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カンガルーカップル  作者: 瀬賀 王詞
15/15

15 警官隊突破! 新たな物語へ

 笑うと体の節々が痛んだ。

「大丈夫ですか、サトシさん。痛むんですね、お体・・・」

「さっきまではね、あんまり感じなかった。急にきたよ、痛み・・・」

 幸いに目はやられていない。鰻さんに打たれた箇所だけが、刃物で切られたように痛んだ。

「どこかで休みましょう」雪乃が言った。

 車は豪徳寺へ向かっていた。

「いや、大丈夫。それよりも、少しでもここを離れよう。高速に乗ればこっちのもんさ」

「本体はどんな調子ですか?」雪乃が聞いた。

「横でゆっくりしてるけど。間題なさそうだよ」

「のっぺらにはもう慣れましたか?」

「本体が助けてくれなかったら、僕はやられていたよ。ほんとに、助かったよ。それに、まさかゴルフクラブがあったなんて。どこに転がってたんだろ」

「自分の体という感覚はないんです」

「自分でコントロールできないってこと?」

「はい・・・」

「さっきは助かったけど、本体が勝手に動きだすのも厄介だよ・・・」

「大丈夫だと思うんですが・・・」

「高野様・・・」天明さんが話しかける。「わたし、そろそろおいとましてよろしいでしょうか?」

「もちろんだよ。うまく兼田をだませたしね。天明さんのおかげだ、感謝してるよ。ありがとう」

「天明さん、ありがとう・・・」雪乃も言う。

「雪乃様もお元気で。いつかきっとお会いしましょう」

「はい、お会いしましょう・・・」

「それでは高野様、失礼いたします」

「媚蓮和尚によろしくね」

「小坊主さんたちにも・・・」雪乃が微笑む。

 天明さんは、ゆっくりかすむように消えた。完全に消えるまで笑顔で手を振った。少しさびしい気がした。

「あれ? お前は行かないの?」オカメに言うと怒ったように鳴いた。

雪乃が笑いながら言う。「サトシさん、穴あきTシャツ、ありますよね」

「あるよ、バッグの中」

「たいへん申し訳ないんですが・・・着替えてもらえませんか。わたしも、景色がみたくて」

 本体の腕が動き、僕の顔面を襲った。

「なんだい?」僕はうめいた。

「えっ?」

「本体にぶたれたよ!」

「そんな! わたしはただ、バッグを探そうと・・・」

「動こうとしないで。少しずつきみの意思が伝わってるんだよ、きっと。本体にやられる前に着替えたほうがよさそうだ」

僕はコンビニの駐車場に車を停め、穴あきTシャツに着替えた。雪乃がすまなさそうな顔を覗かせた。

「やあ、ひさしぶり」僕はおどけて見せた。

「ごめんなさい、お顔、大丈夫ですか?」

「うまくコントロールしてよ」

「はい。二度と、サトシさんをどつくようなこと、本体にはさせません・・・」

「自信なさそうだけど、大丈夫かい? ついでだ、コンビニで必要なもの買ってくるよ」

コンビニで飲料水と食料を買い込んでいると、遠くからパトカーのサイレンが近づき、ドップラー効果を最大限に使いながら通り過ぎた。車に乗り込むと、急いでシートベルトを閉めた。

「なに、心配ないさ。スピード違反した車か、人気女優のおっかけでもしてるんだよ」

「鰻さん、大丈夫でしょうか?」雪乃が言う。

「出血は大したことなかったし。心配ないよ。死んじゃいないよ。ああいうタイプは、そう簡単には死なないから」

 スマートフォンを捨てようと考えた。高野山ではもう必要ない。兼田や鰻さんと連絡も断たなくてはいけない。

「祐未さんのこと、ですね・・・」しばらく呆然としている僕に雪乃は言った。

 僕が池に落ちて死んだという報道はまだ出ていない。メールも電話も来なかった。まだだいぶ怒っているのだろう。いずれ死んだという報道を聞き、祐未はどう思うだろう。僕に冷たくしたことを後悔するだろうか。いや、雪乃を誘拐して心中した報道も出るだろうから、僕と出会ったことを後悔するだろう。

