そのさん。後編
沈黙を先に破ったのは王女だった。
「あなたを襲った刺客……死霊術師はおそらくどこかの貴族の命令で動いている。あなたの存在は可能な限り秘匿したつもりだったけれど、どこからか漏れたらしい」
王女は「申し訳なかった」と潔く頭を下げた。
その表情は固く、美しい顔も青ざめている。
自分の暗殺未遂について話してた時は、あんなに飄々としていたのに。
血の気の引いたその顔を見ていると──ロイがそれだけ大事なんだ、と言われているみたいで落ち着かない。
「殿下、俺は怪我も何もしてませんから。どうか顔を上げてください」
頼みこむと、王女はようやく顔を上げてくれた。
「それより、あの忌々しい術師を取り逃がしたことが悔やまれます。面目ありません」
「……そこは、あなたが気にする所ではないよ」
「本当に真面目だな」と苦笑して、王女は彼の安全を保証した。
「陛下は今回の犯人を本気で追い詰めるおつもりだ。実は母上も一度、高位貴族に暗殺されかけた事があってね。
陛下は母上を寵愛しておられたから、あの時は、それはもう激昂なさっていた」
「そんな事が……」
自由な王女を見ていると忘れがちだが、やはり王宮とは策謀が渦巻く、危険な場所なのだ。
彼女と母の側妃が離宮に移ったのも、暗殺未遂と無関係ではないのだろう。
「今回、陛下は同じくらい激怒しておられる。あの方も、愛する者が殺されかける理不尽をよくご存知だからな。あらゆる手を使って必ずや犯人を見つけ出し、厳罰に処すだろう。
王家はあなたの安全を保証する」
「だが……」と王女は言いよどんだ。
「………………私はあなたの前にもう現れない方が良いかもしれないな」
「…………どういうことでしょうか」
「私は自分の立場を甘く見ていた。こんなやり方で、あなたを排除しようと考える者がいるとは思わなかったんだ」
レスティリア王女は、見るからに意気消沈していた。日頃の闊達さがなく、萎れた花のように元気がない。
「言い訳になってしまうが、あなたを危険に晒すつもりは一切なかった。本当にすまなかった」
「………………俺を諦めて、殿下はどうなさるおつもりなんですか」
「そうだな……こんな王女でも利用価値があるようだから、どこぞの貴族にでも降嫁すると思う。猫を被るのは辛いが、まあ、何とかなるだろう」
ロイに心配させないためになのか、王女は軽く笑って、肩を竦めてみせた。
「……………」
ロイは床に視線を落とした。
心の中で「嫌だ」という感情が渦を巻く。
二度と会えないのが嫌だとか、そういうことではなく。
レスティリア王女が、彼女という人間を形づくる、深い根源の部分を手放そうとしているのがわかって、それがどうしても嫌だった。
「お待ちください」
この自由な王女を守りたい。
無意識に体が動く。ごく自然に王女の前に跪いたロイは、捧げるように彼女の手を取った。
「今回の件の責任は、求婚の返答を長々引き延ばした俺にもあります」
「そんな事は……」
「いや絶対にあります」
「…………急にどうしたんだ、ロイ」
珍しく断言口調の傭兵に、王女は困惑している。
そんな表情さえ愛おしい。
王女が息をしてるだけで幸福感で満たされる。
でも、もう、それだけでは足りなかった。そうだ、全然足りない。
彼女らしく在れる場所を守りたい。
それが出来るのは、おそらくこの世でロイだけだろう。その自負が背中を押した。
これ以上は、髪の毛の一筋ほども自分の感情を誤魔化すことはできなかった。
「優柔不断な俺に、これを言う権利はもうないかもしれませんが」
「…………」
「まだ間に合うなら…………一生あなたのお側にいさせてください。俺も貴女が好きです」
言い切った途端、黒曜石のような王女の瞳が見る見る潤んで、ポロポロ透明な涙が零れ落ちた。
「でも……結婚したら私はあなたを逃がしてやれない。手を離せなくなってしまう」
「それはこちらの台詞です、殿下」
「本当に?」
「ええ」
「嬉しい……!」
はっきりと頷けば、美しい王女は、跪いた傭兵にぶつかるように抱きついた。
ロイは彼女を抱き締め返そうとして──手を泳がせて、結局下ろした。
武骨な傭兵にはハードルが高すぎる。うっかり力を入れすぎて、彼女の細い体を折ってしまうのも怖かった。
そんなロイの逡巡を知ってか知らずか、王女はロイにぎゅうぎゅうと抱きつく。
