罪と罰と赦し
「そして、知らず本物の悪魔を召喚し、家へ招き、妹を預けた私は、妹を失った――」
がちゃりと、少し乱暴にカップをソーサーに戻し、サラは言った。
「本当だったらその時、私も同じように、悪魔に魂を喰らわれているはずだったのよ。己の愚かな行いの報いを自らの魂で購って……」
でも、サラは今こうして生きてここに居る。
「モーガン一族の魔女は、精霊や妖の力を借りて術を行使する。……だから、精霊や妖たちを上回る力を有する、本物の悪魔を相手に見習い魔女の私は、為すすべもなく魂を喰らわれるしかなかった……」
――目敏い師匠がサラのした事に気づいて駆けつけてくれなければ。
やけに赤い、カミラの唇から牙がこぼれ、今にもかぶりつかれる――サラが思わず目を閉じた時、乱暴に扉を破って姐様が……ファティマーが助けに来てくれていなかったら。
「そうして、私は助かったけれど、妹は……」
すでに悪魔の腹に納まってしまった妹の魂を戻し、事切れた彼女を蘇生させることは、ファティマーにも不可能だった。
……ファティマーだけでなく、悪魔の力を以てしても、不可能だった。
「当然、一族の中での私の評判はガタ落ちよ。親にもこっ酷く怒られた。……でも、それでもそんな事はもうどうでも良かった。私の馬鹿な行いで、命を落とした妹の事を考えたら、自分がこの世で生きて息をしている事が許せなくて、死にたくて、仕方が無かった」
エルは、その後順調に修行を積み重ね、一族の者に認められて一人前の魔女としてファティマーの元を巣立っていった。
サラの姉もまた、いつしか一人前の魔女として実家を出て行った。
「魔女長から、私に下された処断は、一年間の謹慎処分だった。本当なら魔女資格を奪われても当然の咎だったのに、私がまだ未成年で、見習いの魔女だったから、代わりにファティマー姐様の監督不行き届きの方が問題にされたの」
魔法が好きで、魔法の勉強をしているのが楽しかったサラにとって、一年も魔法から引き離されることはとても辛い罰だった。
姉や、エル、他の娘達がどんどん自分を置いて先に進んでいくのを何もできずに見ているのも辛いことだった。
咎人として後ろ指さされることも、辛かった。
「何しろうちの一族は女系一族だから。……女同士の恐ろしさをあなたはどのくらい理解できるかしら?」
でも、それより何より辛かったのは、自分の行いが妹を殺したのだという事実が心におとす影。それがサラの精神を苛み続けた。
「それは、禁術に手を出したのは確かに悪かったわ。でも……、まさか悪魔が召喚されるなんて思わなかった……! まして、彼女が悪魔だなんて、全くわからなかったのよ……!」
全く無害な、ごく普通の一般人にしか見えなかった。
悪魔などには全く見えない、むしろ、甘い天使の微笑みを浮かべ、そこらの聖職者よりも清らかな振る舞いで、人間を惑わし堕とす。それこそが、真の悪魔の所業。
「……だから、悪魔なんて信じられない。……信じたくないのよ」
一年後、謹慎を解かれて再び魔法書に手を伸ばそうとした時、とても怖かった。
勉強はしたいけれど、したくなかった。
「でも、私のせいでペナルティを受けていたファティマー姐様が、後悔するくらいなら、二度とあんな事にならないように、同じように困った人を助けられるくらいしっかり力をつけるべきだって、言ってくれたから」
だから、死に物狂いで、今度こそ真摯に修行に取り組んだ。
そのかいあって、サラも今では一族きっての使い手の一人に名を連ねるまでになっている。
それでも、魔法を禁じられたあの一年間、そしてそれからしばらくの間、同族から向けられる寒々しい視線にはまだ耐えられても、悪魔を召喚したせいで、精霊たちからまで恐れられ避けられるようになってしまった事で受けたショックはあまりに大きかった。
あの絶望感は、今思い出しても膝をついてうなだれたくなる程だった。
――騙すほうが悪いのか、騙されるほうが悪いのか。
悪魔は、魂を喰らって己の力にする存在で、魂を狩るために虎視眈々と舌なめずりしながら人間に近づき、人を罠に嵌めようとする。
……今にも息絶えそうな時に現れ、無体な契約を強いたドラク伯は吸血鬼だが、悪魔の側近でもある。
そんな彼の犠牲者であるリズのことを、サラが特に気にかけていた理由もそこにあった。
「…………」