「連絡してみたら・・・」雪乃が優しい声で言う。

 メールがきた。祐未からだった。

「祐未からだよ!」

「よかったですね・・・」雪乃が言う。

 僕はメールを開いた。


兼田係長から連絡があったわ。あなたが営業リサーチ課の森下雪乃さんを誘拐したって。本当なの? お願い、連絡して


僕はそれを声に出して読んだ。二人は顔を見合わせてから、しばらく押し黙った。僕は祐未に最後のメールを打った。


祐未。またいつか、きみの手料理を食べたいね。愛してたよ・・・


甲高いサイレンが聞こえた。すぐ近くからだった。

「おいおい、来るのが早いよ。少しは感傷に浸らしてくれ」僕は舌打ちをした。

 僕はスマートフォンをコンビニのゴミ箱に捨てた。ダットサンに乗り込む。

 コンビニを出ると後方に白と黒のさえない車体が見える。

「兼田だけじゃない。きっと鰻さんも通報したんだろ・・・」

 左折して環八通りに入る。広い道路に出るとダットサンはスピードを上げた。パトカーがついてくる。ダサい車のねらいが僕らであることは間違いなさそうだった。オカメインコがパニックを起こして車内を飛び回る。環八東名入口を右折する。念願の東名高速に入った。あとは和歌山を目指すだけだ。

 ブルーバードダットサンP312型の異名は「幸せの青い鳥」。その名の通り、パトカーをぐんぐん突き放す。前の車を抜き去り、抜いた車を後方に履き捨てるような走りだった。

 横浜青葉インターチェンジを過ぎるとパトカーは仲間を増やし、サイレンもけたたましいくらいになった。誘拐犯高野聖の車としてではなく、ただ単にスピード違反で追跡したパトカーもあるだろう。調子に乗りすぎた。

 ダットサンも疲れるんだろうか・・・スピードが落ちてきた。

「サトシさん!」雪乃が悲痛に叫んだ。

「捕まるね。僕たち。腹にくっついたきみも、のっぺらぼうの本体も、公にさらされる。僕らは化け物扱いされる・・・」

雪乃は泣いた。それまで聞いたことのない悲しい鳴咽がもれた。パトカーはもはや背後に浮かび上がり、警官の顔がおぼろげながら見える。

「その車、速やかに左に寄り、停車しなさい」乾いた声が響いた。

二人は顔を見合わせた。

「その車、停車しなさい」

本体が動いた。起き上がり、シートベルトを外し、のっそりと後部座席に移動した。僕たちはその様子を黙って見ていた。本体は移動する際にバランスを崩し、妙な姿勢になったが、やおら体勢を整えると、後ろの窓から顔を外に覗かせた。それだけでなく、のっぺらぼうの顔を窓にくっつけて、頭を左右に振ったのだ。警官は後部座席に現れたのっぺらぼうを見た。しばらくしてサイドミラーからパトカーが遠のいたかと思うと、一台が急に横にそれた。後続がそれに虚を突かれ、同じようにバランスを崩した。数秒後には、ブレーキの高い音と金属音の破裂する痛ましい音が背後から聞こえてきた。

