第61話 祭壇の音叉とカイルの覚醒
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嵐の壁を越えられないという物理の壁に絶望するカイル。
しかし、村の祭壇に祀られた「遺物」が、天才の頭脳に革命を起こします!
夜明け前の薄暗い岩穴の中で、カイルは一人、血の滲む包帯を押さえながら計算尺を弾き続けていた。
「ダメだ……。どう計算しても、絶対に足りない」
彼の足元には、焚き火の消し炭で岩肌に書き殴られた無数の数式が散乱している。
レオは「あの嵐をぶち抜けるだけのエンジンに改造してやる」と大見得を切った。その心意気は痛いほど分かるし、彼なら本当にトラクターの鉄屑を極限までチューンナップするだろう。
だが、物理法則は非情だ。
アルバトロス号の重たいジュラルミン装甲と、風の抵抗を真正面から受ける巨大な気嚢。それらを抱えたまま、あの常軌を逸した嵐の壁の乱気流を突き抜けるには、今のキメラ・ドライブが弾き出す最高出力の、最低でも「十倍」の推力と浮力が必要になる。
「燃焼効率をこれ以上上げれば、エンジンブロックそのものが熱で溶け落ちる。かといって装甲を剥がせば、雷と突風で一瞬でバラバラだ。……詰みだ。レオの気合いだけじゃ、物理の壁は越えられない」
カイルはギリッと奥歯を噛み締め、手元の計算尺を岩壁に叩きつけた。
天才としての自負が、音を立てて崩れそうになる。
長老バルカの言う通り、僕たちの重く原始的な機械工学では、この空の最果てには通用しないのか。
「……音も立てず、火も吹かない、静かな船」
カイルは、バルカの残した言葉を反芻しながら、重い足取りで岩穴の奥へと歩き出した。
頭を冷やしたかった。少しでも新鮮な空気を吸おうと、村人たちが寝静まった集落の細い通路を抜け、岩山の裏手にある少し開けた広場へと出た。
そこには、嵐の壁から漏れ出る微かな紫色の稲妻の光に照らされて、奇妙なものが佇んでいた。
「なんだ、あれは……?」
それは、広場の中央に組まれた石造りの『祭壇』だった。
天水都から墜落した先祖たちを慰霊するためのものだろう。色褪せた布が飾られ、その中央には、大切に磨かれた「いくつかの遺物」が祀られていた。
カイルは吸い寄せられるように祭壇へと近づき、そこに置かれているものを凝視した。
「木材の……残骸?」
それは、驚くほどきめ細かく、美しい木目を持った特殊な木材を精巧に削り出した、箱のようなものの破片だった。そしてその隣には、奇妙な形状をした二股の金属の棒――『音叉』が、台座に固定されて置かれている。
音叉は片方の先端が欠けてしまっていたが、その根元には、アルバトロス号の機関室にある耐圧ガラスの円柱――その中で常に青く明滅している握り拳大の石と同じ、「浮遊石の原石」の小さな欠片が、美しく象嵌されていた。
「これが、彼らの先祖が乗っていた船の部品……」
カイルは無意識のうちに息を詰め、その音叉に顔を近づけた。
エンジンもプロペラもない船。特殊な音叉を使って、浮遊石の波長を操る。
バルカの言葉が、カイルの脳内で高速でリフレインする。
(僕たち「外」の人間は、浮遊石をどうやって起動させている? エンジンの『物理的な振動』だ。気嚢の真下に配置したガラス円柱を、緩衝材のゴムブッシュを一切噛ませずにエンジンブロックへボルトで直留めし、その暴力的な振動で無理やり石を揺さぶって、マイナス質量の波動を発生させている)
カイルの瞳の奥で、散らばっていた点と点が、凄まじい勢いで繋がり始めていた。
(だが、それはまるで、繊細なガラス細工をハンマーで叩いて音を出そうとしているような、極めて野蛮で効率の悪いやり方だったとしたら……?)
