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3.常識は絶対ではない1

 夜通しゲームをして寝不足。敷地内の林をウロウロウロウロし、屋敷裏で騒いで疲労困憊。昼食をしっかり食べて満腹。午後の四阿は日当たり良好。当然と言えば、当然の結果だった。


「眠いわ」

「眠いです」

「あたしも」


 シェリーとアイリスは、先程から欠伸を連発している。つられて俺も欠伸が出そうになったが、どうにか堪えた。令嬢教育と皇妃教育で叩き込まれた礼儀作法云々が、今何とか俺の意識を保っている。


「皆でお昼寝しましょう。おやすみなさいです」

「えぇ、四阿で昼寝はまずくないかしら」


 俺の言葉はシェリーの耳には届かなかった。下を向いて身動きをしなくなったシェリーに代わり、アイリスが返事をした。


「オリバーお義姉様、固いこと言わないの」

「えぇ、ちょっと二人とも」


 テーブルに突っ伏したアイリスも、シェリーに続き夢の世界へと旅立ってしまった。俺が眠気と戦いながらオロオロしていると、昼食を給仕してくれていた黒髪の侍女と目があった。


「我慢せずにお眠りくださいませ。掛けるものは用意してございます」


 言葉通り彼女の手には毛布がある。暖かそうで気持ちよさそうな毛布だ。毛布の誘惑と眠気に逆らうことを諦めて、俺はテーブルに突っ伏した。


 気が付くと俺はドレス姿で、父の執務室にいた。もう着るはずがないドレスに、これは夢だとすぐに分かった。目の前の執務机に座った父は、不機嫌に俺を睨みつけていた。


「オリビア、何度言えば分かる。なぜ私の言うことが聞けない」


 夢特有の急な場面転換が起こり、今度はニコラウス・エルフランドル皇帝が玉座から俺を見下す。


「オリビア、貴様一人の献身で全て丸く収まるのだ」


 再び場面が転換し、昨日の卒業パーティーの光景となった。掴みかかれるほどの距離にいるのはアレだ。


「オリビア、お前との婚約は破棄だ」


 俺を虐げていた、三つの声が重なる。


「「「オリビア」」」


 どいつもこいつも好き勝手言いやがって、我慢の限界に達した俺の叫び声が辺りに響いた。


「っち、お黙りあそばせ!! 俺はオリビアじゃなくてオリバーよ!!」


 それからしばらくして、遠くからシェリーの俺を呼ぶ声が聞こえてきた。


「オリバー、オリバー!」


 目を開けると、シェリーが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。


「オリバー、うなされていましたよ。嫌な夢でも見ましたか?」

「何でもないわ。何でもないのよ」


 テーブルから上半身を起こしながら、何とか誤魔化した。


 言えない。


 夢の中で父を血祭りに上げ、ラルドの皇帝とアレをフルボッコにしていたなんて、さすがに言えない。うなされてたんじゃなくて、唸ってたなんてさすがに言えない。完全に俺の中の眠れる何かが、目覚めていた。現実では絶対にできないことだから、とっても楽しい夢だったなんて言えるはずなかった。


 俺とシェリーが目を覚ました一方で、アイリスはすやすやとまだ眠っている。眠っているアイリスを見ていてふと思った。


「決闘とはいえ、女性に手を上げようとするなんて、男として最低だったわね」

「アイリスは気にしていないと思いますよ。決闘だと言い出したのは、アイリスなんですし」


 きっかけはシェリーだと突っ込みたかったが、突っ込まなかった。あれは寝ぼけた時の発言で、シェリーは絶対覚えていない。


「それでもオリバーが後ろめたく感じるなら、謝ればいいんです。きっと気になんかしてないですけど、アイリスなら笑って許してくれます。だいたい、魔法使いの決闘は男女関係なくやります」

「さすがにハンデありでやるでしょう? さっきのみたいに対等にやるなんて」

「もちろんハンデは一切なしですよ。私も何度かやったことありますけど、魔法でガチで殴り合います。ちなみに私は負けたことありません」


 胸を張るシェリーに、どう反応していいか分からない。え殴、殴? 一度ではなく何度も? しかも無敗?


