おまけ⑦ 返しなさい
翌朝、海辺の家から届いた知らせには、こう書かれていた。
――母子ともに、夜はよく休まれました。
――ヴィオレッタ様には出産のお疲れがございますので、本日の面会はご遠慮ください。
午後になり、もう一通届いた。
――明日でしたら、娘君三名に限り、短時間の面会が可能です。
「私たちだけですって」
コーラルは、二通目の書状を父親たちへ見せた。
「夫も駄目なのか?」
ヴェルディが尋ねた。
「娘三名に限る、と書いてあります」
カドミアが答えた。
「私は昨日から待っているのだぞ」
「私たちもです」
「祖父のような立場ではないか」
「ような立場であって、祖父ではありません」
「家族には違いない」
「母上の回復が先です」
ビステルもエクリオも、面会を求めた。
三人の夫は妻たちを送り出し、自分たちは次の許可を待つことにした。
父親たちより聞き分けがよい。
もっとも、翌朝の馬車へ積む荷物が増えすぎないよう、エボニーとグラファイトとシモンがそれぞれ妻を止める必要はあった。
「赤ん坊へ会うだけです。壁紙の見本は要りません」
エボニーが言った。
「壁紙ではないわ。窓掛けです」
カドミアは見本帳を馬車から下ろした。
「祝い着は、もう届いております」
グラファイトは、コーラルが持ってきた箱を一つ返した。
「これは少し大きくなってから着るものよ」
「今日、渡す必要はありません」
シモンは、セルリアが用意した籠を確認した。
「これは?」
「母上が食べられそうなパンと、林檎です」
「それならよいと思います」
セルリアの荷物だけが馬車へ載った。
*
三姉妹を乗せた馬車が海辺の家へ着いたのは、昼前だった。
王室医は玄関で三人を待っていた。
「母君のお身体は、順調に回復なさっております。ですが、まだ長くお話しになるとお疲れになります」
「どれくらいならよいのです?」
カドミアが尋ねた。
「まずは半刻ほどで」
「短いわ」
「コーラル」
「分かっています。母上と赤ちゃんが大切です」
「お子様がお休みでしたら、起こさないでください」
王室医は、さらに念を押した。
三人が声を抑え、ヴィオレッタの寝室へ入ると、窓掛けは半分ほど閉じられ、部屋には柔らかな日の光が入っている。
ヴィオレッタは背へ枕を重ね、寝台の上で身体を起こしている。隣には、小さな寝台が置かれていた。
「母上」
セルリアが一番に母のそばへ行った。
「本当に、大丈夫なのですか?」
「ええ。まだ疲れてはいますけれど、医師も順調だと言っています」
「痛いところは?」
「ありますよ。出産したばかりですから」
「何か必要なものは?」
「今は、貴女たちが落ち着いてくれれば十分です」
三人の娘は、小さな寝台を見た。
白い布に包まれた赤子が眠っている。
頭には柔らかな髪が少しだけあり、頬はまだ赤い。片方の手が布から出て、小さな指を曲げていた。
「小さいわ」
コーラルが囁いた。
「昨日生まれたのですから」
カドミアも、声を抑えている。
「母上、この子が弟なのですね」
セルリアは寝台の横へしゃがんだ。
「ええ。貴女たちの弟です」
「名前は?」
「リオネルです」
「リオネル」
三人は一度ずつ、弟の名を呼んだ。呼ばれた本人は眠っている。
「抱いてもよい?」
最初に尋ねたのはコーラルだった。
「目を覚ましたらね」
「少しくらいなら」
「起こしてはいけないと、医師に言われたでしょう」
コーラルは小さな手を見るだけで我慢した。
しばらくすると、リオネルは腕を動かし、口を開けた。細い声を出し、また一度手を動かす。
「起きました!」
「大きな声を出さないで」
カドミアが妹を止めたが、自分も寝台へ一歩近づいた。
ヴィオレッタは産婆を呼び、赤子を抱き上げてもらった。
「まず誰から?」
「私でしょう」
カドミアが答えた。
「なぜ?」
「長女ですから」
