果報者と傍観者 5
「ちょっと! 今、霧矢、何て言ったの!?」
どうやら、晴代にとっては完全な初耳だったらしく、霧矢の肩をつかむと乱暴に前後に揺すった。無意識のうちに契約異能も発動していたらしく、霧矢の制服の肩部分がアイロンをかけたように熱せられていた。
晴代の手を振りほどくと、霧矢はむち打ち症になりかけていた首をゆっくりと回した。
「だから、中里は西村に本命を贈るつもりらしい。西村もまんざらじゃないようだし、きっとそのうちあいつらは、つきあい始めるだろうさ」
晴代はとんでもないことを聞いてしまったとばかりに、力なく椅子に腰を下ろした。
「すでにデートの誘いもかかってるらしいぞ。今週末一緒に出掛けるってさ」
「……ものすごく仲が良いことでうわさになってたけど、本当につきあい始めるなんて…」
晴代は唖然とした表情で生徒会室の天井を眺めていた。しかし、あの二人がそんな関係になっていたことがショックだというよりも、他の何かを憂えているようだった。
「…これが、田中さんに知れたら……」
「田中に知れたらどうなるんだ?」
「…ヒステリックに怒ると思うよ。詳しいことは誰にも話さない人だから、あたしも何も知らないけど、とにかく、あの子が嬉しそうな表情をしてると、イライラするって言ってたから」
霧矢は目を細めた。田中彩についての情報は霧矢もほとんど知らない。霧矢や西村に対する地味な嫌がらせは続いていたが、もはや気にする必要もなくなっていたため、霧矢の頭から田中彩という人物の存在は忘れ去られていた。
「…中里と田中は天秤なのか?」
「天秤?」
中里時雨が幸せになると、田中彩は不幸な感情に満たされる。中里時雨が不幸になると、田中彩は幸運な感情を得る。
両者の関係は天秤のごとく、片方がプラスに傾けば、もう片方はマイナスになる。逆もまた然り。そういう関係なのだろうか。
「でも、どうして田中はそんな中里を嫌うんだ? 憎しみという感情は余程の事情がない限り、長い間持ち続けるのはかなりのエネルギーを使うはずだぞ。普通、嫌いな相手は無視するのが一番省エネな付き合い方だと思うんだが」
「だから、そういうことを田中さんは語らないんだって。それに、そういうことを簡単に聞けるような雰囲気の持ち主じゃないんだよ!」
晴代がやや感情的になって反論する。霧矢はこれ以上何も言うことなく、黙り込んだ。
(どういう関係だ? 松原先生はそれを軽々しく公にはできないと言っていたらしいが…)
霧矢は前に雨野から聞いた話を思い出していた。二人の関係には何かしがらみがある。しかし、そのことはトップシークレットでとても人に話せることではないとされる。
だからこそ、雨野は相川探偵事務所という最終手段を利用した。そして、その調査結果はこの土曜日に届くことになっている。
「まあ、この話はいいや。考えても答えは出ないと決まっている」
霧矢が話題を終わらせようとすると、晴代もうなずいてこの話題から離れた。
「ところで、お前、何でわざわざ校内で僕に話しかけてきたんだ? 誰かに見られたら面倒なことになるんじゃないのか?」
一応、霧矢と晴代は絶交したことになっている。晴代が霧矢と関わっていることが表沙汰になると、一年三組の中での立場がまずいことになりかねないのではないか。
「面倒くさいの。何でわざわざこんな面倒な付き合い方をしなきゃいけないのよ」
「お前な……面倒でも、僕や西村に関わると、クラス内でいろいろと問題が生じるだろ……」
あれほど、学校での身の振り方について助言を求めてきたのはどこの誰だったのか。そのせいで、西村との間に一時的に微妙な溝ができたりもしたし、それに関連して、霧矢も一時期少しだけ精神的にナイーブになっていたりもした。
「じゃあ、どうしたいんだよ。お前は」
呆れた口調で問いかけた霧矢に、晴代は特に明確には答えはなかった。特に何か方策を考えた上での判断というわけではないのだろう。単に自分は今の状況が嫌だということで、それ以上の意味は何もないと思われる。
