第81話 玉座と商人の口火
いつも応援ありがとうございます!
ついに天水都の最高権力者、アルディス王との謁見です。
しかし、その姿は想像を絶するものでした。緊迫の玉座の間で、商人リゼが先陣を切ります!
白亜の神殿の内部は、外観の威圧的なまでの壮麗さとは裏腹に、驚くほど質素で、まるで時が止まったかのように静まり返っていた。
かつては何かを飾っていたのだろうか、壁の至る所にある窪みには何も置かれておらず、きらびやかな装飾品は一切ない。あるのは、塵一つなく磨き上げられた白い石の床と、天井を支えるために高くそびえる柱だけだ。大きく開け放たれた窓からは、最上層の荒涼とした「死の世界」の岩肌が見え、生命の気配を感じさせない空虚な風の音だけがひゅるひゅると聞こえてくる。それは、巨大な墓標の内部を歩いているような錯覚すら覚えさせた。
ルシアンに導かれ、僕たち四人は硬い石の床に不遠慮な足音を響かせながら、奥へ奥へと玉座の間を進んだ。
部屋の最奥、数段高くなった祭壇のような場所に、白と金を基調とした豪奢なローブを纏った人物が、深く腰を下ろしていた。
天水都の最高権力者、王・アルディス。
だが、その姿をはっきりと捉えた瞬間、僕たちは無意識に息を呑み、足を止めた。
ゆったりとした豪華な衣服に幾重にも包まれているものの、そこから覗く手首や首元は、まるで水分を失った枯れ枝のように痩せ細り、文字通り骨と皮だけになっていたのだ。眼窩は暗い影を落とすほど深くくぼみ、頬はこけ、肌は不気味なほど青白く透き通って血管が浮き出ている。背筋を伸ばし、威厳を保とうとしているのは痛いほど伝わってくるが、その姿勢を維持することすら苦痛であるように見えた。
重度の栄養失調。誰の目にも明らかなほど、アルディス王の命は、生と死の境界線を彷徨う物理的な限界に達していた。
「……よくぞ参った、嵐を越えし者たちよ」
乾いた咳を一つ挟み、王が口を開いた。かすれて弱々しい響きだが、それでもなお、何百年とこの空の孤島を統べてきた血筋の凄みか、不思議と心に重く響く威厳ある声が広間に落ちた。
王の左右には数人の側近たちが控え、侵入者を見るような厳格な目で僕たちを睨みつけている。彼らの先頭に立つ近衛兵長ガランをはじめ、その手にはアエテリアの「掟」通り金属は一切使われておらず、代わりに美しく磨き上げられた硬い木と、鋭利な獣の骨で作られた槍が握られていた。いつでも突き出せるよう、彼らの腕の筋肉は限界まで張り詰めている。
アルディス王が再び細い息を吸い込み、続けて何かを語ろうと口を開きかけた、その時だった。
「レオ、カイル、シェリル。ちょっと下がってなさい。……相手は一国の王様よ。粗相のないように私が話をつけるから」
小声で緊張気味に告げると、リゼが僕の前にスッと立ち塞がり、玉座の階段の数歩手前まで歩み出た。
故郷の薄汚れた下町や、寄港地で荒くれ者たちを相手にしてきた彼女だが、本物の「王族」と謁見するのはこれが初めてだ。武装した側近たちの威圧感に気圧されたのか、彼女はコホンと小さく咳払いをし、両手を前で組んで、深々と、しかしどこかぎこちないお辞儀をした。
「ええと……この度は、我らのような流れ者にお目通りをお許しいただき、誠にありがたき幸せに存じます……国王陛下?」
慣れない敬語で恐る恐る口上を述べるリゼに、近衛兵長ガランが厳しい顔で一歩前に出た。
「言葉遣いがなっておらん! 神聖なる王の御前であるぞ!」
「ひっ……す、すみません!」
リゼが肩をビクッとすくませた、その時だった。
「……よい、ガラン」
アルディス王が、かすれた声で静かに制した。
「娘よ。無理に取り繕い、慣れぬ言葉を使う必要はない。我々は今、そのような見栄や体裁を気にかけている余裕などないのだ。外の世界の言葉で、そなたのありのままに語るがよい」
王のその思いがけない言葉に、リゼはパチクリと瞬きをした。
