旅は終わる、でも、まだ
ユリアナの求めるがままに日本の文化や技術などについて話をしていると、あっという間に夕暮れ時に。王族たる彼女には降車に際しても準備というものがある。非常に名残惜しそうな表情を浮かべる姫に、あとついでに一応一流メイドとして振舞っているゼーミアにも別れを告げてタビトとノーラは自分達の部屋へと帰ってきた。
鉄の龍は王都目前にまでその身を進ませている。もうあと三十分もすれば駅に着く、この旅も終わる。二人は共有スペースの椅子に掛け、タビトはこの短くも長い旅を思い出す。
突然の転移、出会い。
旅が始まり、一期一会を繰り返し。
知らない物を知り、それを面白がり。
不可思議な事を経験して、驚いて。
一言で表すなら、楽しかった、だろう。
日本に帰りたい、故郷へ帰らなきゃいけない。その気持ちは変わっていないが、それはそれとしてこの旅は楽しかったのだ。全てはノーラが自分を助けてくれたから、何もかもがそこから始まっている。
「ノーラさん、ありがとうございました」
「……」
何度目だろうか、彼女に礼を言う。しかしノーラは黙ったままだ。
「もし出会って無ければ、僕は今もどうすればいいか分からずに彷徨ってたはずです」
「……」
そうなっていた可能性、それは無視できない程に大きかったはずだ。しかしそうはならなかった、親切でお節介焼きな女性がいたおかげで。
「タビトくん」
「はい」
今度はノーラが口を開く。
「私、知ってるよ」
「え?」
言葉の意味が分からずにタビトは彼女を見る、ノーラもまた彼を見ていた。
「誰かと別れる時ずっと、さようなら、って言ってたよね。またどこかで、って言われても、さようならって」
「っ」
そう、その通りだ。しかしそれも仕方のない事、だって自分はこの世界の住人では無いのだから。いずれは幻のように掻き消えて転移する事になる、誰とも二度と会えない。そうタビトは考えていたのだ。それが別れの時に無意識に口から出ていたのだろう。ノーラはその言葉を決して聞き逃していなかったのだ。
「良くないよ、良くない。さよならだけじゃダメ。その後ろに、またね、って付けないと。そうしないとまた会えなくなっちゃうんだよ」
あくまで気持ちの問題だ。それでも旅を仕事とするノーラはそう信じている。別れる時にはまた会いましょうと言って、次に遭遇した時はまた会いましたねと話すのだ。またね、とは再会の約束なのだ。
「だから私とタビトくんも、またね、だよ。例えタビトくんが日本へ帰っても、いつかまた何か良い形で再会できるかもしれない。だからさようならじゃダメなの」
真っすぐにタビトの目を見てノーラは言う。
言葉には魂が宿る、もしかしたら無意識に彼女はそれを感じているのかもしれない。魔法が存在する世界だ、そんな不可思議があってもおかしい事ではないだろう。
「ま、降りたらお別れ、ってワケじゃない。取り敢えず宿を取ろう、流石に同室は無理だけど隣の部屋でさ。私の仕事の打ち合わせも多分一週間は掛かる、それまでは一緒だからさ」
「……はい」
寂しいけれどもまだもう少しだけ一緒だ。
その安心を胸に、タビトは汽車から降りた。
王都図書館の一室。
そこには王女の命で解読不能な本が集められていた。その数は数百、見るだけでも嫌になる程の量であり、それをこの部屋に運び込んだ職員たちの苦労に感謝である。
「現時点で判別不能な本はこれだけある。目当ての本以外でも読めるものがあれば教えてもらいたい所だが……まあそれは後で良いと姫殿下も仰っていた。まずは探し物があるかどうかを確かめると良い」
「はい。ありがとうございます、ベルンハルトさん」
初対面時と比べると随分優しい近衛兵長。彼もまた主と同じく、望まずにこの世界へ来てしまったタビトに協力したいと考えていたのだろう。
多くの人の好意に甘えて、彼は書物の確認を始める。
それから数日。
「……ありませんでした」
「……そうか」
最後の一冊の確認を終えて、タビトは落胆した様子でそう言った。その言葉を受け取ったベルンハルトもまた残念そうに眉をハの字にする。ここに在るはずの過去の日本で書かれた転移に関する資料、一体どこへ行ってしまったというのか。
「一つ、情報がある」
「情報……?」
ベルンハルトは鞄から一枚の紙を取り出す。
そこには世界中の国の名前が書かれていた。
「これは?」
「今からおよそ五十年前、王国は友好を深める目的で他国に書籍を贈っていた。本は先人の智の集積物、それを渡す事が真なる友好に繋がると考えてな」
「まさか」
約五十年前にベルベ爺さんが見た冊子、それはある日突然書架から姿を消した。それと時を同じくして王国は贈本外交を行っている。各国へ渡された物の中に、その冊子が紛れ込んでしまった可能性も考えられるのだ。
「力になれるのはこの程度だ、残念ながら」
「いえ、ありがとうございます。これで希望が繋がりました」
