V.S.シェムハザ
(欺瞞――? 一体何の事?)
その憎悪に満ちた眼差しを見れば、適当な挑発の言葉でない事は間違いない。少なくとも、シェムハザ本人はそう信じている。
明けの明星とは、ルシファー……つまり魔王の代名詞であり、宵の明星はミカエルのそれだ。
理由は良く分からないが、どうやらシェムハザはルシファーとミカエル相手に戦争を始めるつもりらしい。
シェムハザは、呼吸をするのと同じくらい自然に呪文を紡いだ。
次々に床にいくつもの魔法陣が展開され、紡がれた呪文が形を成していく。
「さすが、人間に魔術を教えたといわれる悪魔ね。なんて隙のない完璧な術の組み立て――」
険しい表情をしながらも、畏怖を湛えた眼差しで、サラは術に見入った。
広い部屋の中に炎の龍が踊り、床には波打つ水が溢れ、暴風が吹き荒れる中に、次々と尖ったごく細い円錐型の障害物がにょきにょきといくつも生える。
地水火風の、それも高難度・高威力の魔法だ。
たちまちのうちに部屋は大荒れの模様となる。
まるで、台風情報を伝えるリポートキャスターのように、暴風に抗おうとしても、膝近くまで水位の上がった水面の大波に足を取られ、少しでも油断すれば、突然地面から生える凶器に串刺しにされそうになり、それを何とか回避したかと思えば宙を泳ぐ龍のようにうねる炎が頭のすぐ上を掠めていく。
――生きた心地がしないとは、まさにこういう状況の事を言うのだろう。
潤は、奇跡的に避けることに成功した円錐型のそれにしがみつく。
リズたちは――と見れば、晃希が結界を張ってリズを庇っている。
サラはサラで自らの魔術で防御に徹している。
サラの言う通り、魔術とは悪魔が使うもの。大方の人間は彼らから力と知識を借りているだけ――。
人間が悪魔相手に――その中でも、人間からすれば魔術の祖とも言える様な相手に、半魔の潤が魔術で対抗しようなど、とんだ身の程知らずである。
だから潤は、自分にも出来ることをするのだ。
まず先に自らの身を守る結界を張り、その上で自分の中の魔力の流れに意識を集中させる。
確かに感じる、自分と繋がる二つの道。その片方に、自分の魔力の大半を傾けながら、もう片方の道の向こう側に調子を合わせていく。
――元は同質の力だ、そう難しいことではない。
それに気づいた向こう側から、微かに反応が返る。潤は一瞬、目視でそれを確かめ、彼が頷いたのを視認し、その術を展開した。
視覚、聴覚、嗅覚――。五感のうち、状況把握に重要な役割を果たす感覚に繋がるセンサーを、部屋中、縦横無尽に張り巡らせる――。
潤だけではまだ、その難易度の高い術を編むことは難しい。だが、悪魔の知識を持つ父の助けが得られれば、確実に出来る。
そうして築き上げたセンサーに引っかかる情報の全ては、潤と意識をひとつにした清士にも共有される。
清士が前衛として敵と相対し、潤は後衛として出来うる限りのサポートをする。
これが、清士と潤の戦い方だ。
吹き付ける暴風の風向きや風速、波の動き、地面から次々と未だ休むことなく生え続ける凶器のリアルタイムな現状、宙を舞う火龍の位置情報。
シェムハザと刃を交えながら、それらの情報を自らで全て把握するのは難しい。
けれど、潤のサポートのお陰で、暴風の中でも何とか体勢を保ちつつ、火龍や地面から生える凶器を避けつつ、全力でシェムハザに向かっていく事が出来る。
次々に繰り出される魔法を、手の届く限り聖剣で薙ぎ払い、打ち砕く。
その一方で魔剣を振り抜き、衝撃波を生み出しシェムハザを牽制しつつ、清士もまた術を放つ。
清士が一番得意とする、雷の術。シェムハザ自身に狙いを定めて、続けざまに放つが、勿論相手も黙って喰らってくれるはずもない。