僕は息を飲んだ。

「もう、いいよ」

いつまでも首を振り続ける本体に叫んだ。

「これ、きみの意思かい?」僕は雪乃に訊いた。

「なんと言ったらいいでしょう・・・」

狂気の沙汰ではないこの事態に、二人とも唖然としていた。車のスピードを落とし、僕はもう一度背後を確認した。車が炎上している様子はなく、大事故でなさそうだ。

本体は後部座席に寝転がっている。

「どういうんだろ。きみの本体、猫みたいに丸まってるよ」

「ほんとですか?」

「とにかく助かった。警官の皆さんに謝らなきゃ。一生忘れられないトラウマを作らせてしまったよ」

二人は水を飲み、気持ちを整えた。僕はペットボトルを頭にかざし、頭から水をかぶった。

「わたしにもかけてください!」雪乃が叫ぶ。

運転席は水びたしになった。

僕はラジオのボリュームを上げた。アクセルを踏みながらNHKFMにチューニングした。少しでも落ち着きたかった。期待に応えてクラシックが聞こえてきた。

背後に車が一台も見えない。

「高速を降りようか」

「逃げ道が、ないですもんね」

「逃げ道は・・・さあ、どこにあるかな」

「わたしの運命は、もうサトシさんのものです・・・」

「よくもまあ、人間に生れてきたものだなあ。僕はつくづく思うよ。今この世の中に、いろんな生命があるのに・・・。小学生のころね、よく昆虫採集をしたんだ。たくさんの虫を殺したよ。標本を作るときは腐らないように注射を打つんだ。甲虫の硬い甲の間の柔らかい隙間に針を刺して、防腐剤を注入する。そのときの瞬間が今も忘れられないよ。それで、標本にするとき針を甲虫の体に突きとおす。でもね、いつからか、それができなくなった。夏休みの宿題では必ず昆虫採集をしていたのに。あるとき、ふっと、それができなくなったんだ。甲虫の腹に注射することも、その体を針で突きとおすことも、ひどく心が痛かった。僕の手によって、確実に、この生命が奪われたということが、はっきりわかるようになったんだ。子どもって、ある時期までは残酷だよね。平気で生きもの命を奪う。命を奪うことを繰り返すことで、命を奪われる身になることができるようになったんだね」

「命を奪われる身・・・」雪乃がつぶやく。

「おやおや、昔追いかけた赤とんぼがやってきたよ」

僕はアクセルを踏んだ。赤い目をしたパトカーが現れた。

「昔殺した虫たちが復讐にやってきた」

けたたましく接近するヘリが、バックミラーに見え隠れした。

「僕に運命を預けるって言ったね」

「はい」

前方にも黒と白のツートンカラーが踊り出た。僕はスピードを緩めた。

「検問だよ」

雪乃の返事は少し遅れてからだった。

「突破しましょう」

「オッケイ。そうこなくちゃ」

「わたしの、のっぺらちゃんに、がんばってもらいましょう」

「作戦を聞こうか」

スピードを落とし、周りの車と動きを合わせた。ヘリの羽音がけたたましく響いていた。

「この車だってことはもうバレでるからね」僕は前方を注視した。

「ここは神妙に検問を受けましょう」

後部座席の『のっぺらちゃん』が起き上がり、助手席に移った。

「準備、できました」雪乃が言う。

車は検問に近づいた。

「いくよ。ここを脱出する」

僕はクラクションを鳴らした。警官たちが一斉に車を見た。車はスピードを落とし、警官が誘導するエリアに入った。停車すると即座に十数人の警官隊が詰め寄った。

「覚悟は、いいかい?」僕は雪乃に言った。

「二回目ですから、今度はばっちりです」雪乃は答えた。

僕は外に出た。警官隊がざわめいた。

「あなたは、『タカノヒジリ』さんですか?」

スピーカーから警官の声が響いた。

「いいえ、僕の名前は『コウヤヒジリ』です」と答えた。

「誘拐及び殺人容疑、死体遺棄容疑で逮捕します」

「ご迷惑をおかけします。わたしも、そちらの意向に添いたい気持ちはやまやまなんですが、このような事情で無理なんです」

僕はおなかのシャツをまくりあげた。雪乃が奇声を上げ、警官を睨んだ。警官は顔をしかめたのちに、ゆっくりと後ずさる。助手席から『のっぺらちゃん』が動き出した。彼女は外に出るとボンネットに飛び乗り、その見事なのっぺらぼうを警官たちに見せた。

警官たちは感嘆とも恐怖ともわからない悲鳴を上げた。しばらくのっぺらぼうを見て固まっていた。

「警察のみなさん、ご紹介します。僕のおなかにいるのが森下雪乃さんです。よくご覧ください。美人でしょ。僕は彼女を誘拐してもいないし殺してもいない。僕のおなかの上で生きています。では、森下雪乃さんからひとこと」

「ただいまご紹介にあずかりました、森下雪乃でございます。このたびは大変ご迷惑をおかけいたしまして心からお詫び申し上げます」

「みなさんに、証人になっていただきたい。このように、森下雪乃さんはとっても元気です。ほら、車の上で踊っているのが彼女の身体なんです。御覧なさい。のっぺらぼうでしょう。顔が僕のおなかにくっついたんでのっぺらなんです。こんな、とんでもない状況なんで、今は逃げるしかないんですよ。どうか、理解していただけたらと思います。皆さんも納得していただけるように、このことを解明してきますので、今はただ、見逃してほしいと思います。怪我をなさった警官のみなさんには心からお詫びします。それでは、失礼します・・・」