「えぇ、魔法使い逞しすぎないかしら……?」

「違います。普通の女性が軟弱すぎるんです」

「うん? ううん? だんだん普通が何か、分からなくなってきたわ」

「常識は疑えと、学院で習いましたよね」

「たぶんこういうことじゃないと思うのよね。常識、常識常識。……なんで決闘なんかしちゃったのかしら。ほぼ徹夜明けじゃなかったら、絶対に受けなかったわよ」


 睡眠の大切さを思い知る。まともな思考をしていたら、どうにかアイリスを思いとどまらせたはずだ。あと寝不足は肌にも良くない。


「アイリスもどうして決闘なんて言い出したんでしょうか。あの子は昔から運動が苦手でしたから、進んでやるはずがないんです」


 今不思議そうにしているシェリーが、そもそもの原因だ。


「覚えてないでしょうけど、きっかけは貴方よ。貴方は寝ぼけると、とんでもないことを言い出すんだから」


 自分が原因だったと知らされ、シェリーは目を泳がせた。


「う、私の所為でしたか。お二人には申し訳ないことをしました」

「最終的にやることに決めたのは、俺とアイリスよ」


 こうしてシェリーと話していると、決闘と言う名のなんだかよく分からないものがフラッシュバックし、情けなさが蘇った。


「良いところは、全然見せられなかったわね。あの体たらくは全部無かったことにしたいわ」

「でも何だかんだ言って、アイリスの攻撃を、見事に避けてたじゃないですか」

「違うわ。あれ偶然地面に足を取られただけよ」

「オリバーは運がいいですね」

「フォローの方向性を変えてきたわね。でもねシェリー、本当に運がいい人は、そもそも滑ったり転んだりしないのよ」

「……うーん、えーっと、ごめんなさいオリバー、フォローしきれないです。私の愛が足りないばかりに」


 悔しそうに俯くシェリー。


「愛云々の問題じゃないから、気にしなくていいわ。……棒を借りようとしなくて、良かったわね……」


 誰か他の人に見られていたら、俺とアイリスはきっと再起不能の深手を負っていた。精神的ダメージは、肉体的なものより深刻だ。


「はい……嫌な事件でしたね」

「フォローを諦めたからって、もはや嫌な事件呼ばわりは酷くないかしら……?」


 葬式のような重い空気が、俺とシェリーの間に流れた。このまま長く続くように思われた沈黙は、意外と早く終わりを迎えた。沈黙を破ったのは、傍に控えていた黒髪の侍女だった。


「シェリー様、準備が出来たそうでございます」


 侍女の言葉にシェリーが素早く反応した。


「オリバー! 今こそ約束を守るときです」


 シェリーの切り替えが早い。俺は付いていけていない。


「えぇ、急にどうしたのよ」

「ケーキです。ケーキを食べましょう。ケーキは全てを解決します」

「いや、しないわ。ケーキの魔力は俺も否定しないけれど、全てを解決はしないわ。八割五分ぐらいなら、解決してくれそうだけれども」


 ケーキの魔力なんて表現すると、ややこしかっただろうか。魔法使いは魔力を用いて魔法を行使すると、古文書では書かれていたはずだ。でもケーキには魔力としか表現しようがない魅惑的な力がががが。


「何でもいいです。とりあえず食べたかったケーキを食べて、元気を出してください」

「確かに頼んでくれるって、昨日言ってたわね。でもいつの間に?」

「朝に席を外した時です」

「あ~、あの時ね。てっきり飽きて気分転換かと思ってたわ」

「オリバーを見ていて、飽きるわけがありません。私との結婚のために頑張るオリバーを見届けないなんて選択肢は、私の中に存在しません。悩ましい表情で色気駄々漏れのオリバーは、絵画にして残しておきたいぐらいでした。あの時はオリバーのために、オリバーを諦めて、泣く泣く退室したんですよ」


 シェリーに言われて初めて気付いた。そうか、俺はシェリーとの結婚のために頑張っていたのか。あと色気駄々漏れってなんだ?


「ケーキを食べるなら、アイリスも起こさないといけませんね」


 シェリーが手を伸ばして、アイリスの肩を揺さぶった。


「アイリス、起きてください。ケーキの時間ですよ」

「…ん~、う~、さっきサンドイッチ食べたばっかり。ってあれ、結構時間経ってる」


 万歳するように伸びするアイリス。寝起きの伸びの仕方が、学院の昼休みのシェリーと全く同じだった。やはり姉妹だと微笑ましい気持ちになる。


「良く寝た~。あたしはケーキはいいや。部屋に戻って学園の課題やるから。お姉様二人で楽しんじゃって」


 ひらひらと手を振ったアイリスは、椅子から立ち上がり、そのまま屋敷の中へ戻ろうとした。


「あのアイリス、さっきはごめんなさい」


 俺が後ろ姿に呼びかけると、アイリスは振り返った。

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