第43話 次は、もう少し近くへ
《特災対・コマンドセンター/模擬市街区》
瓦礫の残る路地を、6人が並んで歩く。
その先頭を行くのは、杉山仁太郎だった。
ついさっきまで、あれほどの激戦を繰り広げていたというのに――
その背中は驚くほど軽やかだ。
「はっはっは! オメェら、めっちゃ良かったぞ!」
陽気な声が、市街区に反響する。
それに対して、内場たちの足取りは重かった。
誰も口を開かない。
疲労だけじゃない。
胸の奥に沈殿する、どうしようもない“負けた”という実感。
「……強すぎですよ、杉山隊長」
ぽつりと、長谷川が苦笑混じりに言った。
「おう! いいところ見せられたか?」
杉山は振り返りもせず、豪快に笑う。
「オメェらもな、このくらい出来るようにならなきゃダメだぞ!」
(……本当に、強かった)
内場は、無意識のうちに拳を握っていた。
やれることは、全部やった。
連携も、誘導も、奇策も。
頭で考えうる最善は尽くしたはずだ。
それでも――届かない。
内場の視線は、自然と杉山の背中へ向かう。
あれが、異能者と最前線でぶつかり続ける部隊の隊長。
異能を持たずして、異能者役を務められる男。
(……まだ、全然足りない)
自分が立っている場所と、あの背中との距離。
それを、これ以上ないほど明確に突きつけられた気がした。
やがて、一行は模擬市街区を抜ける。
待っていたのは、腕を組んだ荒屋と、第8部隊副隊長・柊だった。
「ご苦労だったな、杉山。――そして、お前たちも」
先に口を開いたのは、柊だ。
「おう! しごいてやったぜ、柊さん!」
杉山は悪びれもせず、ピースを作る。
だが、次に響いた荒屋の声は、空気を一変させた。
「動き自体は悪くなかった」
一瞬、内場の胸に、わずかな安堵が灯る。
しかし――
「だがな。負けは負けだ。
これが本物の戦場なら、お前たちは全滅している」
容赦のない言葉。
事実だからこそ、胸に刺さる。
「基礎が足りない。立てた戦術を“最後まで”実行する身体能力がな。ゆえに――」
一拍。
「当初言った通りだ。腕立て伏せ、100回」
「えぇー……」
木ノ下のかすれた声が、内場の耳に届く。
だが、荒屋は続けた。
「――それから、杉山」
「ん?」
「お前も、3ポイント奪われたな。反省しろ」
「ええー!?勝ったのに!?」
「お前が目指すべきは完封だ」
荒屋は視線を逸らさない。
「追いかけ回さず、利のある位置で待ち構え、誘導する選択肢もあった。図に乗るな」
杉山が、ほんの少しだけ肩を落とした。
「……お前、さすがは“鬼教官”だな……」
柊が、半ば同情するように呟く。
内場たちは無言で並び、地面に手をついた。
腕立ての体勢。
その隣に――
「俺もやるぜえええ!!」
杉山が、迷いなく並んだ。
「オメェらはな、俺から3ポイント奪ったんだ!」
誇らしげに、胸を張る。
「すげえことだぞ! だから俺も一緒にやる!」
(……なんというか)
内場は、思わず苦笑した。
(本当に、熱血だな……)
「いやだぁ〜……」
木ノ下は、今にも泣き出しそうな顔だ。
「よし、始めるぞ」
荒屋の声が落ちる。
「――1!」
「「「「いーち!」」」」
「2!」
「「「「にーぃ……!」」」」
苦しい。
腕は重い。
胸は痛い。
それでも――
内場の中に、確かに残っていた。
(……次は、もう少しだけ近づいてみせる)
あの背中に。
異能者の壁に。
腕立ての回数と一緒に、
決意だけが、静かに積み重なっていった。
◆◆
《特災対・コマンドセンター/居住区へ続く廊下》
第3部隊と第8部隊の合同訓練は、すべて終了した。
訓練区画を離れた6人は、居住区へと続く長い廊下を並んで歩いていた。
照明は白く、壁も床も無機質な灰色で統一されている。人の体温を拒むような冷えた空気が、汗の残る肌をじわじわと冷やしていった。
ブーツの音だけが、規則正しく反響する。
その沈黙を、最初に破ったのは浦木だった。
「いやぁ……お疲れ様でした」
軽く息を吐き、肩を回す。
「それにしても、ですよ。杉山隊長からポイント取れたって、普通に考えたらすごいと思うんですけど。逆に」
その言葉に、長谷川が小さく首を振る。
「でも、結果は負けです。もっと良いやり方があったかもしれない……すみません」
誰に向けた謝罪なのか、自分自身に向けたものなのかは分からない。
長谷川の声は、はっきりと自分を責めていた。
「いやいや」
横を歩く飛鳥が、慌てて首を振る。
「俺はあの作戦、かなり理にかなってたと思いますよ。特に――」