やがて、彼女の肩からスッと力が抜け……いつもの不敵な笑みが口元に戻ってきた。
「……あっそう? なーんだ、早く言ってよ。変に気を使って肩が凝っちゃったじゃない」
「貴様ッ、口の利き方を——!」
「ガラン、よいと言ったはずだ」
再び側近を制する王を見て、リゼは完全に「地」のモード——あの強欲な悪徳商人を相手に一歩も引かない、『一番の商人』の顔になった。
「じゃあ、お言葉に甘えて遠慮なくいかせてもらうわね」
リゼは両手を腰に当て、堂々とアルディス王を見据えた。そのよく通る澄んだ声が、静寂の神殿に、まるでガラスを叩き割るように響き渡る。
「回りくどい挨拶は抜きよ、国王陛下。あなたたちの国、土が完全に底を突いて、もうすぐ飢え死にするわね?」
一切のオブラートに包まない、あまりにも直接的で冷酷なその一言に、広間の空気が一瞬にして凍りついた。
次の瞬間、ガランたち側近の顔から血の気が引き、図星を突かれた激怒によって真っ赤に染まった。彼らは一斉に足を踏み出し、石と骨の槍の穂先をリゼの喉元へと突きつけた。
「無礼者!! 神聖なる王の御前で、何という許しがたい暴言を!」
「穢れし者どもめ、やはり生かしてはおけん! 直ちにその首を切り捨ててくれる!」
広間を一気に濃密な殺気が満たし、僕も咄嗟に腰に差した特大のレンチに手を伸ばす。カイルも分厚い本を盾にするように前に出て、シェリルを背中側に庇った。
一触即発。少しでも動けば血の雨が降る状況下で、だが、当のリゼは鼻先まで迫った槍の穂先から全く目を逸らさず、それどころか小馬鹿にするようにふんっと鼻で笑った。
「事実を言ったまでよ。下層の村人たちには『永遠の春』なんていう耳障りのいい綺麗な嘘をついて安心させてるみたいだけど、外の世界の厳しい現実を這いつくばって生きてきた私たちには、そんな見え透いた嘘は通用しないわ。これだけ痩せ細った限界の体で、こんな無駄に豪華な服を着飾って、必死に権力者の威厳を取り繕うなんて……外の世界から来た私の目には、中身が完全に空っぽになった蔵を、外側だけ豪華な布で隠して『うちの国はまだ豊かだ』と言い張っているようにしか見えないわ。滑稽なくらい見え透いてるのよ、あなたたちの限界なんて」
「貴様ァッ!! これ以上王を愚弄するか!」
近衛兵長ガランが怒号を上げ、リゼを脳天から串刺しにしようと槍を高く振り上げた、まさにその時。
「……控えよ、ガラン」
静かだが、逆らうことなど到底できない、絶対的な力を持った王の命が響いた。
激昂し、槍を振り下ろそうとしていたガランが、見えない鎖で縛られたようにビクッと動きを止める。
声を上げたのは、玉座に深く座り直したアルディス王だった。
「陛下……! しかし、この者たちの言葉はあまりにも無礼千万! 我々の誇りを——」
「よいと言っているのだ。……ルシアン、彼らを下がらせろ」
王のすぐ傍らに立っていたルシアンが静かに頷き、主君への侮辱に震える側近たちの槍を、自らの手でゆっくりと押し下げた。
ガランたちはギリギリと悔しそうに歯を食いしばり、僕たちを憎々しげに睨みつけながらも、王の絶対の命に従って数歩後ろへ下がった。
広間に再び、先ほどよりも重く張り詰めた静寂が戻る。
王は深くくぼんだその瞳で、一歩も引かずに堂々と立っているリゼの姿をじっと見つめた。そこには怒りや憎しみではなく、何か別の感情が渦巻いているように見えた。
永遠にも思えるような、しばらくの沈黙の後。
王の口から、ふっ、と小さな息が漏れた。それはやがて、肩を揺らすような低い笑いへと変わり——そして、力のない、しかしまるで長年の呪縛から解き放たれたかのような、どこか晴れやかな笑い声へと変わっていった。
「くっ……ふふふ。はははは……」
「王……? いかがなされましたか?」
予想外の反応にガランたち側近が戸惑う中、王は痩せ細った手で玉座の石の肘掛けを何度も叩き、声を上げて笑った。
