果報者と傍観者 6
「…まだ、この時間帯はあたりが明るいな」
いつもよりも早めの時間のため、日はまだ暮れておらず、茜色の空の下で二人は雪道を歩いていた。何人か一年三組と思われる生徒に見られていたが、もう晴代は完全にどうでもよくなっており、気にすることもなく霧矢と一緒に歩いていた。
「…ねえ、霧矢と中里さん、最近何かつきあいが薄くなったみたいだけど、何かあったの?」
「お前、もしかして、僕のことを観察してたのか?」
「…いや、別にあたしはストーカーじゃないから、そんなことはしないよ。文香がそんな感じがするって言ってただけだけど」
最近の霧矢は時雨とのつきあいを控えているが、そのことを別に誰かに対して明言したことはない。しかし、観察力に長けた文香なら、霧矢と時雨のつきあいの微妙な変化にも気づいていたとしても、それほど不思議なことでもないかもしれない。
「…下手に傷つけたら…アレだから。ナイーブなやつなんだ。僕みたいな無神経なやつはいつあいつの地雷を踏んでしまうかわからない……」
「まあ、霧矢が無神経だというのは、間違ってはいないかも」
「だ・ま・れ」
いつも通りの黙らせ文句を口にすると、晴代はくすくすと笑った。霧矢は歩くスピードを上げたが、晴代は霧矢の肩をつかんだ。霧矢は足を止める。
「……ねえ、あの子、心の病を抱えてるんでしょ?」
霧矢は本来知らないはずの晴代が知っていることを意外に思った。ゆっくりと振り返ると、霧矢は晴代の目を見ると、晴代は霧矢の顔を見て一歩下がった。
「………それは、木村から、聞いたのか?」
「…半分当たり。でも、文香は詳しくは教えてくれなかった。半分以上はあたしの推測」
霧矢の表情が苦々しいので、晴代はなだめるように手を振った。
「別に、文香が秘密を洩らしたとかそういうことじゃないよ。文香がうつ病の本を読んでるのを見て、あたしが、それって中里時雨のことかと聞いたら…妙な反応をしただけで…」
霧矢の苦々しい表情の原因が文香への怒りのせいだと思ったのか、晴代は親友をかばうように弁明する。霧矢は別に怒ってなどいなかったのだが、どうも晴代の目にはそう映らなかったらしい。霧矢としては、単に晴代が知っているということに少し驚いただけだった。
「…お前の推測はきっと正しいだろう。木村がどこまで話したのかは知らないが、僕は何も言うつもりはない。それだけだ」
「……うつ病、または統合失調症。多重人格の可能性があって、シンデレラ・コンプレックスの持ち主。あたしはそう思う」
「……シンデレラ・コンプレックスか。お前、倫理の点数が低い割には、よくそんなワードを知っているな」
半分、小馬鹿にするような口調だったが、晴代は憤慨しなかった。普通ならば反論して突っかかって来るのだが、何も言わない晴代に対して霧矢は首を傾げた。
「…別に、あたしの意見じゃないもん。人の受け売り」
「……木村の考察か。まあ、あいつらしいと言えば、あいつらしいか」
文香ならそれくらいの考察を行っていたとしても不思議ではない。霧矢が一人で納得していると、晴代は文香じゃないと首を振った。
「じゃあ、誰の説なんだ。中里に関しては、僕と西村、それと木村以外に知っている人間はいないはずだぞ」
まさか西村がそんな考察を晴代に話すとは思えない。雨野も知っているといえば知っているが、彼女の口の堅さは霧矢も信頼している。晴代に話しているとは考えられなかった。
「……相談に乗ってもらった通りすがりの女性。霧矢は知らないと思うけど」
「…通りすがりって…お前……」
呆れたような口調になった霧矢に、晴代は口を尖らせた。
「困ってたあたしに親切に相談に乗ってくれたんだよ。いい人なんだから!」
霧矢は晴代の言葉を聞き流すと、踵を返して再び歩き出した。晴代は霧矢についてくる。
「マリー・ハーシェルさんって言って、火のハーフ! とっても、優しい人だったんだよ!」
興味無さそうにつかつかと歩いている霧矢に晴代は憤慨しながら、せがむように言う。霧矢はため息をつくと、歩くスピードを少し緩めた。
「……ハーフって、お前、魔族に会ったのか?」
晴代はうなずく。霧矢は珍しいこともあるものだとつぶやいた。怪しく思ったが、目を見る限り、彼女が気を引くために嘘をついているわけではなさそうだった。
「マリー・ハーシェル…か…」
つぶやきながら、霧矢は足を止めた。
(…待てよ。どこかで聞き覚えのある名前だな……)
少し前に聞いたことのある名前のような気がする。しかし、どういう人だったのかまで思い出すことができない。特に最近は時雨やテストのことを中心に考えていたため、その他のことは頭から追い出されがちになっていたのも、原因かもしれない。
「…霧矢…知ってるの?」
「……名前をどこかで聞いた覚えがある。あまりいい話ではなかった気がするが……」
しかめ面で腕組みをしている霧矢を晴代は不安そうに眺めていた。しばらく考えを続けていたが、霧矢はぶんぶんと首を振って、思考を終わりにした。
「だめだ、思い出せん。この話はもういい。そのうち思い出すだろうから」
頭をポリポリと掻くと、霧矢は空気を吸い込み、思い切り吐き出した。長い冬も三分の二がもう終わってしまったが、あと一月もすると、この冷たい空気が吸えなくなることを思うと、少し寂しい気もする。
「まあ、お前が誰と付き合おうと、僕は何も言わないさ。言う権利もないからな」
「……怒らないんだ」
霧矢は無言で歩くスピードを再び上げた。晴代もそれにならって早歩きを始める。
「怒るってのはエネルギーを使う。僕は、無駄にエネルギーを使いたくないんだ」