ちらりと内場を見る。
「内場さんのナイフ投擲。
正直、俺は思いつきませんでした」
素直な感心が、声に滲んでいた。
「白兵戦訓練、近接武器……って、勝手に頭で縛ってたんだと思います。あれで2ポイント取ってますからね」
「近づいても勝てないと思っただけですよ」
内場は少し照れたように苦笑した。
「勝てないなら、やり方を変えるしかないですから」
「それでもだよ」
飛鳥は頷いた。
「しっかしよぉ〜」
会話をぶった切るように、木ノ下が大げさにため息をつく。
「あの筋肉の化け物相手に、しかも隊長だぞ?やっぱ勝てるわけねぇって。訓練内容、無茶苦茶だわ」
肩をすくめる。
「荒屋隊長も、ほんっと容赦ないし」
「まあ……」
内場は曖昧に笑った。
「異能者相手のほうが、もっとやばいですからね」
その言葉に、空気がわずかに変わる。
「……そういえば」
浦木が、歩きながら視線を天井に向けた。
「異能者といえば。最近、出没頻度、異常じゃないですか?」
長谷川も頷く。
「確かに。第3部隊も、出動続きです。こないだなんて渋谷、次は秋葉原……繁華街ばかりで」
「ですよね」
浦木は眉をひそめる。
「俺たち、これだけ動いてるのに。異能者の数って、そんなに多くないはず……なんで増え続けてるんですかね」
誰もすぐには答えなかった。
内場は、冷たい床を踏みしめながら、胸の奥にわずかな違和感を覚える。
異能者はそんなポンポン生まれるものなのだろうか?
そもそもどうやって、異能者は異能者になったのだろうか。
やがて一行は、居住区の入口にたどり着く。
ロビーのような空間に、長椅子と自動販売機。そこから、複数の廊下が枝分かれしていた。
「じゃあ」
浦木が立ち止まり、軽く手を挙げる。
「第8部隊の居住エリアは、こっちなんで」
飛鳥と沢田が、短く会釈する。
「今後も、頑張りましょう」
浦木の言葉は、どこか現実を噛み締めるようだった。
内場も会釈を返す。
「お疲れ様でした」
6人は、それぞれ別の廊下へと歩き出す。
白い照明の下、足音だけが静かに遠ざかっていった。
彼らはまだ知らない。
この違和感が、やがて“日常”を壊す前触れであることを。
◆◆
《特災対・コマンドセンター/会議室》
白色灯が、無機質に室内を照らしている。
影は少なく、隠れる場所もない――そんな照明だ。
コマンドセンター中枢に位置する会議室。
壁一面を占める大型モニター群は、今は待機状態のまま沈黙している。
中央に置かれた長机は、装飾もなく、冷たい金属の光を反射していた。
その机を挟み、2人の男が向かい合って座っている。
戦術局長・久我宗一郎。
がっしりとした体躯に、寸分の乱れもないスーツ。
普段は柔和にも見えるその顔は、今はわずかに硬く、顎の筋が張っていた。
その正面に座るのは、特災対副機関長・鷹宮康哲。
白髪混じりの短髪、地味な色合いのスーツ。
装飾品は、年季の入った腕時計ひとつだけ。
一見すれば、どこにでもいそうな中年の会社員。
だが、その佇まいには、否応なく人を黙らせる圧があった。
機関長がオフィス拠点に常駐する以上、このコマンドセンターにおける実質的な最高責任者――それが鷹宮だった。
沈黙が、数秒続く。
「……さて」
鷹宮が、低く口を開いた。
「そろそろだな」
久我は視線をモニターから外さず、小さく頷く。
「うん。まもなくだね」
淡々とした声だが、そこには確信があった。
「そろそろ通話が掛かってくる筈だよ
――フランスの情報局から」
鷹宮は一度、深く息を吸い、椅子に座り直す。
背筋が伸び、空気が引き締まる。
次の瞬間。
ポン、ポンポンポポン、ポン。
ポン、ポンポンポポン、ポン。
室内に、電子音が規則正しく響いた。
接続待機していたモニターの一つに、着信表示が灯る。
「……来たな」
鷹宮が呟く。
「来たね」
久我はマウスに手を伸ばし、迷いなくクリックした。
画面が切り替わり、中央モニターに1人の男が映し出される。
白髪混じりの頭部。
深く刻まれた皺。
だが、その奥にある双眸は、老いを感じさせない鋭さを宿していた。
画面越しでも伝わる、情報機関特有の冷たい緊張。
「Bonsoir」
男が口を開く。
「聞こえていますか――日本の諸君」
その一言で、久我は確信する。
これは単なる情報共有ではない。
警告でも、挨拶でもない。
始動の合図だ。
次なる戦い。
特災対が正面から向き合うことになる――大型案件。
その火蓋が、静かに。
しかし、確実に――切って落とされた。