そして、子供のように鼻をすんすんさせながら、王女は傭兵の耳元で囁いた。
「…………私の我が儘で結婚してもらうのだから、できるだけあなたの要望を叶えよう。何か希望はあるか、ロイ」
その言葉で思い出す。
そういえば、王女の突然の求婚で、ロイの霊山の報酬は先延ばしにされていたのだった。
「でしたら……」
自分の希望を伝えると、美しい王女は困惑したようにぱちくりと目を瞬かせた。
「あなたは本当にそれで構わないのか?」
「はい」
頷いた時、ドアが控えめにノックされた。廊下から護衛隊長の咳払いが聞こえる。
王女とロイは顔を見合わせて、小さく笑顔を交わし、そっと距離を置く。
普段の王女は、どちらかといえば凛々しいタイプだ。そんな王女が見せた、はにかむような笑顔は途轍もない破壊力があった。
傭兵の鋼の心臓が跳ねる。この先、自分の心臓はちゃんと持つのだろうか。真面目に心配になる。
でも、それで死ねたら本望な気もする。これが世にいう、"尊死"というやつなのかもしれない。
◇◇◇
数ヶ月後。
ロイとレスティリア王女は、王宮で密やかに式を挙げた。
考えうる障害はほとんどが取り除かれ、心穏やかな門出となった。
国王は、ロイを狙った貴族と死霊術師をすみやかに炙り出し、関わった者全員を秘密裏に処刑した。情けをかける事なく、彼らの家も断絶させた。
ロイがそれを知らされたのは、全てが終わった後。安全を考慮して王宮に居を移していたロイに、王女が一連の断罪を報告しにきた時、彼女はうってかわって晴れやかな顔をしていた。
「これを機に、陛下は他の不穏分子も一掃なさった。陛下はやる時は容赦ないんだ。
これで、我々の婚姻には何の憂いもない。どうか安心して私と結婚してくれ」
相変わらず、王女は男前な台詞を言う。
とても彼女らしいと思う。猫を被ってか弱いお姫様のふりをしたり、道具のように嫁ぐなんてしてほしくない。
だからきっと、これで良かったのだ。
「…………殿下、その事なのですが」
「うん、何でも言ってくれ。夫婦に隠し事はなしだ」
「では、おそれながら、しばらくは白い結婚でお願いしたく」
「……………………………待て。どういう事だ」
王女はショックを受けた顔で問いただす。
「俺達は、一応領地を賜る事になったでしょう」
「ああ、小さいが城もあるな。村は三つほどだったか」
「冒険者の仕事も受ける傍ら、領地経営もしなくてはなりません」
「うむ」と王女は真面目な顔で頷く。
ロイの出した要望とは、これだった。
田舎で領主をしながら、冒険者としての仕事も引き受けるという、国内初の冒険者領主である。
田舎は魔物や猛獣が多い。近隣からの依頼は尽きないだろう。加えて、賜った領地は相当なド田舎だ。わざわざ刺客を差し向けたり、貴族的な嫌がらせをするには遠すぎる。
つまり、中央の策謀から物理的に距離を置くことにしたのだ。
王女の実力は以前、依頼に同行してもらったので知っている。彼女は冒険者業の方でも貴重な戦力だ。
何より彼女は、王宮より田舎がいいと喜んでくれた。
しかし、いいことづくめではない。特にロイは、学ばなければならない事が山ほどある。
「あなたはともかく、俺は領地を運営する知識がありません。王宮から優秀な人材を派遣していただく事になっていますが、いずれ自分でやっていかねばならない」
「まあ、将来的にはそうなるな……」
「ですからある程度慣れるまでは……そういうことはなしの方向で……」
「何故そうなる!?」
「…………俺はきっと貴女に溺れて、何も手につかなくなるからです」
「……………………」
暫く煩悶していた王女は、キッと顔を上げた。
「一年だ!一年だけ待つ!それ以上は無理だからな!!」
「ありがとうございます、努力します」
そうして二人は結婚し、王や王女の兄弟にささやかに見送られて、田舎の古い城に移り住んだのだった。
それからは目まぐるしく日々が過ぎていった。
いつしか月日が流れ、二人の間に子が生まれ、年齢を理由に冒険者を引退し、数年後には長子に家督を譲った。
王が崩御し、世代わりしても、二人は相変わらず互いを労りあって暮らし、辺境の地でひっそりとその生涯を終えたのだった。
男装スパダリ王女と寡黙な傭兵でした。
これにて一応の完結といたします。
ここまでお読みいただきありがとうございました!