91・館の主・グレイス
91 館の主・グレイス
隣のお部屋で私を待っていてくれたのは、猫足の赤茶色の椅子に腰を掛けてお茶を飲んでいる冬龍君でした。
いつもより胸元の開いた白いYシャツと、藍色の麻のベストに同色のパンツ。いつもの冬龍君よりちょっと大人っぽいかも。そんな冬龍君にちょっとドキッとしました。けれど、私の視線はすぐに、冬龍君の前に座っている女の人に向きました。
その女の人は、一階のビスクドールちゃん達の様な緑色のドレスに身を包んで、古びたビスクドールの『ルシール』ちゃんを抱いています。くすんでカサついた肌にお肉の落ちた頬、小ぶりの鼻はツンと上を向いて、艶の無いブラウンの髪は丁寧に編み込まれて、肩に垂らしてグリーンのリボンで結んでいます。そして、凛々しいブラウンの眉のすぐ下にある瞳は軽く伏せられていて、瞼の下の方から少しだけキラキラとグリーンの輝きが見えました。
「グレイス、お待たせ」
私の後ろから、ルシールちゃんがオルゴールの音色を発しながら、その女の人の元に向かいました。トコトコと赤い靴を鳴らして、緑色のドレスに顔を埋めると、その小さな姿がスッと消えました。代わりに、女の人の抱いているビスクドールの『ルシール』ちゃんの左目が、パチパチと数回瞬きをしました。
そっか… 私とお話ししてくれるルシールちゃんは、きっとお人形の『心』の部分なんだ。そして、あの人が…
「初めまして。白川和桜と申します。お風呂とお着替え、ありがとうございます」
シルキーさんが私に着せてくれたのは、ルシールちゃんと同じデザインのピンクのドレスでした。髪も、オイルを付けてクルクルと巻いてくれました。けれど、ルシールちゃんみたいに長さがないから、巻き具合は軽くです。
私がこのお部屋に入った時から、冬龍君はティーカップを唇にあてたまま、私を見て固まっているんだけれど… やっぱり変なのかな? このドレス、ルシールちゃんやシルキーさんみたいに着こなせるものじゃないよねぇ。
「和桜様、こちらにどうぞ」
私が入って来た逆のドアから、八千穂さんがシルバートレイを片手にお部屋に入って来ました。そして、私に冬龍君の横の席を進めてくれました。
「失礼します」
タイミングよく、八千穂さんが椅子を引いてくれたので、ドレスを引っ掛けることなく座ることが出来ました。そして、私の前に、真っ白のティーカップが置かれます。中には金色に輝くお茶。鼻先をかすめた香りはふんわりと優しく、リンゴの様に甘くて爽やかな香りです。
「自家製のカモミールティーです。蜂蜜もありますので、お好きにどうぞ」
そう言って、八千穂さんは蜂蜜の入った小瓶も傍に置いてくれました。
「カモミールティーには、リラックス効果や胃腸や肌の調子を整えたり、身体を温める効果をはじめとして、眼精疲労の回復、消炎作用、鎮痛作用、収斂作用、消化促進作用、利尿作用、抗アレルギー作用等々、ドイツでは「風邪をひいたと思ったらカモミールティーを飲んで暖かくして寝る」と言われているぐらいなんだよ。まぁ、ドイツは日常生活に『ハーブ療法』というものがあって、ハーブティーが各家庭の常備薬みたいなものだからね」
そうなんだ。いつも私が調子を悪くすると、冬龍君がカモミールティーを淹れてくれるのは、そう言う訳だったんだ。
「ここはとても乾燥しているから、しっかり水分を採った方が良いよ」
確かに。さっきのベッドルームも乾燥しているなぁ~、とは思ったけれど、このお部屋の方が乾燥しているかな? でも、シルキーさんが塗ってくれたティーツリーのクリームが効いているのかな? お肌、しっとりしたままだ。
白いレースの袖から出ている手を眺めていたら、冬龍君が蜂蜜をほんの少しだけ入れてくれました。
「ありがとう。でも…」
冬龍君にお礼を言って、チラッと正面に座っているグレイスさんを見ました。
「当家の家長で、オルゴール博物館の館長のグレイスです。私の曾祖母の母、簡単に言いますと、「ひいひいおばあちゃん」です」
八千穂さんの癖毛や瞳の色は、ひいひいおばあちゃん譲りなんだ。
八千穂さんはグレイスさんの隣に座って、自分用に入れたカモミールティーを一口すすりました。
「そして、ごらんのとおり、『ミイラ』です」
あ、やっぱりミイラなんだ。
「冬龍様もですが、和桜様も驚いたり怖がったりしないのですね」
グレイスさんの状態に納得した私に、八千穂さんが静かに聞きます。
「さっき、シルキーさんがお話ししてくれたんです。グレイスさんのこと。けれどお話しとは容姿がちょっと違うから、もしかしたら『ミイラ』なのかな? って。でも私、本物のミイラを見るのは初めてだし、日本でミイラになるのはとっても難しいんですよね? 一番の理由は、湿度が高いからだっけ? 逆に湿度を上げて『屍蝋化』の方法もあるけれど、グレイスさんは綺麗に乾燥しているから」
「なぜ、そのように冷静なのですか?」
冷静? まぁ、大きな声を上げて驚くほどビックリはしていないけれど…
「花の妖精や猫の妖精の友人に、カッパとの相撲。森の精霊とナゾナゾをしたり、食べられそうになった山姥は今では同居人だし、なんなら外国の雨の大ヤモリの精霊も同居を始めたし、大きな蜘蛛のビスクドールの付喪神に、イングランドの妖精に… これだけ経験があるんです。今更、ミイラの一体や二体では驚かないですよ」
凄い、冬龍君。息継ぎなしで言い切った。
冬龍君があげた名前を、指を折って数えてみました。
「あ、巫女神様、忘れているよ。私達を護ってくれている、神様。
あと、他にも学校の中庭でみたマーメイドさんや、フェイさんや、マカラさん… 山姥のお婆さんのお山で雨を降らせてくれた雨降り小僧さんや… 幽霊さんも、たくさん。イングランドから来たピクシーさん達に、狐さんにも会ったよね」
「… 確かに。それだけの経験があれば、グレイスを見ても驚かないのは頷けますね」
八千穂さんは、冬龍君と私が今まで出会った精霊さんや妖精さん、妖怪さんの人数を聞いて、ちょっと驚いたみたいです。私も、こうして数えて驚きました。
「ナオ、お話しを聞かせて」
ルシールちゃんのオルゴールの音色がポロンと響いて、頭に直接話しかけてくれました。
「お話し?」
「今、名前が出たモノとのお話し。グレイスも聞きたいって」
今までのお話しかぁ~。上手に出来るかな?
ちょっと不安になって隣の冬龍君を見ると、冬龍君はパンツのポケットからお守り袋を取り出しました。桜雨お姉ちゃんが作ってくれた、皆でお揃いのお守り袋。その袋をテーブルの中央に置いて、ゆっくりとお話を始めました。
「僕達を護ってくれているのは…」




