4・闇を祓う矢とミカンの蜂蜜
4・闇を祓う矢とミカンの蜂蜜
カララン… コンクリートの上に落ちたのは、一本の矢でした。校内の外灯がぼんやりと付き始めたので、純白の羽の竹矢だとすぐに分かりました。振り返って、その矢を見た瞬間、私は一気に安心しちゃって、ヘナヘナと座り込んじゃいました。
「… 冬龍君だ」
普通、白い羽は白鳥だけれど、この竹矢の羽は鷹なんです。白い鷹の羽の矢を愛用しているのは、私の従兄弟の冬龍君。中等部から弓道をやっていて、大会に出れば優勝は固く、中等部3年生だった去年は主将まで努めました。
「怪我は?」
あ〜、この声の調子は、少し怒っているよねぇ。私に怒っているのが分かるから、顔を上げたくないなぁ。だけど、ずっと下を向いたままと言うわけにもいかないから、少しずつ視線を上げていこうかな。
見えるのは黒の袴の裾から、白いタビ。白い上衣に、袖から伸びた細いけれど筋肉質な腕。差し出された大きな手にソロソロと手を伸ばすと、ガシッと掴まれて一気に引っ張られました。
「怪我は?」
ソロソロと顔をあげると、綺麗な卵型の輪郭に、キュッとした小さな唇と形のいい小ぶりのお鼻。目尻が少し下がった二重の茶色い瞳と、茶色い猫っ毛のベリーショート。双子の従兄弟のお兄ちゃん、白川冬龍君がジッと私を見ていました。
「ありがとう。冬龍君が助けてくれたおかげで、怪我はしてないよ」
「… なら、いいや」
冬龍君は大きなため息をついて、私の制服をパンパンと叩き始めました。
「えっ? まだ『何か』憑いてる?」
「制服が泥だらけ」
あ〜、鍵を探すのに夢中で、制服が汚れる事は気にしてなかったや。
「弓道場まで噂話が流れてきた。白川くんの従姉妹が、また不思議な事をしているって。
様子を見に来てみれば、こんな校舎裏で…」
冬龍君、まだまだ制服を叩きながら、またまた大きなため息です。
そうだよね、周りがそんな噂話しているときは、高確率で『変なモノ』が関わっているもんね。だから、今日も弓矢を持ってきてくれたんだ。
「ありがとう。心配かけて、ごめんなさい」
私が危ない時、いつも助けてくれるのは冬龍君。いつも怒られちゃうけれど、いつも助けてくれるんだよね。
「無事ならいいよ」
胸元のスカーフを綺麗に結び直して、上衣の袖で私のお顔を拭いてくれて、最後に髪の毛も手櫛で整えてくれました。
あ、ちょっとだけ、本当にちょっとだけだけど笑ってくれた。もう、怒っていないかな?
「冬龍君、本当にごめんなさい」
けれど、茶色い瞳が少し悲しそうに見えて、また心配かけちゃった。て申し訳なくって、もう一度ごめんなさいって頭をさげました。
「トウリュウ、ナオを怒らないで」
そんな私の袖口から、ミエルちゃんがヒョコっとお顔を出しました。
「… 僕は君を知らないのだけれど?」
一瞬、冬龍君が固まりました。けれどそれはほんの一瞬で、直ぐにミエルちゃんに手を差し出しました。冬龍君も昔から不思議な事を経験しているから、順応力は高いんです。
「私はよく知っているわ。私、中等部時代からナオを見ていたから。トウリュウ、ナオと一緒に居る時が多いものね。
私は『ミエル・マヌカ』。さっきは危ない所を助けてくれてありがとう。さすが神様に捧げる弓を射る者ね。これからも、宜しくね」
ミエルちゃんはニコニコしながら冬龍君の手の平に乗って、スカートの裾を優雅に摘まみながらお辞儀をしました。
神様に捧げる弓… あ、そうか『奉納舞』の事を言っているんだ。冬龍君、季節ごとに学園内を『鳴弦の儀』で邪気払いしているもんね。
「いえ、さっきのようなことは、特に珍しい事ではないから。
『ミエル』はフランス語で蜂蜜。『マヌカ』はマオリ語で2月6日の誕生花。日本名は『檉柳梅』で花言葉は『濃厚な愛』・『蜜月』・『素朴な強さ』。特徴は色々あるけれど、一番はギョリュウバイから作られる『マヌカハニー』だね。殺菌効果や美肌効果が期待されていて、最近は石鹸や基礎化粧品等にも配合されているね」
さすがお花屋さんの息子さん。ミエルちゃんの名前を聞いただけで、辞典を読み上げているようにスラスラ情報が出て来ました。無表情のままだけれど。
「あら、物知りね。貴方みたいな人を、博識ってよぶのかしら?
