私と、日常
私は一人暮らしをしている。
……と言っても、今日もまた常盤さんが来る。
これが、私の日常だった。
毎日、彼女を見ない日はなかった。
常盤さんは、ただの同級生なんかじゃない。
友達と呼べる唯一の、私の――。
私の、一番大切な人だと思う。
校舎を囲む森からは、耳を刺すような蝉の声が響いていた。
「茉白、今日も部活があるので、先に帰っていてください。後ほど伺いますね……あ、少し遅れるかもしれません」
色風常盤。
薄く緑がかった髪に、澄んだ緑の瞳。
森の奥にひっそりと佇む、女神のような人。
「毎日大変だね。……うん、わかった。無理しないでね」
どこにでもあるような会話を交わして、私は一人で校門を出た。
その瞬間、さっきまでうるさかった蝉の声が、ふっと遠のいた。
肌に張り付く夏の暑さだけが残って、
視界の端で森の色がわずかに褪せた気がした。
家に着いてしばらくすると、インターホンが鳴った。
扉を開けると、そこにはいつも通り、買い物袋を抱えた常盤さんが立っていた。
「今日もお邪魔しますね。……いつも通り、作らせてもらいます」
「うん。よろしく」
彼女を家に上げると、すぐに台所から包丁の音が響き始めた。
軽やかで、迷いのない一定のリズム。
まるでオルゴールみたいに整っていて――どこか、綺麗すぎる気もした。
やがて食卓に並べられたのは、夏らしい冷やし中華だった。
赤いトマト、黄色い卵、そして鮮やかな緑のきゅうり。
その色が、とても綺麗だった。
「いただきます」
冷たさと酸味が口の中に広がって、思わず頰が緩む。
「……どうかしましたか?」
気づけば、常盤さんがこちらを優しく見つめていた。
「い、いや……なんでもないです」
私は慌ててもう一口食べる。
常盤さんは少しだけ目を細めて、柔らかく微笑んだ。
それでも彼女の眼は私を捕らえ続けていた。
「あの、あまりじろじろ見られると恥ずかしいんだけど…」
常盤さんはきょとんとした顔をして、それから小さく笑った。
「いえ。ただ――いつも、本当に美味しそうに食べてくださるので。……嬉しいのですよ」
胸の奥がじんわりと温かくなる。
「そ、そうですか……? 自分じゃあんまり分からないけど……」
私は自分の頬に触れた。熱い。
「あっ、今日も本当に美味しいです」
幸せそうに笑ってみせる。
その様子を、常盤さんはずっと優しい目で見つめていた。
食事が終わりに近づく頃、外はすっかり暗くなっていた。
食器を洗う音だけが静かに響く。
タオルで皿を拭きながら、ちらりと横目で見ると、
常盤さんの表情が少しだけ柔らかく翳った。
ほんの少し、どこか寂しげに見えて。
(……常盤さん、どうしたんだろう)
窓の外では街灯が星の下でふわりと灯り始めていた。
「……今日、昨日より星がきれいに見えますね」
思わずそう言うと、常盤さんは静かに微笑んで、
「――そうですね」
と、返してきた。
その声は、とても優しかった。
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お風呂から上がると、いつの間にか玄関には常盤さんの姿があった。
「…帰っちゃうの?」
「今日のところは、ここでお暇させていただきますね」
そういって靴を履き扉から出た。
「…わかった。遅くまでいてもらっちゃってごめんね」
「いえいえ。さみしがり屋の茉白ちゃんは、私がいないと怖くてお風呂にも入れませんからね」
からかうようにそう言って、常盤さんは少しだけ笑った。
さっきまでの翳りは、もうどこにもない。
「……もう入れるし」
月明かりが差し込んで、その横顔をやわらかく照らしていた。
小さく言い返しながら、私は乾いた髪を結び直す。
「ふふっ、茉白も大人になりましたね。それではまた明日。」
「うん。また明日」
ドアが閉まる。
彼女の姿が、完全に見えなくなる。
その瞬間、外の風が、わずかに開いた隙間からするりと入り込んできた。
(……なんだか、暑いな)
お風呂上がりだから、そう思うことにした。
部屋は暗いままなのに、キッチンの明かりだけが、ぽつんと残っている。
冷蔵庫を開けて、水を取り出す。
コップに注ぐと、かすかな音が静かに広がった。
水を注いだコップは、キッチンの薄明かりを受けて、ほんの少し緑に染まっていた。
私はコップを置いて、キッチンの隅にある観葉植物に目を向ける。
寝る前に水をやるのが、いつの間にか習慣になっていた。
常盤さんがくれた、小さな鉢植え。
異質なほどに鮮やかな、緑。
――そのはずなのに。
「あれ……?」
葉の一部が、ほんの少しだけ色を失っている気がした。
胸の奥が、わずかにざわついた。
「せっかくのもらい物だったのに……、明日謝らないと」
小さく呟いて、水をやる。
葉は何もなかったみたいに、静かに揺れた。
それを見届けてから、私はキッチンの明かりを消した。
寝室に入ると、そこにはベッドと、ほとんど埋まっていない本棚。
その上に、ぽつんと置かれた写真立て。
私はそれにそっと触れる。
「おやすみなさい、常盤さん」
――返事は、返ってこないはずなのに。
ほんの少しだけ、待ってしまった。
何も聞こえないまま、私はベッドに横になる。
目を閉じる。
暗闇の中で、ふと浮かんだのは――
あの緑。
やけに鮮やかで、綺麗で。
――ほんの少しだけ、怖い色。




