第1話「辺境支援部を買い取った主任」
「辺境支援部は、今月末をもって廃止する」
正式な決定を聞いても、ミレアは驚かなかった。
その方針自体は、一週間前に辺境へ届いていたからだ。
部下四人とも話し合った。
そのうえでミレアは数日かけて王都まで来た。
今日は異動先を聞くためだけではない。
自分たちの今後を決めるために来た。
王都冒険者ギルド本部の会議室。
向かいに座るギルド長グレイグの前には、分厚い帳簿が開かれている。
「理由を、改めて伺っても?」
「採算だ」
グレイグは帳簿をこちらへ向けた。
「昨年度、辺境支援部が直接受け取った手数料は金貨千八百四十二枚。人件費、倉庫費、馬車の維持費を合わせれば二千百枚を超える。三年連続の赤字だ」
「はい」
「異論はないのか?」
「数字は合っていますから」
ミレアは答えた。
その帳簿を作ったのは自分だ。
辺境支援部は、オルフェン辺境伯領で増え続ける小口依頼を処理するため、十数年前に増設された部署だった。
辺境伯領は広い。
中心都市から街道が伸び、その先には大小いくつもの村がある。
当然、依頼も多かった。
ただし多いのは、大物魔獣の討伐ばかりではない。
畑の害獣を追い払ってほしい。
薬草を採ってきてほしい。
村まで荷物を運んでほしい。
崩れた街道を確認してほしい。
そうした小口依頼が大量に持ち込まれ、通常の地方支部だけでは窓口が回らなくなった。
そこで倉庫街に別の建物を借り、小口案件だけを処理する部署を作った。
それが辺境支援部の始まりだった。
今でも中心街には、王都冒険者ギルドの地方支部がある。
中型以上の討伐や護衛、一般的な依頼はそちらが扱う。
辺境支援部が扱うのは、採算の悪い細かな仕事ばかり。
だから。
「本来のギルド業務は地方支部で継続できる」
グレイグが言った。
「小口案件を整理すれば、辺境支援部を維持する必要はない」
「はい」
理屈は分かる。
むしろ、経営者としては当然の判断なのだろう。
「君を含む五名については、解雇するつもりはない」
グレイグは五枚の書類を机に置いた。
「本部や地方支部に異動先を用意した。ミレア、君には王都の依頼管理部へ来てもらいたい」
ミレアは書類を手に取った。
今より給料が高い。
住居手当まで付いている。
「ずいぶん待遇が良くなりますね」
「君自身の評価は高いからな」
グレイグは当然のように言った。
「三年間、あれだけの小口案件を事故なく回した。依頼管理部でも十分やっていける」
「ありがとうございます」
本当に、ありがたい話だった。
自分は評価されている。
だからこそ、少しだけ妙な気分になった。
ミレアは必要だ。
でも、ミレアが三年間やってきた仕事は不要だ。
理屈は分かる。
それでも、胸の中に何も残らないわけではなかった。
ミレアは異動通知を机へ戻した。
「一つ、お願いがあります」
「なんだ?」
「辺境支援部を、私たちに売っていただけませんか?」
グレイグが黙った。
「……部署を?」
「正確には、資産と契約です。西倉庫、荷馬車二台、馬四頭。それから本部が打ち切る予定の小口契約を、すべて」
「ミレア」
「はい」
「今の話を聞いていたか?」
「もちろんです」
「赤字だぞ」
「はい」
「三年連続で」
「よく知っています。私が帳簿を作りましたから」
グレイグが額を押さえた。
「それを買うのか?」
「買います」
「他の四人は?」
「話し合ってきました。全員、異動を辞退します」
「五人揃って?」
「はい」
「……変わった連中だな」
「それも、よく言われます」
グレイグは苦笑した。
それ以上、止めようとはしなかった。
本部にとっても悪い話ではない。
後から増設した古い倉庫。
年季の入った馬車。
打ち切る予定だった小口契約。
まとめて引き取ってもらえる。
金額を決め、書類を作り、双方が確認する。
最後にグレイグが契約書へ署名した。