そうよ、私はギョリュウバイの花の妖精。趣味は『マッドハニー』と『蜂蜜酒』作り。今度、2人にもプレゼントするわね。私の作った物は世界一なんだから」
ニコニコと嬉しそうに微笑んだミエルちゃんは、どこからかピストルを取り出しました。さっきダンゴムシの赤ちゃんを誘導する時に使った物です。
「『マッドハニー』も『蜂蜜酒』も…」
「これはただの蜂蜜よ。美味しいだけだから大丈夫。
ナオはずっと鍵を探してくれて、トウリュウは『花喰い』を祓ってくれてありがとう。とっても疲れたでしょう?私の蜂蜜をひと舐めすれば、疲れなんて吹っ飛んじゃうんだから。ナオとトウリュウだからあげるんだからね。特別よ、特別!ほら、お口開けて」
冬龍君、『マッドハニー』も『蜂蜜酒』も知っているみたい。ちょっとお顔をしかめた所を見ると、食べない方が良いのかな?
ミエルちゃんはそんな冬龍君にウインクをして、可愛らしく銃を構えました。
「はい、大きくお口を開けて!」
警戒しているのか、冬龍君はお口を閉じたままです。私はすぐにお口を開けました。
「ナオは素直で可愛いわ」
言いながら、ミエルちゃんは私のお口の中に銃を打ち込みました。
「ん! あっま~い!!」
それはほんの数滴だったけれど、お口の中が一気にほんのりと甘く… 微かに柑橘系の香りがするかな?
「ミカンの蜂蜜よ。これはお家に帰ってからどうぞ」
そう言って、ミエルちゃんはどこからともなく金色の蓋の小瓶を取り出しました。私達にとっては『小瓶』のサイズだけれど、ミエルちゃんにとっては自分の体と変わらないサイズ。キラキラと金色に輝くその小瓶は、もしかして、もしかしなくても…
「今、お口に入れたのと同じ蜂蜜よ。今日のお礼と、あと4本探してもらうから、奮発しちゃうわね」
やっぱり、蜂蜜!! 遠慮なく小瓶を受け取ると、ミエルちゃんはウンウンと頷きながら私の手に飛び移って、そこからトトトト~と上手に頭の上まで登ってきました。
「次の『花喰い』が現れないうちに帰るわね。どこでもいいから、光の当たっているお花の所まで連れて行ってくれる?明るい所は安全だから」
ミエルちゃんの説明だと、さっき現れたフワフワした黒いのはミエルちゃん達は『花喰い』と呼んでいて、お日様が沈むとどこからともなく湧き出て、ミエルちゃん達をパクパク食べちゃうそうです。お日様が沈んでも明るい所には出てこないからと、ミエルちゃんは中庭の芝桜の上に下りました。ここ、校舎から洩れる明りで必然的にライトアップされるんです。
「爺やに怒られに帰るわね。また明日」
ミエルちゃんは苦笑いしながらお辞儀をすると、白いスカートの裾と蜂蜜色の巻き毛がふんわりするぐらいクルっと回って、消えちゃいました。
「冬龍君、この蜂蜜、お夕飯の後に紅茶に入れてみようね」
「僕達も帰ろう」
ミエルちゃんに貰った小瓶を見せながら言うと、冬龍君は大きなため息をついて、大きな手で私の頭を撫でてくれました。