彼もまた、背に漆黒の翼を顕し防風荒れ狂うう中へ身を投じて避けつつ、防御の魔法を展開する。
清士は防御陣を破壊するべく聖剣を構え、雷と魔剣の攻撃とでその動きを阻害しようと試みるが、なかなかうまく狙いが定まらない。
相手は自身の身以外に守るものも持たず、自らが起こした暴風の干渉すら受け付けていないように華麗に宙を舞う。
対する清士は暴風の中で必死に身体の均衡を保ちながら、晃希やサラ、潤の結界を避けて攻撃を繰り出さなければならない。
自由に動けない清士を嘲笑うかのように、シェムハザは新たな魔法陣を組み、放った。
凄まじい閃光と、轟音が頭上から降り注ぐ。
――雷、そう認識する頃には、清士の全身を、焼けた針を刺されたような激痛が突き抜け、ぴりりと筋肉が痺れた。――ほんの一瞬。痺れを帯びた筋肉が、清士の制御を受け付けず、固まった。
暴風の中、必死に保っていた身体の均衡を崩すには、たったそれだけで充分だった。
コントロールを失った清士の身体はきりきり舞いを踊らされながら吹き飛ばされ、それを待ってましたとばかりに火龍が頭から清士の全身を飲み込み、とどめとばかりに狙いを定めたように地面から生えた刺が、清士の片翼を貫いた。
追い打ちをかけるように、清士の頭上に雷を落とす陣が展開される。
再び、轟音が清士の鼓膜を破らんばかりに震わせたが、不思議な事に痛みと痺れが清士を襲う事は無かった。
間一髪、陣と清士の身体との間に防護の陣が展開され、それが清士の身を守ったのだ。
――見ればどうやら完全に術を受け止めることは叶わず、軌道を逸しただけに過ぎなかったようだが、清士の身を守る事には成功した。
しかし、シェムハザはその事実がお気に召さなかったらしい。
ひどく酷薄な眼差しを、その魔法を紡いだ者に――潤に向けた。
「ほう、半魔の身で私の魔法に、魔法で対抗するか。小生意気な。――身の程をわきまえよ」
今度は潤の頭上に、先ほどのものより大掛かりな陣を展開する。
潤は青ざめながら防御陣を築くが、先ほどの雷でも狙いを逸らすのが精一杯だったのだ。もしも、あんなものの直撃を食らったら、どうなるか――。
目の端に、リズをサラに押し付けるようにして、慌てて娘の元に駆けつけようとする晃希の姿が映ったが、おそらくそれは間に合わない――。
それをはっきり理解するより前に、清士は自らの身を盾にして、潤を庇っていた。
「清士――!」
杭に貫かれていた翼を無理やり引きちぎってやって来た清士の全身を強烈な雷が突き抜けた。
傷ついた翼は、清士の体重を支えきれず、波に飲まれるように地面に落ちる。
潤は、咄嗟に結界を解き、自身も波に飲まれそうになりながら、必死に清士の体を捕まえる。
全身血塗れで、二度の電撃で肌のあちこちに焼け焦げた跡をこしらえた清士の身体が、酷く重たい。
濡れるのも構わず、彼の傍に跪き、その頭を腕に抱え込む。
「ほう、たかが半魔の小娘を、我が身も顧みず身を呈して庇うか。魔のものの頂点に立つ堕天使の身で、使い魔に――それもたかが吸血鬼ごときの半魔を主として仰ぐとは……。愚かな」
容赦のない蔑みが頭上から落とされる。
「……愚か、か」
その言葉に対し、清士が薄く笑みを浮かべた。
「そなたも、ひと時は人と触れ合う喜びを得たはずにもかかわらず、浮かぶ感想がそれとは哀れだな」
潤の肩を借りて身を起こしながら、それとなく自らの背に潤を庇い、清士は蔑みの視線を受け流し、逆に嘲笑を返した。
「誰がどんな感想を抱こうと、我は自ら望んで主従の契約を結んだのだ。――その主を傷つけさせはしない」
暴風に煽られながら、清士はゆっくり立ち上がる。
「――覚悟!」




