゃあ何も問題はないね。私は世界の記録にアクセスすることができるから。何より⋯⋯キミの記憶を、イアは完全には忘れていない。これが一番大きいね」
エストの『万象改竄』という能力の権能の一つに、世界の記録の閲覧がある。
能力をフルで活用することはできないが、検索のための解析さえできれば、閲覧の権能は問題なく使用できた。
「本来の能力を使うことはできないけど、一端でしかなかった記憶操作は可能みたいでね。私が収集した記録を元に、イアのキミの記憶を復元することは造作もない」
「⋯⋯何だって。じゃあ、イアは僕のことを⋯⋯」
「──思い出させるさ。そうしたら、後はキミの役目だ」
◆◆◆
外の騒がしさに対し、病室は物音一つしていなかった。
光を嫌っているかのように室内は暗闇に満たされている。
そんな部屋には、当然だが他に病人はいない。ただ一人、吸血鬼の少女だけが眠っていた。
「⋯⋯⋯⋯」
肉体的な損傷は完治している。
だが、精神的な傷は治っていない。いや、もう、治らないかもしれない。壊れた硝子が元には戻らないように。
吸血はずっと摂っていない。目は閉じていても、意識は覚醒し続けている。
そんな時、突然、来訪者を知らせるノック音が静寂の部屋の中に四回、響いた。
部屋の主は「どうぞ」とでも言うべきだろうが、今の彼女は一言も呟かなかった。
「⋯⋯入るぞ」
入室して来たのはリエサだった。しかし彼女の目の色や魔力の質、何より口調が異なることにイアは無反応だった。
「⋯⋯暗いな」
来訪者は部屋の明かりを点ける。扉に対して背中を向けて眠っているイアの姿を確認した。
近くにあった椅子に座り込み、しばらく、何も言わなかった。
「⋯⋯⋯⋯」
『旧知の間柄に部外者は要らないよね』と言った白髪の少女を思い出しつつ、『彼』は一枚の紙を取り出す。それには魔術陣に酷似した別物の陣が描かれている。
これを使用すれば、イアの記憶を蘇らせることができる。
アルターはその紙に魔力を込めた。するとそれは発光した。
これが発動の合図であると理解した彼は、イアに話し掛けた。
「⋯⋯すまなかった、イア」
アルターは過去の記憶を思い出す。そして思い出したであろうイアには、開口一番に謝罪を伝えた。
かつて、彼女に魔術を教え、一緒に戦った。
かつて、彼女と仲間たちのために自身を犠牲にし、全てを鎮圧することを選んだ。
かつて、自らを師匠と慕う少女を裏切り、彼女を一人にした情けない男は、ただひたすらに謝るしかなかった。
「お前を一人にしたこと。お前の記憶から僕の存在を消したこと。⋯⋯そして、そんな仕打ちをしといて、またもう一度、頼ろうとしている僕を、許してくれ」
返答がなんであれ、アルターはイアを説得するしかない。
彼はどんな罵倒でも受け入れようとした。
⋯⋯しかし、
「──ッ!?」
──イア・スカーレットの腕が、アルターの──いや、月宮リエサの胸を穿いていた。
「⋯⋯は?」
「⋯⋯嫌なタイミングで来てくれたものだよ、月宮リエサといったか? ⋯⋯いや、今の君は⋯⋯なるほど、そういうことか」
『イア・スカーレット』だ、目の前の少女は。
だが、アルターの心は、精神は、魂は、それを、否定する。
「──まさか」
「くく。そのまさかだよ。アルター・フィリアベルツ。どういう絡繰かしらないけど、私の記憶を蘇らせたことはファインプレーと言わざるを得ない。さもなくば君より死んではいけない人間が、君の代わりに死ぬことになっていただろうさ」
アルターの意識が薄くなっていく。
「⋯⋯全く、まだ定着しきっていないというのに。仕方ないか」
彼の意識が完全に失われる直前に、そんな言葉を最期に聞いた。
◆◆◆
そこは見慣れた場所だった。
月宮リエサの精神空間。最期の記憶から察するに、死の直前の走馬灯の代わりに、アルターはここに居るのだろう。
