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空はまだ設計途中だった ―浮遊石と未完成の飛行船―  作者: 空木 零
第4部 天水都『アエテリア』と野良犬の交易
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第101話 王の涙と感謝

いつも応援ありがとうございます!

国が息を吹き返したその様子を、バルコニーから見下ろすアルディス王。

数百年分の重圧から解放される彼と、泥だらけの英雄たちとの対話です。

白亜の神殿の最奥。どこまでも広がるアエテリアの空を一望できる、巨大な大理石のバルコニー。

かつて、そこから見下ろす景色は「静寂」と「虚無」に支配されていた。枯れ果てて白骨化した大地、乾いた風が砂埃を舞い上げるだけの音のない世界。それが、歴代の王たちが何百年もの間、そしてアルディス王自身も即位して以来、毎日ただ一人で見つめ続けてきた絶望の箱庭だった。


だが、今の景色は全く違う。

最上層から下層へと張り巡らされた巨大な水路網から、キラキラと光るミネラル液の霧が絶え間なく降り注いでいる。その恵みの雨を浴びた大地は、文字通り劇的な息吹を取り戻していた。

白骨化していた木々からは鮮やかなエメラルドグリーンの新芽が爆発するように吹き出し、ひび割れていた赤茶けた大地は、水分と栄養をたっぷりと含んだ黒々とした豊かな土へと変わっている。


そして何より、バルコニーの遥か下方に位置する島々からは、これまで聞いたこともなかったような「音」が重なり合って響いてきていた。


カンッ、カンッ、と響く大工たちの力強い木槌の音。


「天空のバケツリレー」のカタパルトが、海水を満載したエレベーター船を空へと撃ち出す腹の底に響くような重低音。

そして、市場(バザール)で自らの労働の価値を誇り高く叫び、取引を交わし、腹の底から笑い合う民たちの凄まじい熱気と歓声。


アルディス王は、バルコニーの手すりに皺だらけの痩せた手を置き、その命の躍動を、瞬きすら惜しむように見つめていた。

そこへ、王の使者ルシアンの案内に導かれ、僕たち四人が静かに足を踏み入れた。

足音に気づいたアルディス王が、ゆっくりと振り返る。

その顔には、以前玉座で謁見した時に張り付いていた、あのすべてを諦めたような冷たい虚無感はなかった。


「……来てくれたか。外の世界の、誇り高く逞しき旅人たちよ」

王は掠れた、しかし確かな温もりを帯びた声で僕たちを迎え入れた。


「陛下。ご要望通り、彼らをお連れいたしました」

ルシアンが一礼して後ろに下がると、アルディス王は僕たちに向けて、深く、深く頭を下げた。


「頭を上げてください、陛下」

僕は照れくささを隠すように、油まみれの手で鼻の頭を擦った。

「俺たちは、俺たちの仕事をしただけです。あんたの国の連中が、自分たちの力で立ち上がった結果が、今のあの熱気ですよ」


「謙遜するな、若き職人よ」

王はゆっくりと頭を上げ、穏やかな笑みを浮かべた。


「君たちが外の世界から持ち込んだ『進む力』と『知恵』がなければ、我々はあのまま、見栄と誇りに縛られたまま死んでいただろう。……君たちには、我々が背負っていた呪いの正体を聞く権利がある」


アルディス王はバルコニーの手すりに寄りかかり、再び眼下の緑の大地へと視線を移した。


「……我々の先祖はかつて、この限られた資源を巡って、血で血を洗う凄惨な争いを繰り広げた。欲に溺れ、互いを殺し合い、この美しい空の国を自らの手で地獄に変えかけたのだ。だからこそ、我々は『欲』を捨てた。誰の物も奪わないこと。等しく貧しくあること。それが、この限られた世界で平和を保つための、唯一の気高い道だと信じてきたのだ」