「結局のところ、何も考えてないのか。お前らしいと言えばお前らしいが……」
「ねえ、その人を哀れむような目は何?」
「別に」
素っ気なく返すと、霧矢はカバンに晴代からもらったチョコレートの包みをしまった。
晴代は不満そうな顔をしたが、霧矢は余程疲れている場合を除き、甘いものを多く食べるのは苦手だった。大して体力を消耗しているわけでもない、この場でもう一つのチョコレートを食べることは舌と胃に負担になる。
「家でゆっくりと食べさせてもらう。ありがとうな」
「どういたしまして」
ぶっきらぼうな返答をした晴代に霧矢は苦笑いした。口調は文句を言っているそれだが、本心はお互いによく理解していた。
霧矢は素直に感謝している。晴代はそれで満足している。
「いずれにしても、お前も単純な人間だな。まあ、嫌いじゃないが……」
「…嫌いじゃないなら、明後日、土曜にスキーしよ」
「どういう論理の展開だ。意味がわからん」
しばらく晴代がスキーを断っていたことは霧矢も知っていた。だが、唐突な誘いに霧矢は少し戸惑ってしまった。晴代は気にすることもなく話を続ける。
「だから、土曜日に一緒にスキーしよ。あたし、もう禁断症状で死にそう」
「……一人ですればいいだろ。別に下手な僕と無理にする必要でもあるのか?」
消極的な返答をする霧矢に、晴代は不機嫌な表情を浮かべる。駄々をこねる子供のような口調で霧矢に迫ってきたが、土曜日に霧矢は先約がある。
「無理だ、土曜は会長と約束がある」
「じゃあ、日曜日。それなら暇でしょ」
「……課題はどうするんだ。とてもじゃないが、土日で二日も予定入れたら、僕は週末課題の処理が追いつかなくなる」
期末試験が終わってしまった以上、学校もいつも通り受験対策と称して大量の週末課題を出してくる。それに、学校の試験が終わったとはいえ、まだ模試などがあり、完全に遊びモードに入ってしまうわけにはいかなかった。
「……チョコあげたんだから、一日くらい付き合え!」
やけになった口調で晴代は霧矢の両肩を揺する。霧矢はポケットから剣のカードを取り出すと、威嚇するように晴代の顔に突きつけた。
眉間にカードを当てられて、ぎょっとした表情を浮かべると、晴代は霧矢の肩から手を放した。晴代が霧矢から距離をとると、カードをポケットにしまった。
「まったく……次揺すったら、剣で殴るぞ」
ため息をつくと、霧矢は椅子から立ち上った。
「……チョコの代償は、スキーか学習支援の二択だ。好きな方を選べ」
霧矢としては妥協したつもりだったが、晴代は不満そうな表情を崩さなかった。チョコレートを受け取った以上、言うことには絶対服従せよと言わんばかりの表情だった。
「……けちんぼ」
「僕はエゴイストだ。これでも最大の譲歩だ。さっさと、好きな方を選べ」
「……じゃあ、保留で」
「いいだろう。まあ、テストが返ってきてから決めるといいさ。僕はどっちでも構わない」
大きく伸びをすると、霧矢は腕時計を見た。時間的にはまだ帰るには早いが、これ以上生徒会室にいてもあまり意味はないようにも思える。
「……それにしても、西村君、オッケーするのかな?」
「…覗きに行こうだなんて野暮なことは考えるなよ。万が一、せっかくのいい雰囲気を僕たちがぶち壊してしまったら、最悪な野郎だと思われるだろ」
晴代は知らないが、時雨の心は傷つきやすい。それを考えて、霧矢はできるだけ接触を避けてきた。今回もその例外ではない。
「お前、今日はどうするんだ?」
「……久々に霧矢と一緒に帰ろうかな、と。特に他意はありません」
怪しいものだと思いながらも、霧矢は別に拒否はしなかった。ただ、一緒に帰る様子を一年三組の関係者に見られてしまったら面倒なことになるのではないだろうか。そのことを聞くと、晴代はこの際もうどうでもいいと答えた。
「……じゃあ、少し早いけど帰るか? 今の時間帯なら下校する人間の数もそう多くない」
「じゃあ、帰ろう!」