「空っぽの蔵、か。……全く、容赦なく痛いところを突いてくる娘だ。何百年もの間、我が国の歴史と共に我々が必死に取り繕い、守り続けてきた『美しき嘘』を、この国に来てたった数日でそこまで残酷に見透かすとはな」
アルディス王は咳き込みながらも笑いを収めると、どこかホッとしたような、長年背負い続けてきた途方もなく重い肩の荷が下りたような、憑き物が落ちた表情でリゼを見た。
「君の言う通りだ。もう、無駄な見栄を張るのはやめにしよう。……実のところ、私にはもう、君たちの無礼に怒るだけの体力すら残っていないのだからな」
王のその偽りない独白に、見栄と掟に縛られてガチガチに張り詰めていた神殿の空気が、ふっと緩むのを肌で感じた。
王の真意を理解したルシアンも、そして怒りに震えていたガランたち側近も、ピーンと張り詰めていた緊張の糸が切れたように、その場に崩れ落ちそうなほど辛そうな顔で深く俯いた。
彼らもまた、とうの昔に限界だったのだ。自分たち自身の命が静かに尽きかけているというのに、下の階層で暮らす民たちを少しでも不安にさせまいと、豊かな「王と貴族」という役割を必死に演じ続けてきたのだから。
リゼは突きつけられていた槍が完全に下ろされ、彼らが敵意を収めたのを確認すると、先ほどまでの尖った空気を解き、少しだけ表情を和らげた。
「……わかってくれればいいのよ。私は外の厳しい世界で、モノとモノの『本当の価値』を見極めて、それを必要とする場所へ巡らせることで生きてきた人間よ。見栄や嘘で塗り固められた相手とは、まともなやりとりなんてできないの。でも、あなたたちが隠し事をやめて本音で話してくれるなら、私たちはお互いにとって最高のパートナーになれるわ。私たちが持っているものは、あなたたちに絶対に必要なものだから」
アルディス王は、リゼの言葉の重みを噛み締めるようにゆっくりと頷いた。
「……価値を見極める者、か。我々が外界から逃げ出し、この鳥籠に引きこもって数百年……外の過酷な世界には、君のように真っ直ぐで、決して折れない逞しい瞳をした若者が育っているのだな。それは、永遠の調和と引き換えに、我々の世界が完全に失ってしまった『欲』と『活力』そのものだ」
王の深くくぼんだ視線が、リゼから、僕、カイル、そしてシェリルへと順番に移っていった。
「君たちの乗ってきた、あの不格好で、油臭く、凄まじい爆音を上げる鉄の船を見た時……私は、穢れに対する恐ろしさや嫌悪感よりも先に、荒々しく『生きている』という強烈な生命力を感じたのだ。美しく調和した我々の静かな船では、風に弾かれるばかりで、決してあの分厚い嵐の壁を力ずくで越えることはできない。……外の世界の過酷さを知る、逞しき若者たちよ。どうか、この沈みゆく国を統べる愚かな王の頼みを聞いてはくれないか」
王は、最高権力者としての仮初めの威厳を完全に脱ぎ捨て、国と民を想う一人の弱り果てた人間として、僕たちに真っ直ぐな、すがるような視線を向けた。
「いいわ。話が早くて助かるわ。……それじゃあ、さっそく商談のテーブルに着かせてもらうわよ」
リゼがニヤリと不敵に笑い、僕たちを振り返った。僕も、カイルも、シェリルも、それに答えるように小さく頷く。
僕たちは、アイアンポートの下町から着たきりの、油と煤にまみれた作業着のまま、伝説の都市王国を統べる王と、ついに完全な対等な立場で交渉の席に着いたのだ。
ここからが、沈みゆくユートピアを相手にした、僕たち野良犬の本当の勝負の始まりだ。
今日も読みに来てくださり、本当にありがとうございます!
王族相手に、槍を突きつけられても一歩も引かず「中身が空っぽの蔵」と言い放つリゼ。彼女の度胸には本当に惚れ惚れしますね。
そして、見栄を捨てて本音をこぼしたアルディス王。
泥臭い野良犬たちと沈みゆく箱庭の王が、ついに「対等なパートナー」として交渉のテーブルに着きました。
ここからの大逆転劇、明日も夜にお待ちしています!




