重視すべきもの 9
眠気が精神を鈍らせている。もともと朝にはそれほど強いわけではない。しかし、今日は速めに学校に行った方が良いだろうと思っていた。
(…でも今から思い返してみると、意味あったのかな…俺が早く来たところで…)
ガラガラの教室に一人立ち尽くしている間抜けな男がいた。あくびをすると、彼はカバンを自分の席に置き、無人の教室を出た。
西村龍太は電車通学をしている。今日は普段よりも一本早めの電車に乗った。しかし、浦沼は田舎である。田舎の運行ダイヤをなめてはいけない。たとえ朝の通勤時間帯だとしても、一時間に一本である。そのため、西村は一時間早く起き、一時間早く家を出た。冬のため、日の出は遅く、家を出たときはちょうど東から太陽が出てきたときだった。
少しでも、あの子が学校で苦痛に思うことが少なくなればと思って早く登校したものの、自分が早めに登校したからと言って、彼女が同じく早めに学校に来るわけではない。結局一人で彼女の登校を待つ羽目になってしまった。
中里時雨、今の西村龍太にとって学校生活を彩るスパイスのような存在。
霧矢とは違って西村は女性が関わると物事に非常に積極的になれる。今回もそれは例外ではなく、時雨の学校生活をより良いものにしようと意気込んでいた。
廊下を歩いていると、部活動の朝練の声がかすかに聞こえていたが、それ以外は聞こえない。冷え切っている静まり返った廊下はいつもとはまた違った雰囲気を持っていた。
外は晴れているが、気温は低い。校舎の中だというのに、西村の息は白くなっていた。冷え切った手をズボンのポケットに突っ込み、西村は出迎えるために玄関に向かった。
生徒玄関にある自動販売機で熱いお茶を買うと、缶をカイロ代わりにして手を温める。電車の時間を考えると、人の波が来るまであと五分といったところだろうか。それまでは、コーヒーを飲みながら優雅に待たせてもらおうと、西村はプルトップを開けた。
缶の中身を半分ほど飲んだところで、生徒玄関の戸が開いた。西村は顔を上げると、ターゲットを探して目を走らせる。しかし、西村に目に留まったのは違う女子生徒だった。
「…会長、おはようございます」
「西村、あんたこんなところで何してるの。こんな朝早くから」
「…中里が来るのを待ってるんです。そのために早めに学校に来ました」
雨野は、西村が何を言おうとしているのかよくわからなかったらしく、目をパチパチさせていた。首を回すと、西村に目でわかりやすく説明するように促した。
「つまりですね、できるだけ、中里を学校で一人きりにしないようにしようと思ったんですよ。俺か三条がついてれば、連中も軽々しく手出しできないはずだし」
「そのためだけに、わざわざこんな早く学校に来たの? あんた確か電車通学でしょ?」
「はい、一本早い電車で。そのために早起きして駅まで猛ダッシュしました!」
元気よく西村は警官が取る敬礼のポーズとともに答えた。雨野は呆れたように息を吐いた。彼の熱意は彼女の予想をはるかに上回っていた。
「元気がいいのはいいんだけど、あんまりやり過ぎると空回りするわよ。私が護を起こすときみたいにね。そうしたら虚無感だけが残るだけになってしまうわ」
実際の経験に裏打ちされた雨野の言葉には妙に説得力があった。事実、西村は、かつて失敗した時の雨野のしなびた様子を実際に見ている。しかし、西村は首を横に振る。今の彼女を見ている限りでは、少しやり過ぎるくらいでないと上手くいかないだろうと思っていたからだ。
「でも、俺の取り柄と言ったら、熱意しかないですよ。三条みたいに、物事を冷静に見極めることもできないし、木村みたいに頭がいいわけでもない。だから、自分の長所を最大にいかせりゃそれでいいんです。生徒会に入ったのだって、この熱意のベクトルを人の役に立てる方向に向けたいと思ったからですし」
「いい笑顔だわ。頑張りなさい」
雨野は自信に満ちた西村に表情を見て微笑んだ。しかし、すぐに雨野の表情は心配そうな表情に変わった。西村は不審に思い尋ねる。
「会長…? どうしたんですか?」
「…西村、昨日三条から連絡はあった?」
西村はキョトンとした表情で首を横に振った。雨野の顔は余計厳しい表情になった。しかし、その厳しい表情は西村にとって見慣れないものでもあった。普段よく見せる憤りでも困惑でもなく、言葉では何とも表現しがたいものだった。
「三条からの連絡って…あいつ何か魔族がらみのトラブルに巻き込まれたんですか?」
「魔族とは関係ないけどね。晴代ちゃんのことでちょっと問題が起きたのよ」
西村は首を傾げた。確かに西村龍太は上川晴代とは一定の親交があるが、その深さは彼女の幼馴染である三条霧矢とは比べ物にならないほど浅い。彼女のことで連絡を受ける覚えなど思い当たらなかった。
「…そう言えば、俺もまだ会長に魔族のこと話してなかったはず!」
西村は思い出したように大声を出す。晴代について説明しようとしていた雨野は面食らったが、西村の話を聞くことにしたらしい。話し始めようとしていたが黙った。
「…なるほど。銀髪で火の魔族、マリー・ハーシェルか…気を付けておくわ。私の身の回りにも、抜け忍同然のユリアがいるしね。護にも気を付けるよう言っておくわ」
雨野は真剣な表情でうなずく。少なくとも教団がらみでユリアが狙われる可能性は十分にある以上、彼女も他人事だと切り捨てることはできない。
「それにしても、セイスが撃退しちゃったんでしょ? その火の魔族を」
「はい、あいつの本気は初めて見ましたね。植物を操って戦う…」
西村がしみじみと語っていると、学校に電車通学組が到着したらしく、玄関の外がざわついてきた。玄関の戸が開き、大勢の生徒たちが入ってくる。
「それで、さっき言ってた、三条からの連絡って何なんですか?」
西村の問いに対して、雨野が口を開こうとしたその瞬間、西村の視線が脇に移る。
「おはよう! 中里」
下駄箱を開けた少女は長身で、雨野より高い。しかし、儚げな雰囲気を醸し出していた。
「…西村…君? おはよう」
「おはよう。中里さん」
「…会長さん? 何で私のことを知ってるの?」
雨野は時雨の問いを適当にごまかすと、有島を見つけたと言ってその場から立ち去った。
(三条から連絡がどうのとか言ってたのに、いなくなったな…まあ、本人に直接聞いとくか)
適当に自分を納得させると、西村は時雨に笑顔を向ける。
「いつもこの時間帯に登校してるのか?」
「うん。でも、どうしてわざわざこんなところにいるの?」
「まあ、今日は早めに来てみようと思ったんだ。せっかくだし、話もしたいと思ったしな」
西村は持ち前の明るい雰囲気で時雨と雑談を交わしていく。時雨も楽しそうな表情で答えた。
「まあ、じゃあ、一緒に教室にでも行こうぜ」