王の言葉は、懺悔のように重く、そして悲痛だった。 「歴代の王たちは、そして私もまた、誰よりもその掟を厳格に守った。自らが最も貧しいこの最上層の岩盤で暮らし、民のために飢えを受け入れることこそが、王たる者の誇りなのだと」


「……その自己犠牲の精神は、確かに気高く、美しいものだったわ」

リゼが、静かな声で言葉を紡ぐ。

「でも、美しいだけじゃ人間は生きていけない。あなたは平和を守るために、一番大切なものを民から奪ってしまっていたのよ」


「ああ……その通りだ、娘よ」

王は目を伏せ、震える声で頷いた。


「私は、争いを恐れるあまり……彼らから『生きる喜び』を、未来を望む力を奪ってしまっていた。飢えに苦しむ民の顔を見下ろしながら、これが平和なのだと自らに言い聞かせてきた。だが、本心ではわかっていたのだ。我々は平和だったのではない。ただ、緩やかに死へと向かう行列を、乱さず静かに歩いていたに過ぎないと」


王の痩せ細った肩が、かすかに震えていた。 王室の絶対の教えとして「奪わないこと」を強要し、民がゆっくりと死に絶えていくのをただ見守ることしかできなかった無力感。

「王位を継いでからというもの……私は毎日このバルコニーから死にゆく大地を見下ろし、己の無力さを呪い続けてきた。掟を破り、外の世界へ助けを求めることすら、誇りが許さなかった。我々王族は、自らが作り上げた見栄という名の牢獄に囚われていたのだ」

王の言葉には、長年の重圧と、誰にも打ち明けられなかった深い孤独が滲み出ていた。


「でも、もう違うだろ?」

僕は、王の隣に並び立ち、はるか下層から響いてくる市場の熱狂に耳を傾けた。

「あんたの国の連中は、もう死を待ってなんかいねぇ。もっと美味いものを食いたい、もっといい暮らしがしたいって、自分たちの力で汗を流して、未来を掴み取ろうとしてる。あれが、人間が『生きる』ってことだ」


「そうだ。レオの言う通りだ」

カイルも眼鏡を指で押し上げ、誇らしげに頷いた。


「彼らのその『欲』は、誰かから奪うためのものではない。自らの価値を創造し、互いを豊かにするためのエネルギーに昇華された。我々が持ち込んだのは、そのための設計図と歯車に過ぎない」


「それにね、陛下」

シェリルがアストロラーベを胸に抱き、ふわりと微笑む。


「星の軌道は、いつだって変えられるの。あなたが『過去の見栄』を捨てる勇気を持ってくれたからこそ、この国は新しい軌道に乗ることができたのよ」


アルディス王は、僕たち四人の顔を順番に見つめた。

その威厳ある瞳から、ポロリと、大粒の涙がこぼれ落ちた。


「……ああ。君たちの言う通りだ。なんと力強く、なんと美しい音だろうか。私の民たちが、あのように腹の底から笑い、生きる喜びに満ち溢れている。あの光景を……この目で見られる日が来るなどと、夢にも思わなかった」


王の頬を伝う涙は、決して止まることはなかった。 それは、王室を、そして彼自身を縛り付け、心をすり減らさせてきた数百年分の重圧と呪縛から解放された、心からの歓喜の涙だった。

王は両手で顔を覆い、子供のように声を上げて泣き崩れた。


「陛下……」

ルシアンが痛ましげに目を伏せ、しかしその口元には、安堵の笑みが浮かんでいた。


「わはははは! 泣くこたぁねぇですよ、陛下!!」

突然、バルコニーの静寂を打ち破るように、豪快な笑い声が響き渡った。


ドカドカと足音を立てて現れたのは、泥だらけの近衛兵長ガランと、木屑にまみれた下層の船大工セト、そして首席調律師のカシムだった。

彼らは王の御前であるにもかかわらず、畏まることなく、生命力に満ちた堂々たる態度で歩み寄ってきた。


「ガラン! お前、陛下の手前でその泥だらけの格好は……!」

ルシアンが慌てて嗜めるが、ガランは意に介さず、分厚い胸板をドンと叩いた。


「なに、これが俺の新しい『誇り』の証ですからな! 陛下、俺たちはもう、腹を空かせて見栄を張るだけの兵士じゃありません! 自分の力で重い木材を運び、極上の塩をまぶした魚を腹一杯食って、この国を守る無敵の戦士になりました!」