サラの話を聞き終えた清士は、彼女にかけるべき言葉を見つけられずに押し黙った。
彼よりはるかに人生経験の浅い潤はなおさら、彼女の顔を直視することすら躊躇う。
「……もしも、数十年前の我なら躊躇いもなく断じていただろうな。そなたの妹が命を落としたこと、その魂を食らった悪魔にこそ100%罪があるのだと。だが、知らぬとはいえ召喚術など用いようとしたおぬしもまた罪深く、神の裁きを受けるべき咎人だと躊躇いもなく口にしただろう」
しかし、清士はひと呼吸おいて、考え考えそう口にした。
「だが、今は――」
清士は林檎に手を伸ばし、赤い身を掴む。
「人に知識を――知識欲を与えたのは、かつての熾天使ルシファーだ。天使にすら、嫉妬心は存在する。上を目指したいと望み、それが叶わない歯がゆさに禁忌に手を伸ばして堕ちた同胞を、我は幾人も知っている。……そして、堕天使となった者は通常、人の魂を喰らわねばその存在は消滅してしまう」
獅子が縞馬を狩り、縞馬が草を食むように。
人が卵やベーコン、ミルクやポテト、白身魚のフライを食べるように。
――死にたくない、消えたくないと考えるのは悪魔も、同じなのだ。
「そなたが禁を犯した事、そのカミラというものがそなたの妹を実際手にかけたこと、それは咎められるべき罪だろうが……。今の我には、誰かを決定的な悪だと決め付けることはできん」
しゃくりと林檎にかぶりつき、清士は言った。
「もしも、おぬしがそのカミラというものに再び相まみえる機会があったなら、そなたがその悪魔の頬を張る権利はあるだろう。そして、そなたが禁を犯した罪はすでに罰を受け、禊は済んでいる」
しゃくしゃくと咀嚼し、ごくりと飲み込む。
「己の犯した罪を、忘れるべきでないのは確かだ。だが、いつまでもそれに囚われるばかりではいつか身動きが取れなくなる。どこかで折り合いをつけていかねば、この現し世を生きてはいけないだろう」
綺麗に芯だけ残った林檎を置き、清士は自分に言い聞かせるように言った。
「そなたは既に、その罪を償う方法を見つけ、実行しているではないか。……自らの罪を認め、悔い改めれろ、というのがあの神の教えだ。……もうそろそろ、自らを赦してやっても良い頃合なのではないのか?」
清士は、肩を竦めた。
「少なくとも、つい数日前まで、己の行いのせいであんな境遇に陥った者の存在すら知らず、未だ有効な償いの方法も見つけられずに居る我より、そなたは優れている」
「……お父さん、リズさんの事、どうするのかな?」
清士を真似て林檎を手にした潤はポツリと呟いた。
「まあ、あやつの性格上捨て置くことはまず出来ないだろうな。だが……彼女のことは、我が解決すべき問題だ。奴に手出しはさせないさ」
「……清士が解決すべき問題だって言うなら、私にとっても、もう無視はできないじゃない。私は、清士の主なんだから」
「……そうだな。一人で背負うのが重すぎる罪なら、誰か共に罪を背負っていってくれる者を見つけるのもまたひとつの手だ」
清士にとっての潤のように。晃希にとっての竜姫のように。
「……そんな人、これまで誰もいなかったわ」
師匠であるファティマーや、家族は別として。……彼らには、サラのせいでとても迷惑をかけてしまったから、どうしても遠慮が先に立ってしまう。
「ならば、祈ろう。そなたにも、良い出会いがあるように――」
「……誰に?」
「さて、縁結びの神なら……出雲の大国主命が有名だな。しかしあれは随分浮気性の神でもあるからなぁ、貴船の龍神などどうだ? あそこの龍神は女神だ。水の神でもあるから、清きを尊ぶ神でもある」
最近詳しくなった新たな故郷の神々の名を、指折り挙げる清士に、サラは苦笑を返した。
「……それはまた、随分遠出しないといけないわね。旅費は貴方が出してくれるのかしら?」
にっこり微笑んだサラに、清士はひくりと頬を引きつらせた。
「む……う、む。こちらの世界でやる事済ませて、無事に向こうに帰ったあとでなら……、円でなら、まあ何とか用立てられない事もないが……」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えようかしらね。せっかく東洋の果てまで出向くのだもの、温泉と和食くらい楽しみたいわね。上宿の確保を頼むわよ」
サラは、有無を言わせぬ笑顔で清士に命じた。