そして目の前の少女を目にして、アルターは自殺したくなるような感情に苛まれた。
「ああ、クソ。クソクソクソ⋯⋯僕は何をやっているんだ、何をやっているんだ僕はっ!」
喉がはちきれんばかりに彼は叫ぶ。
「どうして気づかなかった! どうして思い至らなかった! ヤツの目的はそうだっただろう!」
膝を折り、ありもしない床を、アルターは叩く。手が裂け、出血しかねない勢いだったが、彼に痛みを感じていられる余裕はなかった。
「ああ、クソっ! 僕はあの時から何も変わっちゃいないじゃないか! 誰も救えず、誰も助けられず! ただ誰かを不幸にしているだけじゃないか! 何が人を救うための研究だ! 何が時間概念の追求だ! 何が人類の幸福だ! 僕は! 何も! 成し遂げられちゃいないじゃないかっ! たった一人の子供さえ⋯⋯助けられて⋯⋯⋯⋯ない⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
自責と後悔。懺悔と嫌悪。最悪な感情が入り乱れ、苛む。
リエサはただ何も言わず、それを見ていた。
ひとしきり泣いた後、アルターはようやく嗚咽を終える。
「⋯⋯落ち着いた?」
リエサは、できる限り優しい声でそう掛けた。
「⋯⋯ああ。すまない。すまない。君を殺したのは僕だ。本当に、すまない⋯⋯」
「それは⋯⋯まあ、うん。⋯⋯とりあえず何も状況分かってないから、教えてくれない?」
リエサとしては、本当に何もわかっていない。
アルターがイアに殺されたのも、それを見てアルターが自責の念に苛まれているのも。
「⋯⋯ああ。⋯⋯イアは、もう、いない。あそこに居るのは──ギーレだ」
ギーレは生き延びている。だがそれ以降の情報は何もなかった。
ギーレの魔力は精神の交換もしくは肉体を移るものだ。肉体であったあの身体がミナによって破壊された以上、ギーレは次なる器を求めることは自然なことだ。
そしてこのタイミングで、もっとも器として適しているのは誰か?
「それが、イア・スカーレット?」
「そうだ。二年前、僕たちがギーレと戦ったときも、ヤツはそれが目当てだった。時間を支配する魔術師の肉体⋯⋯今では最強の魔術師となった肉体に移ること。普段ならそれは不可能で、おそらくヤツもこのプランは考えてはいても実現できるとは思っていなかっただろうな⋯⋯」
だが、イレギュラーがあった。
カーテナによるイアの洗脳。それは失敗に終わったが、エストというイアに匹敵する存在がこれに対処したため、最強の魔術師は万全からは程遠い状態へ陥った。
加えて、主人であり親友であったアリストリアを守れず、死なせたことによる精神的なダメージ。
これらによってイア・スカーレットは心身共に脆弱となり、ギーレの魔術の効果対象となった。
後は疲弊したGMCの目を欺き、イアが眠る病室に侵入し、彼女の体を奪うだけで良い。
「⋯⋯なるほど。⋯⋯で、これからどうする?」
「⋯⋯あんな傷を負った以上、君は死ぬ。前みたいに僕の魔術じゃどうにもできない」
「そんなことは聞いていない。目の前の最強の敵を、どうにかする方法はないのか、って聞いているの」
「⋯⋯どういうことだ?」
「アルターは私を殺したみたいに言ってたけど、まだ、私は完全には死んでいない。だって、生き返れるからね」
「⋯⋯は? ⋯⋯何を言って⋯⋯」
「『時間を逆行させた』。その言葉でピンときたのよ」
アルターがかつて為してしまった大魔術。世界の時間を逆行させる、魔法にも等しい奇跡そのもの。
それが、リエサにヒントを齎した。
「前さ、私、カーテナに殺されそうになったことあったでしょ? でも私は死ななかった。その時は、私にも何が起きたのか分からなかったけど⋯⋯答えを得た今なら、分かるんだよ。そしてあんたの『Accel Edit』の能力も、ね」
アルターの『Accel Edit』は彼の固有魔力であると同時に、世界から排斥された異能である。