手の中から零れ落ちた希望が再び手に戻る、これほど有難い事が他にあるだろうか。国家間で受け渡された物を簡単に破棄する事など考えられない、ベルンハルトが渡してくれた国を巡れば何処かで冊子と出会えるはずだ。
「礼を言うのはこちらだ、探す最中に重要そうな書籍を選別してくれたのだからな。一部は簡単に翻訳もしてくれた、頭を下げるほかない」
「あくまで探すついでですし、翻訳もかなり雑なので……」
「それでも、だ。ゼロとイチではその差は大きいからな」
異世界であるというのになぜか文字が読める。それがまさか、こうした形で誰かの役に立つとはタビトは思っていなかった。恩を受けるだけでなく多少は返せたことが彼は嬉しかった。
タビトは席から立ち上がる。
「行くのか」
「はい。といっても準備は必要ですけど」
「旅の無事を、祈っている。姫殿下も同じ思いであるはずだ」
「……ありがとうございます!」
彼は王都図書館を後にした。
宿にて。
「お、タビトくーん。いま帰り~?」
「はい。ノーラさん、お仕事お疲れさまです」
宿の二階、隣同士の部屋を取っている。朝出る時間も夜帰る時間も合わず、汽車で王都に着いた日からすれ違いばかりだったが、今日は帰りが同じタイミングとなった。
「そーだっ。昨日会社で色々貰ってさ~、良ければ消費に付き合ってくれな~い?」
「はは、分かりました。お付き合いしますよ」
ニマニマ顔のノーラにタビトも笑顔で応じる。
彼女の部屋に置かれていたのは多種多様なお酒とおつまみに良さそうな食べ物色々。二人でそれを沢山持って、タビトの部屋で宴会開幕だ。
「お、美味しいですね、このお酒」
「私も好きな奴~。飲みやすくて良いよね~」
度数の低いお酒をグラスに注いで軽く乾杯して飲む。酒の肴は色々あるが、やはり乾き物が多い。干した魚や肉、植物も。どれもが独特ながら良い味わいだ。
「ノーラさん」
「ん~?」
「図書館の本、全部調べ終えました」
ピタリとノーラの手が止まる。
「どうだった?」
「ダメでした」
「そっかぁ」
クイと彼女はグラスを傾ける。
「でもコレを貰ったんです」
「んん? 国の名前が色々と……」
「五十年前に王国から本を贈られた国のリストです。ベルンハルトさんが渡してくれて。たぶんユリアナ殿下が色々とやってくれたのかな、と」
「なーるほど。良かったじゃん」
「はい、本当に」
別のお酒をグラスに注いでコチンと乾杯。
「少ししたら近い国から回ろうと思います」
「そっか」
「ノーラさんとは、お別れですね」
「そっか」
「今度こそ、本当に」
お酒が入ったせいだろうか、目頭が熱くなっている気がする。
「その、ノーラさん。さよ、いえ、また会いま―――」
「タビトくん」
正しい別れの言葉を口に出そうとした、その時。
ノーラが彼の名を呼んだ。
「なんですか?」
「そーいや言って無かったなぁって」
「何をです?」
「出版社で何を打合せしてたのか」
「ああ確かに」
クイとタビトはグラスを傾ける。
「何を話し合ってたんですか?」
「次の大きな企画をどうするか、って話~」
「へぇ。大プロジェクトって燃える奴ですよね」
「そうそう。もうみんな白熱してて」
ケタケタとノーラは笑う。編集長の猛攻、副編集長の妙技、各企画提案者が奮戦し、ノーラもその輪の中で提案と指摘を繰り返す。そんな愉快で過酷な戦いが繰り広げられていたのだ。
「で、決まった」
「おお、どんなのになったんですか?」
「ふっふっふ、何と何と私がメインの企画になったのだよ!」
「ええ!? 凄い!」
フンとノーラは胸を張る。
「そーでしょ、そーでしょ~」
「いや本当に凄いですね。お別れする前に聞けて良かった……頑張ってください!」
応援の言葉を口にするタビト、ノーラはグラスの中身を一気に呷る。
「ちょいまち」
「え?」
「どんな企画かを、まだ言ってないよ」
「あ、そう言えば。どんなのなんです?」
タビトの問いかけにノーラは空のグラスを掲げ、そしてそれを彼に向けた。酒を注いでほしいのか、と思ったタビトが酒瓶に手を伸ばそうとする。しかしそれをノーラは制した。
真っすぐに、しかしグラス越しに彼女はタビトの目を見る。
「自由世界旅行」
「え?」
「自由に世界を回って、その地その場の事を記事にする」
「自由に」
「そう、自由に」
タビトは気付く。
それはつまり。
「もしかして、これからも?」
「一緒に旅が出来るって事だよ、タビトくん!」
「お、おおお、ノーラさん!?」
思わずパーンとハイタッチ。
まさかの巡り合わせ、しかもタビトが一人で出発しようとしていたまさにその直前に。彼女に投げかける言葉は『さようなら』でも『またね』でもなく、これからもよろしく、になったのだ。
二人は新しいお酒の瓶を開ける。
お互いに相手のグラスに酒を注ぎ、それを高く掲げてカツンと打ち合わせた。
タビトとノーラの旅は、まだまだ終わらない。
彼が日本へと帰還する、その手段を見付けるその時まで。
地の果てまで伸びる鉄の道、それを走る鉄の龍の力を借りて。
異世界の旅人は汽車に揺られながら、広い世界の旅を続けるのだ。
― 完 ―