その時。
ピューォォ……と、嵐の壁の方角から吹き込んできた冷たい一陣の風が、祭壇を通り抜けた。
風が、欠けた音叉の二股の隙間をすり抜ける。
――フォォォォォン……。
瞬間、音叉が共鳴し、極めて高く、澄み切った一つの『音階』を空間に響かせた。
「!」
カイルは目を見開いた。
音叉が鳴ったその直後、根元に埋め込まれていた小指の先ほどの小さな浮遊石の欠片が、かつてないほど強烈な、突き刺さるような青い閃光を放ったのだ。
そして次の瞬間、祭壇の周囲に散らばっていた小石や土埃が、まるで重力を完全に失ったかのように、フワリと数十センチも宙に浮き上がった。
「……信じられない」
カイルは震える手を伸ばし、宙に浮いた小石に触れた。抵抗なく石は空中で回転する。
気嚢の真下に固定されたガラス円柱の中で、トラクターエンジンから全開の爆音と振動を叩きつけられて、ようやく気嚢内部をマイナス質量に変えていたあの浮遊石が。
ほんのわずかな『澄んだ音』を聴かせただけで、直接周囲の重力を支配するほどの莫大なエネルギーを発生させたのだ。
「そうか……! そういうことだったのか!」
カイルの脳内に、雷が落ちたような衝撃が走った。
彼は拾い上げた小石を強く握りしめ、顔を紅潮させて祭壇の前にへたり込んだ。
「物理的な衝撃じゃない! 浮遊石の真の力を引き出すトリガーは、『特定の周波数による共鳴』だったんだ!」
狂ったような歓喜が、カイルの全身の血を沸騰させる。
天才の頭脳が、既存の航空力学の常識を根底から破壊し、全く新しい理論を一瞬にして構築していく。
「天水都の人間は、この音叉の周波数を使って、浮遊石を完全にコントロールしていた。だから重たいエンジンなんて必要なかった! 彼らの船は、この音を帆布の気嚢で反響させ、風と調和して飛ぶ『楽器』だったんだ!」
だが、その美しく洗練された楽器は、嵐の暴力の前ではあまりにも無力だった。
ならば。
(レオの作ったキメラ・ドライブは、圧倒的にやかましくて重い、物理的パワーの塊だ)
カイルは血走った目で、遠くに見える自分たちの不格好な鉄屑を振り返った。
(あの暴力的なエンジンのシリンダーの運動を、この『音叉の周波数』に完全に同調させたらどうなる……? 燃焼による莫大な物理的エネルギーで、この音叉を何百倍もの振幅で強制的に叩き鳴らし、気嚢の中で限界まで共鳴させたら!)
圧倒的なマイナス質量を生み出すことができる。
しかし、カイルの頭脳はそこで思考を止めなかった。
(待てよ。浮力だけじゃダメだ。あの嵐の壁をぶち抜くには、桁外れの『推力』がいる。今のプロペラでただの空気を後ろに掻き出してるだけじゃ、強烈な向かい風に押し返されるだけだ……)
どうする? 何を噴射すればいい?
通常なら、質量の重いものを後方に噴射すれば、その反発で前へ進む。
……重いもの?
カイルの瞳が、限界まで見開かれた。
「――逆だ。質量が『マイナス』のものを噴射したら、どうなる!?」
通常の完全な逆転。
もし、気嚢の中で極限までマイナス質量化した空気を、気嚢の前方に開閉可能な排気口を設けて『前方』へと一気に噴射したら。
通常なら激しいブレーキになるはずのその行為は、マイナス質量の反作用によって、船を前方へと爆発的に『引っ張る』力に変換されるのではないか!?
「……前方にマイナス質量を噴射して、前へ進む……。推力も浮力も、今の十倍なんてもんじゃない。理論上、無限大に跳ね上がる……!」
それは、天水都の「洗練された純粋な技術」と、外の世界の「泥臭く暴力的な機械工学」の、最悪で最高の融合。
自然と調和する天水都の人間には絶対に思いつかない、物理法則をねじ伏せる野蛮な発想。
バルカが不可能だと言い捨てた嵐の壁を、正面から粉砕してぶち抜くための、悪魔的なハイブリッド推進理論の誕生だった。
「レオォォォォッ!!」
カイルは計算尺を天に向かって放り投げ、岩穴の仲間たちの元へ向かって、全速力で駆け出した。
「起きろレオ!! 解けたぞ! あの壁をぶち抜く、狂った理論が完成した!!」
夜明けの冷たい風を切り裂いて、天才の歓喜の叫びが天欠島に響き渡る。
不可能を可能にするため。
四人の野良犬による、世界をひっくり返す最後の改造が、今、始まろうとしていた。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
音による共鳴と、マイナス質量の前方噴射!
天水都の洗練された古代技術と、レオの暴力的なエンジンの、最悪で最高の融合。既存の航空力学を根底からひっくり返すカイルの悪魔的な理論の誕生に、テンションが上がりっぱなしです!
天才カイルの歓喜の絶叫が天欠島に響き渡りました。
さあ、いよいよ最後のチューンナップが始まります!
明日もぜひお楽しみに!