「こういうときだけ長女を使うの?」
「では、女王からにしますか」
二人がセルリアを見る。
「私は三番目でよいです」
女王の地位を、弟を抱く順番に使うつもりはないらしい。
「では、私が最初ね」
「今、長女からだと決まったでしょう」
「決まっていないわ」
「二人とも」
ヴィオレッタが呼んだ。
「年の順です。カドミアから」
母に決められ、ようやく順番が決まった。
産婆から赤子を渡されたカドミアは、教えられたとおりに頭と背を支えた。
普段、書類を持つときより、ずっと慎重に腕を動かしている。
「軽いですね」
「三人とも、最初はそれくらいでしたよ」
「私も?」
「ええ。貴女は抱き上げると、よく足を動かしました」
カドミアは弟の顔を見た。
「この子には、何も背負わせなくてよいのですね」
「家族の一人として育てます」
「それがよいと思います」
リオネルの手が、姉の指へ触れた。カドミアはそのまま、もうしばらく抱いていた。
「姉上」
コーラルが呼んだ。
「何です?」
「次は私です」
「まだ抱いたばかりです」
「十分たったわ」
「十分は短いでしょう」
「赤ちゃんにとっては長いかもしれないわ」
「何を根拠に言っているのです」
「次へ渡しなさい」
ヴィオレッタに言われ、カドミアは弟をコーラルへ渡した。
今度はコーラルが、産婆から抱き方を教わる。
「可愛い」
腕へ収まった途端、コーラルは何度も言った。
「本当に可愛いわ。ねえ、私を見た。今、見たでしょう?」
「目が開いただけです」
カドミアが答えた。
「私の声を聞いたのよ」
「生まれたばかりでは、まだよく見えませんよ」
「では、声を覚えたのね」
リオネルは少し顔を動かし、コーラルの胸元へ頬を寄せた。
「ほら。私が好きなのよ」
「温かいほうへ向いただけでしょう」
「姉上は先に抱いたのだから、黙っていて」
コーラルは椅子へ座り直し、弟を腕の中へ収めた。しばらくたっても、次へ渡そうとしない。
「コーラル姉上」
セルリアが呼んだ。
「もう少し待って」
「先ほど、カドミア姉上には十分で長いと言いました」
「あのときとは違うの」
「何が違うのです?」
「私が抱いているわ」
「同じです」
「返しなさい」
また母に言われ、コーラルはようやくセルリアへ渡した。
セルリアは、姉たちよりさらに慎重に弟を受け取った。
「こうですか?」
「もう少し、こちらの腕を上げてください」
産婆に直してもらい、椅子へ座る。リオネルは姉の腕の中で、また目を閉じた。
「眠りました」
「安心したのかもしれませんね」
ヴィオレッタが言った。
「私が女王だと、分かるでしょうか」
「分からないと思います」
「そうですよね」
セルリアは、眠っている弟を見た。
「この子にとっては、私はただの姉なのですね」
「そのほうがよいでしょう?」
「はい」
王宮では、セルリアへ会う者はまず女王として接する。
けれど弟にとっては、母のところへ来るとパンや果物を持ってくる、一番年下の姉である。
「大きくなったら、温室へ連れていってもよいですか?」
「走り回らない年になったらね」
「苺も食べさせます」
「喉に詰まらせない大きさにしてください」
「シモンにも教えておきます」
セルリアは、もう弟と温室で過ごすつもりになっていた。
「そろそろ母上へ返してください」
カドミアが言った。
「もう少しだけ」
「私たちには、十分で長いと言いましたよ」
「私は言っていません」
「姉上」
コーラルも加わった。
「次は母上です」
「返しなさい」
三度目は、ヴィオレッタ本人からだった。セルリアは名残惜しそうに、弟を母へ戻した。
「三人とも、抱けましたね」
「はい」
「では、今日はここまでです。私も少し休みます」
面会は半刻の予定だった。すでに、それを少し過ぎている。
三人の娘は母へ挨拶をし、もう一度ずつ弟の頬と手を見てから寝室を出た。