「後悔するなよ」
「しません」
「言い切るか」
「三年間、やってきた仕事ですから」
ミレアも署名した。
こうして王都冒険者ギルドから、辺境支援部が消えた。
◇
数日後。
オルフェン辺境伯領の中心都市。
西側の倉庫街にある、見慣れた建物へミレアは帰ってきた。
「お帰りなさい、主任!」
「ただいま戻りました」
「どうでした?」
四人が集まってくる。
ミレアは鞄から契約書を取り出した。
「買えました」
一瞬の静寂。
直後、歓声が上がった。
「これで続けられる!」
「馬車も?」
「二台ともです」
「契約は?」
「全部」
また歓声が上がった。
ミレアは笑いながらも、一度だけ確認した。
「本当にいいんですか? 異動を断れば、もう戻れませんよ」
「その話、王都へ行く前にしたでしょう」
「……そうでしたね」
「だから早く始めましょう、主任」
「もう主任ではありません」
「じゃあ何て呼ぶんです?」
「それを今から決めるんです」
机。
依頼票。
荷馬車二台。
数日前まで本部の所有物だったものが、今は五人のものになっている。
「名前、どうします?」
「辺境支援部でいいんじゃないですか?」
「もう部じゃないでしょう」
「辺境支援ギルド?」
「そのまますぎません?」
好き勝手に話していると、倉庫の扉が叩かれた。
ミレアが開ける。
立っていたのは、オルフェン辺境伯レオンだった。
「戻っていたか」
「オルフェン辺境伯。どうされたんです?」
「本部から正式な通知が来た。辺境支援部が廃止されたそうだな」
「はい」
レオンは手にしていた依頼書を軽く上げた。
「北の三村への冬支度を、今年も頼むつもりだった。塩、干し肉、薬だ。廃止されたのなら、どこへ持っていけばいいのかと思ってな」
「ああ」
「それで、ここはどうなる?」
「買い取りました」
「……何を?」
「ここをです」
レオンは倉庫の中を見た。
机。
書類。
五人。
荷馬車。
「全部?」
「だいたい全部です」
しばらく沈黙したあと、レオンは笑った。
「そうか。それは助かった」
「助かった?」
「ああ。この依頼を持って帰らずに済む」
レオンは依頼書をミレアへ差し出した。
「今年も頼めるか?」
「もちろんです」
受け取ろうとしたミレアに、レオンが続けた。
「いや、待て」
「はい?」
「どうせなら、この一件だけではなくてもいいな」
レオンは少し考えた。
「本部を通す必要もなくなったのなら、今後は直接君たちに頼めばいい。条件は後で詰めよう」
ミレアは目を瞬いた。
「……よろしいのですか?」
「こちらが頼む側だ」
レオンは不思議そうに答えた。
「君たちがいなくなったら、細かな仕事を誰に頼めばいいのか分からなくなる」
その言葉に、ミレアは返事ができなかった。
王都では言われた。
『君自身の評価は高い』
嬉しかった。
それは嘘ではない。
でも今、レオンが評価しているのはミレアではない。
五人が三年間やってきた仕事だった。
赤字だった仕事。
なくしても構わないと判断された仕事。
それを、必要だと言う人がいた。
「ミレア?」
呼ばれて、ようやく我に返る。
「……失礼しました」
ミレアは差し出された依頼書を受け取った。
「お引き受けします」
「頼む」
レオンが帰ったあと、四人がミレアを見る。
「主任」
「もう主任ではありません」
「じゃあ、ギルド長?」
ミレアは少し考えた。
王都冒険者ギルド辺境支援部主任。
その肩書きは、もうない。
けれど、それほど惜しいとは思わなかった。
「……それでいきましょうか」
「ギルド長。最初の仕事です」
「はい」
差し出された依頼書を、ミレアは受け取った。
古びた倉庫。
荷馬車二台。
赤字案件ばかりの契約書。
仲間が四人。
そして、自分たちの仕事を必要だと言ってくれる最初の顧客。
王都では、不要になった仕事だった。
ここではもう、次の仕事が待っていた。