その真髄は──対象が世界そのものであること。
「『Accel Edit』は世界の時間概念そのものに干渉しているみたいなの」
世界の時間⋯⋯つまるところ、基底時間への干渉魔術。それが『Accel Edit』であると、リエサは解釈した。
「おそらく、私はカーテナとの戦闘で実際に死んでいた。けれど私は、その瞬間、無意識に世界の時間を超加速させた」
「時間の超加速⋯⋯〈時間跳躍〉⋯⋯か」
イアに教えた魔術、〈時間跳躍〉。その効果は、対象の時間をスキップし続けることによる時間的抹消を引き起こす、というもの。
「そう。時間跳躍だと、結果は時間の果て、時間的に全て終えた状態、即ち消失、風化⋯⋯順当なものになる。なぜなら時間が加速したところで、世界がその現象を処理さえできれば、結果を算出し現実に反映できるからね」
アルターやイアがやっていることはあくまでも『時間を操る』こと。それによる結果自体を生み出しているわけではない。
火を操る魔術でやっていることはあくまで火を生み出す、火を点けることであって、『対象が燃えたという結果を生み出す』ではない。
そしてその結果は、順当に起こるものだ。火を操る魔術で火を点けたからといって、大地が揺らぐことはないように。
では、そうなると決めているのは何か? 何が自然現象の発生を、結果を、決めているのか?
「⋯⋯時間逆行。それは異常によるものだと君は言いたいのか?」
それは自然な結果なのか? もう既に起きてしまったことを、巻き戻すことは、自然なのか。
そうなる理屈がない。停止ならまだしも、巻き戻しはありえないのではないか。
なら、なぜ、起きるのか。
「世界という演算機構が処理しきれない速度で時間を加速させ、スキップする。そうすれば世界はオーバーフローを引き起こし──」
「──反動で、世界の時間が巻き戻る」
馬鹿げた理屈だが、そう説明されると、アルターはなぜか納得できた。あの時、アルターは世界の時間を逆行させたが、それは単なる魔術操作によるものだと思っていた。
でも、勘違いだった。
「私がアルターと違って代償を払っていないのは、おそらく時間逆行の物理的、時間的範囲を絞っているから。あとは私の超能力も関係があると思う。まあこの辺は面倒だからいいや」
リエサは笑う。自信に満ちた顔で。
「私は死んでいない。だから、教えて。私は何をすればいい?」
──やはり、見立ては間違ってなどいなかった。
月宮リエサは、アルター以上に『Accel Edit』への適正があった。それには『冥白結晶』を持っていることも大きかっただろう。
託してもよいのだろうか? 任せてもよいのだろうか? 負わせてもよいのだろうか? 自分より若い、幼い少女に。
これからを。
世界の命運を。
「⋯⋯僕は元より死者だ。今を生きる人に、それを託さないで、どうする」
アルターは、考える。
「⋯⋯今のギーレは、おそらく、肉体との定着が上手く行っていない。さもなければ、ああやってイアのフリをしていた理由がない。全力が出せるのなら、イアの力があれば、今頃ここら一帯は吹き飛んでいるはずだったからな。コソコソと不意打ちを狙っていた、それが何よりもの証拠だ」
誰よりもイアの強さを知るアルターは断言する。もしイアが本気でやれば、一国など、大陸など、世界など、滅ぼせる、と。
だがそうはなっていない。まだそうはなっていない。そうはならずに済んでいる。
これは偶然でも何でもない、必然だ。ギーレはイアの力を、肉体を、支配しきっていない。
「⋯⋯イア・スカーレット。いや、『無貌』の大魔族、ギーレは今が一番弱い状態だ」
二年前も、そしてこの前も失敗に終わった。
ならば、三度目の正直というやつだ。
今度こそ、終わらせる。これ以上の被害を出さないためにも。
「月宮──リエサ。ここで今! ヤツを殺すぞ!」