「次は、いつ来てもよいですか?」
扉の前で、コーラルが尋ねた。
「王室医に聞いてください」
母本人へ尋ねても、訪問の許可は出なかった。
*
三人の娘が帰ったあと、ネヴィルが寝室へ入ってきた。
「お疲れではございませんか」
「少し。三人とも、なかなか返さないのですもの」
「殿下方も、楽しみにしておられましたから」
「貴方も抱く?」
「よろしければ」
ネヴィルが手を伸ばしたところで、廊下から侍女の声がした。
「ヴィオレッタ様。元王配殿下方がお見えです」
ネヴィルの手が止まった。
「今日の面会は、娘三人だけでは?」
「玄関までお越しになり、お祝いを置いて帰ると仰っております」
「帰ると思う?」
「思いません」
ヴィオレッタは、腕の中のリオネルを見た。
「一人ずつ、短い時間だけです」
「そのように伝えます」
しばらくして、三人の元王配が寝室へ入ってきた。
本当に玄関で帰るつもりだったなら、三人揃って来る必要はない。
「お加減はいかがです?」
ビステルが尋ねた。
「順調です」
「子供も?」
「元気ですよ」
リオネルは、母の腕の中で眠っていた。
「これが」
ヴェルディが寝台の横へ来た。
「小さいな」
「赤ん坊ですから」
同じ会話を、昨日ネヴィルともした。
「抱いてもよいだろうか」
「眠っています」
「起きるまで待とう」
「長居はできませんよ」
「目を覚ますまでだ」
「それが長居です」
結局、リオネルが目を覚ますまで、三人は隣室で茶を飲んだ。
起きたと知らされると、今度は抱く順番を決めることになった。
「第一王配だった私からだろう」
ビステルが言った。
「もう王配ではない。年齢なら私が先だ」
ヴェルディが答える。
「私は最後で構いません」
エクリオは菓子を一つ取った。
「では、ビステルからです」
ヴィオレッタが決めた。
「なぜだ」
「最初に言ったからです」
ヴェルディは納得しなかったが、ビステルへ順番を譲った。
赤子を渡されたビステルは、背と頭を丁寧に支えた。
「カドミアが生まれた頃を思い出します」
「貴方はあのときも、抱き方を三度確認しましたね」
「安全のためです」
「今回も、産婆へ三度尋ねましたよ」
同じところは二十年余りたっても変わらない。
次にヴェルディが抱いた。
「よし。元気に育て」
リオネルの小さな足が布の中で動いた。
「よく動く。健康な証拠だ」
「布がずれただけでは?」
「エクリオ、余計なことを言うな」
「次は私です」
「もう少し待て」
「娘君たちと同じことを言っていますよ」
「まだ顔をよく見ていない」
「返しなさい」
ヴィオレッタに言われ、ヴェルディは渋々エクリオへ渡した。
エクリオは赤子を受け取ると、椅子へ座った。
「こんにちは、リオネル」
そう言って、小さな手へ指を添える。
リオネルは目を開け、しばらくエクリオの顔を見たあと、また眠り始めた。
「もう寝ました」
「貴方は昔から、子供を寝かせるのが上手でしたね」
「何もしなければ、眠ります」
エクリオらしい方法である。
*
面会を終えた三人が帰る頃には、日が傾いていた。
ネヴィルは玄関まで見送り、急いで寝室へ戻った。
しかしリオネルは、すでに母の隣にある小さな寝台で眠っている。
「起こしてはいけませんよ」
ヴィオレッタが言った。
「分かっております」
「夜には、また起きます」
「はい」
「そのとき、抱いてください」
夜になり、リオネルは元気な声で泣きだした。ネヴィルは寝台から抱き上げ、部屋の中をゆっくり歩いた。
「ようやく貴方の番ですね」
「はい」
リオネルは父の腕の中で少し静かになり、すぐにまた泣いた。
「返してください」
ヴィオレッタが手を伸ばした。
「もうですか?」
「お腹が空いたのでしょう」
ネヴィルが息子を抱けた時間は、その日一番短かった。