僕は最敬礼をしてから車に飛び込んだ。それに合わせて、のっぺらちゃんも助手席に乗った。車を発進させて後ろを振り返ると、警官たちは微動だにしない。

「よかった。うまくいったよ」

「警察の人たちは?」

「動かないよ。少しも・・・」

僕はアクセルを強く踏んだ。ヘリの姿はいつのまにか見えなくなっていた。追ってくるパトカーも、心なしかサイレンに元気がない。

「逃げ切れるよ」僕は言った「そんな気がしてきた」

「わたしたち、化け物ですもんね」雪乃が笑う・・・。

「そう。そうだよ。いいことを言うねえ。僕たちは化け物。化け物を追うやつなんてそう滅多にいないよ」

おなかに冷たいものが流れた。

「泣いているの?」僕は雪乃の瞳を見た。

「泣き虫でごめんなさい」

「いいさ。僕は泣き虫は好きだよ。泣かない人よりはね」

 僕は後部座席に置いた人形を手に取った。ホテルの地下駐車場を出るとき、鰻さんが作った人形を頂戴してきた。

「持ってきたんですか?」雪乃が訊いた。

「せっかく、きみに似てるんだからさ。僕らの守り神かもしれないよ。もし鰻さんに会うことがあったら、代金は支払うつもりさ」

ダットサンは元気になった。さらにスピードを上げた。

「このまま逃げきって、高野山に行く。そこで研究と修行を積んで腹顔族と闘う。そして元に戻るんだ。いいね、雪乃さん」

「はい」涙声ながら、雪乃はしっかりと答えた。

「元に戻って、ちゃんと、二人の恋を始めよう。この、のっぺらちゃんに収まった、君の顔を見たいんだ。雪乃・・・」

「はい・・・サトシさん!」

前方には新たにパトカーの姿が見えた。サイレンの音がこだましている。

「またまた現われたよ」

「今度も同じ手で?」

「いや、突破する」

「その後は?」

「突破し続けるだけさ。僕たちにはダットサンと、それからこいつ、オカメがついてる」

 オカメインコがうれしそうにピーピー鳴いた。

「サトシさん、聞いていいですか?」

「いいよ」

「わたしのこと、恨んでますか?」

僕は、首を振った。僕の瞳から大粒の涙が落ちた。

「おなかに張り付くぐらい僕を愛してくれるきみを、恨むはずないだろ? 森下雪乃を、僕は愛している―」

そして、人差し指を自分の唇に当ててから、それを雪乃の唇にゆっくりとおし当てた。雪乃は目をつむってそれを受けた。

「僕たち流のキスだ」

アクセルに力を入れた。ダットサンは加速した。僕は雪乃人形をのっぺら本体の腕の抱かせると、本体の肩を抱き寄せた。前方のパトカーの壁が少しずつ近づいてくる。

オカメインコが羽ばたいた。僕の肩で背伸びをし、優しい声で歌いだした。加速する空間の中で、雪乃と僕は見つめ合ったままだった。雪乃が愛しくてたまらなくなった。

「愛してるよ、雪乃・・・」とささやいた。すると、雪乃の顔がおなかから消えていく。雪乃の顔が本体に戻り、のっぺらぼうは消え、優しい笑顔が僕を見つめている。

なんて美しい女性だろう、僕はそう思い、雪乃にキスをした。僕らはようやく唇と唇で、互いの存在を確かめ合った。

「呪文が解けたね!」僕は雪乃を抱きしめた。

「サトシさんが、わたしを心から愛してくれたからです・・・」

 ブルーバードダットサンはさらに加速する。きっと『幸せの青い鳥』となって空を飛んでくれるだろう・・・僕らはそう信じて、二度目のキスをした。


 オカメインコは歌う・・・誰も聞いたことがない、そしてだれも永遠に聞くことがない、高野聖と森下雪乃のテーマを―。

最後まで読んでくださりありがとうございました。


この小説は新潮エンターテイメント大賞に応募し、一次選考を突破した作品です。1500作品中の80位以内ということになります。


少しはお楽しみいただけたのではないでしょうか。


僕は、小説にテーマやメッセージは問わない主義です。

小説は、おもしろければいい、それでいいと思っています。

なぜなら、小説は娯楽だと思っているからです。


文学と呼ばれるものは、夏目漱石に始まり村上春樹で終わりました。


楽しめるか否か。

それだけが僕にとって大切なことです。


まだ世には出ていないこの小説がおもしろいのか、おもしろくないのか。

「小説を書こう」という素晴らしいサイトに出会い、ここで試してみようと思いました。


最後まで読んで下さった方に、心から感謝します。

また、こういった発表の機会を与えてくださった「小説を書こう」様にもお礼申し上げます。


これからもこの場で小説を発表しますのでどうぞよろしくお願いいたします。




               平成28年12月


                      瀬木 遊馬


                     

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