ガランの言葉に、王は涙を拭い、嬉しそうに目を細めた。


「俺たち下層の連中も同じだぜ」

セトが、腕を組んで不敵に笑う。


「もう上層の顔色を窺って、配給を待つだけの日々は終わりだ。俺たちは俺たちの腕で、この国一番の機械を造り、世界で一番熱い市場を回していく。陛下も、たまには下まで降りてきて、俺の獲った魚を食ってみてくれよ。腰を抜かすほど美味ぇぜ!」


「……うむ。それは、ぜひとも味わってみたいものだな」

アルディス王が破顔すると、カシムも深く頷いて白髭を撫でた。


「陛下。我々調律師も、もはや閉じた神殿の中で過去の書物をめくるだけの存在ではありません。外の世界の数式と、我々の調律技術が交わった時、どれほどの奇跡が起こるかを、この目でしかと見届けました」

カシムは僕たち四人に向き直り、深々と頭を下げた。


「外の世界の商人よ、そして若き職人たちよ。お前たちが我々に教えてくれたのは、機械の造り方や市場の仕組みだけではない。前を向いて生きるという、その『強さ』そのものだ」

アルディス王は涙を拭き終えると、再び威厳ある王としての顔を取り戻し、しかしその瞳には深い慈愛をたたえて、僕たちを真っ直ぐに見据えた。


「聞くが良い、アエテリアの誇り高き民たちよ!」

王の声が、バルコニーに集まったルシアン、ガラン、カシム、セトたちに響く。


「彼らはもはや、鉄と油の穢れを運ぶ『異端の旅人』ではない! 我らの古き因習を打ち砕き、この国を完全なる死の淵から救い出してくれた、アエテリアの真の『英雄』である!」


「うおおおおおっ!! そうだ! レオたちは俺たちの英雄だ!!」

ガランが雄叫びを上げ、セトが「当たり前だ!」と叫んで僕の背中をバンバンと力強く叩く。


「陛下のお言葉通りです。我々は国を挙げて、彼らに最大限の感謝を示さねばなりません」

ルシアンが胸に手を当てて深く一礼した。


「さあ、我らが英雄たちよ。この閉ざされた国で出せる限りの最高のもてなしを約束しよう。今宵は、すべての身分も掟も忘れ、命の復活を祝う大歓待の宴だ!」

王の宣言に、バルコニーは割れんばかりの歓声に包まれた。


「……英雄、ね」

僕は呆れたように息を吐きながらも、仲間たちと顔を見合わせて笑った。


「悪くない響きだわ。でも、ただ歓待されて喜んでいるだけじゃ、三流の商人よ」

リゼが、その美しい瞳の奥で、獲物を狙う肉食獣のような鋭い光を放った。

「さあ、ここからが私の本番。この国の王様から、商人として『最大の利益』をもぎ取ってあげるわ」


アエテリアの空は、完全に死の軌道を外れた。

だが、僕たちの仕事は、まだ終わってはいない。

次なる設計図を描くための、最大の交渉の幕が上がろうとしていた。

今日も読みに来てくださり、本当にありがとうございます!

見栄と自己犠牲という呪縛から解き放たれ、子供のように泣き崩れる王様。これまでの孤独と重圧を思うと、本当に胸が締め付けられます。

しかし、そんなしんみりした空気を豪快にぶち壊すガランやセトたちが最高に気持ちいいですね!

英雄として国中から大歓待を受けるレオたち。

……で、そのままハッピーエンドで終わらないのが我らがマネージャー・リゼです(笑)。

次回、商人リゼの「本番」の交渉が始まります。一体何を要求するのか!?

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