明かされた秘密 8
「……私はそうやって生きてきた。まわりから逃げて、逃げて、逃げ続けて生きてきた」
「………そうだったのか」
人気の少ない病院内の食堂で遅めの昼食をとりながら、二人は向かい合っていた。
「このことを話した同年代の人は、西村君しかいない。どう思ったのかはわからないけれど」
「……苦労したんだな。でも、俺なんかに同情されたところで………」
西村は途中で言葉を切った。自分でもどう言えばよいのかわからなかった。
「…そうだね」
気まずそうに押し黙った西村に対して、すまなそうな表情を浮かべて時雨は顔を落とした。そんな彼女の姿を見て、西村も正視に堪えず下を向いてしまう。
「………それと、私の心について話したい」
西村は顔を上げた。視界に時雨の疲れたような表情が入ってくる。
「…実は、私は……」
彼女は非常に悲しそうな目をしていた。認めたくないことを認めなければならない。そんな目だった。無理やり喉の奥から言葉を引っ張り出そうとしていた。
「………うつ病、なのか?」
西村が先に問いを投げる。時雨はびっくりしたように目を丸くした。
「…ど、どうして、知ってるの? いつから?」
「……ずっと前からだ。三条から教えてもらった」
「三条君にも話したことはないよ。このことは誰にも話したことがないのに……」
雷に打たれたようなショックを受けている時雨を落ち着かせるために、西村はコーヒーを二つ注文する。しばらくして湯気の立っている黒い液体が二つ運ばれてきた。
「…まあ、飲め。確かに、知られたくないことが筒抜けになっていたのはショックだろうが、三条はそういうことを見抜くことにかけてはプロだ。仕方がない」
コーヒーカップを時雨の方へ押しやると、西村は自分のカップを傾けた。しばらくして時雨はゆっくりと顔を上げ、カップを手元に引き寄せた。
「…三条君の他に、このこと知られてないよね?」
「木村は知っている。他はどうか知らないが、三条はあんまりそういうことを人に話したりはしない人間だから、大丈夫だと思うがな」
時雨は不安そうな表情を崩してはいなかったが、無理やり押し殺したのか、か細い声で返事をすると、コーヒーを口につけた。
「……何でわかったんだろう……」
「薬を見て一発で看破したらしい。お前の家にあったあの薬だ。薬局の息子だしな」
時雨は、ああ、とつぶやくと肩を落とした。
「今は落ち着いているけど、たまに飲んでるの。どうしようもなく落ち込んだ時とか」
時雨の表情は非常に暗い。しかし、西村はどうして彼女がこんなに暗くなったのかがわからなかった。別に自分が心の病を抱えていることを話すだけならば、そこまで暗くならずに済むはずである。しかし、今の彼女は今までにないくらいに落ち込んでいる。
「…なあ、何で、そんなに暗くなってるんだ? 別にうつ病だろうが何だろうが、そこまで気にするようなことじゃないだろ」
「……嫌なんだ」
ぼそりとつぶやかれたその言葉に西村は眉をひそめた。彼女の言葉の意味がつかめない。
「………嫌って……何がだよ?」
「私が精神病だってこと。それだけでも嫌で嫌で仕方がない」
「……別に、精神病なんて珍しいものじゃないだろ。確かに嫌かもしれないけど、そこまで気に病むようなこととは、俺には思えないんだが」
時雨は顔を上げて西村を見た。今の彼女の顔からは、生気がほとんど消えていた。
「それは、私がお父さんと同じということだから」
いつか、自分も錯乱や狂気に陥り、父親のように人を傷つけてしまうのではないか。その結果として、誰かを不幸に巻き込み、必要もない苦しみをまき散らすことになってしまうのではないか。そんな苦しみを彼女は抱えていた。
故に、自分の病気を許すことができず、認めることが苦痛になっている。精神疾患を抱えた中里時雨という存在を自分自身でさえ認めることができない。ただひたすらに自己否定を繰り返し、それがさらに気分を憂鬱にさせていくという負の連鎖に陥っていく。
「……でも、お前は人を傷つけたいなんて思ったことはないんだろう?」
西村は純粋に励ますために、この言葉を言ったつもりだった。しかし、次の瞬間、時雨の目が妖しく光ったような気がした。
「どうかしらね」
言葉を発したのが、中里時雨だということは間違いない。しかし、その口調は西村龍太の良く知る中里時雨のものとは異なっていたし、目つきも他の誰かのようにも見えた。
「え……っと……」
言葉を詰まらせた西村をよそに、異様な雰囲気をまとった時雨は、先程とはうって変わって平然とした表情でコーヒーをすすった。
「…『私』はともかく、私は必ずしもそうではないってことよ。理解した?」




