#06.
膝を立てた状態で眠ってしまったのか、アリーは縮こまった姿勢で横になって眠っていた。かなり滑稽な姿で寝ていたという事実に羞恥心が押し寄せる。
いや、それよりも執務室にいるはずの伯爵がここにいるということは、アリーが思ったより長く眠っていたということであり、彼女が職務を放棄したということでもある。
初日からまともに仕事もしない召使いだと烙印を押されるわけにはいかない。
急いで謝罪して彼を支え起こしたかったが、血流の悪くなった体は相変わらずアリーの思い通りには動いてくれなかった。
仕方なく中途半端に座り込んだアリーは、気を取り直して平穏を保ちつつ口を開いた。
「伯爵様。許可もなく休んだ上に、長い間眠りこけてしまい本当に申し訳ありません。明白な私の間違いです。二度とこのようなことがないよう……」
「眠っていたのは構わない。叱責しようと起こしたわけではない」
「ですが……」
「構わないから心配する必要はない。ただ、このような場所で眠るのは困る。マグレーンは寒い地方だ。廊下で眠りに落ちたら凍え死ぬ」
「……心得ておきます」
自分が情けなくて自然と首が垂れる。
(どうして私は敵陣でこんなにも無防備に眠ってしまったんだろう?)
城に来てから大して経ってもいないのに、家族にしか見せるようなことのない恥ずかしい姿を見せるなんて。
もっと毅然と振る舞わなければならない。リア姉さんのように。カラルお兄さんのように。冷静かつ落ち着いて。感情を消して行動しなければならないのに。
「伯爵様の時間を奪ってしまい大変申し訳ありません。一体いつから私を起こしてくださっていたのですか? このことに対する謝罪は……」
「今来たところだ。謝罪は必要ない」
今来たと言ったが、彼女を揺り起こしていた手は非常に冷たかった上に、アリーはかなり長い間自分を呼ぶ声を聞いていた。
きっとかなり長い時間彼女のそばにいたのだろう。
(一体なぜ?)
一人のメイドのために伯爵が時間を割いたって? 伯爵の行動に唇を噛みしめたアリーが低く呟いた。
「お気遣いありがとうございます。もう起きましたので、休まれに行ってください」
支えてくれる人がいなければまともに歩くこともできない彼がアリーを支えられるわけはなく、現在のアリー自身も誰かを支えられる状況ではなかった。
アリーの答えに伯爵はしばらく思案するような表情を見せると、羽織っていたフードをアリーに被せた。
自分の姿を見られたくない伯爵が差し出した行動にアリーの瞳が大きく見開かれた。
「まだ体は動かないだろう。不愉快だろうが被っていなさい。動ける程度になったら戻って休むといい」
フードは脱いでくれたのに、相変わらず姿は見られたくないのだろうか。
伯爵はアリーに視線を向けないまま杖に頼ってその場から立ち上がった。
背の高い伯爵だから、立ち上がると顔があまり見えなかった。不慣れだが優しい行動は、あまりにも懐かしい家族を思い起こさせた。
(いや、違う。だめだ。思い出さないで)
いくらグレイル伯爵のすべての行動が愛する父親に似ていたとしても、彼は父親ではない。決して心を開いてはならないのに。
アリーは彼が被せてくれたフードをしっかりと合わせ直した。自分がどんな顔をしているのかも分からない状態で、アリーは伯爵を見上げた。
「……ありがとうございます。伯爵様」
泣きそうな、笑っているようなアリーの顔に、伯爵は無言でアリーのそばを離れた。
「ここはハジャンじゃない。彼らは家族じゃないでしょ。情を移しちゃダメだ。慣れてはいけない。警戒しなさい」
見知らぬ場所、見知らぬ人。
その人たちの中で家族の面影を見出すことになるとは思っていなかったアリーは、半ば無意識にフードを強く握り締めながら、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「彼は家族じゃない。レッシュ人に心を開いてはならない」
***
仕事を始めた初日には図らずも伯爵に迷惑をかけてしまったが、もともとアリーは不注意な性格の持ち主ではなかった。
数日間の体調管理と、慣れ始めた仕事を繰り返すうちに、体に残っていた旅の疲れや疲労はほとんど抜け落ち、本来の体調に戻りつつあった。
毎日同じように念入りに掃除したおかげで仕事が減ったりもしたし。
業務を始めて十日。最近では伯爵の部屋と廊下の掃除を終える時間がかなり早くなり、時間がものすごく余るほどだった。
業務が終わった後に余る時間は自由に休んでもいいとウィリルと伯爵に言われはした。
しかし休むのにも限界がある。城の内を回ろうとしても新入りであるアリーは立ち入れる空間も限られているから、何をまともに見ることも難しいし。
(どうしよう……)
退屈だ。暇だ。体を動かさないと雑念が長引く。長引いた雑念の果てにはいつだって焼け死んだ家族が現れる。
家族を思い出すのは幸せなことだが、最期を思い出すのはあまりにも苦しかった。雑念から抜け出すためには何かしなければならない。
そう決心したアリーが向かったのは城の厨房だった。
料理が好きなわけではないが、召使いの身分でいつもタダで食事をごちそうになるのが気にかかっていたので、ちょうどよかったと思った。
早々と掃除を終えておいたアリーは城の食堂へと歩みを進めた。
圧倒的な広さを誇る反面、召使いがあまりにも少ない辺境伯の城はどこに行っても虚無感が満ちあふれていた。
人の気配すらない食堂を通り過ぎて厨房に入ると、食事時でもないのに慌ただしく動き回る料理人の姿が見えた。
料理人……名前が何だっけ。
(ええと……)
召使いたちにアリーを紹介した日、アリーも召使いたちの紹介を受けたのだが、あまりにも関心がなかったせいでよく覚えていなかった。
(ドミニク? デイブ? いや。ドルトラン……こんな名前じゃなかった)
アリーが名前を思い出せないまま厨房をうろついていると、料理人が彼女の気配に気づいて近づいてきた。
「こんにちは。つまり、アリー。ですよね?」
「こんにちは。あの……」
相変わらず名前が思い出せない。困った顔でアリーが突っ立っていると、勘のいい料理人がにっこりと笑った。
「もう一度挨拶しますね。俺はドアイン・ライキです。ドアインと呼んでください」




