1 涙も乾かぬうちに大脱出
「おとうさま、おかあさま、行きますね。でも、必ずまたお参りに帰ってきますから。必ず」
2つならんだ墓石に話しかけたマグノリアの目はまだ赤い。1つはずいぶんと時間のたった、それでもきちんと手入れのされた母の墓石。もう1つはきのう建ったばかりの父の墓石。
捧げたのは鮮やかな紫のアイリスの花。父の母国には真っ白いアイリスがあるというが、この国では見つからなかった。
次にお参りできるのは、いつになるのやら。その時にはおとうさまの祖国の象徴である真っ白なアイリスを持ってくるから。
「お嬢さん、そろそろ行きましょう。出発の時間になりますよ」
もう2度とここには戻れないかもしれない。そう思って中々立ちあがれないマグノリアに、ポールは声をかけた。
「はい」
「さあ、涙を拭いて。あなたは行かなくちゃいけません。落ち着いたらまたお参りに来られるように、アダムス商会が手を尽くしますから。それまで、少しの間だけ辛抱してくださいね」
マグノリアは名残惜しく立ちあがると、意を決したようにくるりと墓石に背を向けた。
墓地の外で待つ馬車に向かって数歩歩いたときだった。背後が騒然とした。
「?」
おかしいな。マグノリアは思った。人気のない静かな墓地のはずなのに。
突然そろいの濃紺の制服を着た大勢の男たちが現れて、マグノリアたちを守るように囲んだ。
「えっ、なに!?」
「うちの警備隊です。ご安心を」
警備隊? 疑問思う間もなく、いきなりマグノリアはポールに横抱きにされた。
「失礼しますよ、お嬢さん。緊急事態なもので」
言うや否やポールは走り出した。
「サリー!」
「了解です!」
その一言でサリーは離れた。サリーはアダムス商会から派遣されたメイドだ。ここ2,3日マグノリアについてくれていた。
4人ばかりの警備員がマグノリアたちを囲んだまま、馬車に向かって疾走する。サリーを含めた残りの者たちは、背後で盾になる。
「いやーーー!」
突然の事態にびっくりしたマグノリアは片手で帽子を押さえ、もう片方の手でポールの肩にしがみついた。
「口を開いちゃダメですよ。舌を噛んでしまう」
あわてたマグノリアはきゅっと口を一文字に結んだ。いつもにこやかなポールがぎゅっと眉根を寄せている。マグノリアを抱いたまま、ポールは軽々と走る。その肩越しに、マグノリアは後ろをそーっと覗き見た。覗き見て後悔した。
乱闘が起きていた。
アダムス商会の警備員たちと、深紅の制服に身を包んだ騎士たち。リスタール王国の騎士団だ。カンカンカンという金属音は剣がぶつかる音。どすっがすっごすっというのは殴る蹴るの音。
マグノリアは大事に大事に育てられた令嬢である。生まれてこの方、そんな生身の人間がぶつかる音なんて聞いたことがない。
「姫さまを渡せ!」
盾をすり抜けた騎士が追いかけて来る。
「ひ、ひぃぃーーー」
知らず口が開く。
「渡すわけないだろ!」
ポールは5段の階段を一息に飛び降りた。どすん! 強い衝撃にマグノリアはあわてて口を閉じた。
「やっぱり来ましたね」
走りながら、そう言ってポールはにやりと笑った。
「だいじょうぶ。うちの警備隊は負けませんから」
ポールの言う通り、サーベルを振り回す騎士たちを、警備員たちは素手でかわし、なぎ倒していく。その中にはサリーもいる。
「わ、すごい」
サリーはスカートを翻しながら、軽やかに敵をかわし拳を突き、蹴りを喰らわせていた。
馬車が扉を開けて待っている。
その馬車にポールはマグノリアを抱いたまま飛び込んだ。座る間もなく扉が閉じて、馬車は全速力で走り出した。
「サリーは!?」
「後から来ます」
が、馬車も騎乗した騎士たちに囲まれてしまった。
「その馬車、止まれ! 国王陛下の命令である!」
騎士が叫ぶ。
「しつこいな」
ポールは舌打をすると、ふところから銃を取り出した。
え!? どこにしまってたの?
あまりに非現実的なことが起こると、思考は停止するらしい。マグノリアはどうでもいいことを考えた。馬車は全速力で走り続ける。
だいじょうぶかしら。車輪が外れないかしら。
激しい振動に、心配になる。
そんなマグノリアをよそに、ポールは窓の隙間から銃口を外に向けた。
「アダムス商会の馬車は不可侵だ! 引け! 引かないと撃つぞ!」
それでも騎士たちは馬車から離れない。
「しかたがない」
ポールは先頭を走る騎士を隊長と見定めて、引き金を引いた。
パーーーン! 鋭い銃声が響いた。続いて馬のいななきと、どすんとなにかが落ちる重い音がした。
「こここ殺したの?」
「急所は外しましたよ」
ポールはこともなげに言った。
「今のうちだ! 走れ!」
ポールが御者に怒鳴った。馬車は王都の目抜き通りを駆け抜ける。市民たちがあわてて避ける。マグノリアがハラハラしているうちに馬車は駅に着いた。駅舎の横を回り込んで直接プラットホームへ乗りつけた。
プラットホームにはアダムス商会のロゴ入りの列車がすでに煙を吐きながら待機していた。長い貨車の列である。その一番先頭がただ1つの客車だ。馬車は乗降口の前にぴたりと止まった。
「さあ、お嬢さん」
ポールがマグノリアに手を差し出した。
「列車に乗りますよ。出国です」




