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小部屋に入ったマーカスは、レインから渡された紙片を見て顔を顰める。
「今朝、主だった貴族の屋敷に届いた怪文書だそうです」
紙片はごく普通の文房具店で購入出来そうなレターセットの一枚で、雑な手書きでセシア・カトリンは過去に罪を犯している、王子妃には相応しくない、といった内容がやけに攻撃的な言葉を使って書かれていた。
「感情的な投書だな」
「……ええ、ですから例の噂同様大方の貴族は無視しているようですが、それでも近頃にセシアに関してこの手の噂がよく飛び交っているので心配した知人から俺のところに知らせが来ました」
マーカスは眉を顰める。
フェリクスが言っていたように噂の発信源である人物はかなり焦れていて、そして賢くないやり方を取っていた。噂だけなら言い逃れが出来たかもしれないが、こうしてわざわざ物的証拠を残しているのだ。
「ロイに痕跡を辿らせたか?」
「まだです。辿るにしてもその対象者の情報がないとロイにも探れないでしょうから……」
レインが濁すと、マーカスも頷く。
セシアに恨みのある者、彼女に関わりがあり彼女の過去を知る者をピックアップして情報をロイに渡す必要がある。平民のセシア・カトリンならばかなり数は絞れたかもしれないが、ヴィレン男爵であり王子の婚約者である彼女には今や敵となり得る相手も多い。
その不特定多数の情報を用意し、その一つ一つをロイに辿ってもらうことは建設的な考えではないだろう。
「もう少し数を絞りたいな。まぁあまり賢い動きではないから、早々に馬脚を現しそうではあるが」
「ええ……ここまで愚かだとは、驚きました」
レインは吐き捨てるように言う。珍しく感情的な彼の様子に、マーカスは僅かに目を細めた。
一方、セリーヌと対峙しているセシアは彼女を靴の先から頭の先まで見遣って僅かに息を吐いた。
相変わらず金だけは十分に使った贅沢なドレスや装飾品、輝く金の髪を飾っているのは大粒の黒真珠。
かつて、デイアーヌ家でメイドとして使われていた時には分からなかったが、セリーヌの着こなしはどれほど豪奢であろうと、下品だ。
ロザリーやアニタの薫陶を受け、王城でメイヴィスやイーディスといった本物の貴婦人ばかりを見てきた今のセシアならば分かる。
品というものは磨かれていくものであり、貴族女性達はただ贅沢をしているのではなくその中で常にアンテナを張って試行錯誤しているのだ。金を注ぎ込めばいい、と言うものではない。
「……何をしに来たの?この夜会の招待状をどうやって手に入れたの?」
「あんた、いつの間にわたくしにそんな偉そうな口を叩ける立場になったわけ?男爵だか、王子妃だか知らないけど、あんたは永遠に孤児の小汚いドブネズミのままなのよ」
言われた言葉に、セシアは驚いて目を丸くする。
王城のメイド達が時間を掛けて磨いてくれた今更のセシアは、美人かどうかは別として小汚い、と言う言葉は相応しくない。
これはセシアの自惚れではなく、メイド達の仕事を信頼しているからこその事実だ。小汚いネズミも、お姫様みたいにしてくれる敏腕メイド達。セシアに淑女としてもマナーを教えてくれたのも、一流の淑女達だ。
今のセシアは、大勢のプロフェッショナルの教育とマーカスの愛情で出来ている。誰に何を言われようと、自信を揺らがすことは彼らのそれに対して失礼だった。
「あんたこそ、見る目がないのね。美人でもセンスが悪いとみっともないわ」
セシアは初手から全力だ。
どんな思惑があろうと、セリーヌがここに来てセシアに接触してきた理由が友好的なものである筈がない。もう寒空の下、皿洗いの為に外に放り出されていた無力な自分ではない。
相手が誰であろうと、全力で叩き潰す。
案の定カッとなったセリーヌはセシアを叩こうと手を振り上げる。しかし、訓練でマーカスに強力な突きから逃げ回ってきた彼女にとってはあまりにも遅く見えた。叩かれておいた方が暴行として立件出来そうなものだが、セシアはセリーヌ相手ならばこんな騙し討ちみたいな方法ではなく完膚なきまでの勝利が欲しい。
サッと避けると、セリーヌから距離を取って真正面から向き合った。
「なんで避けるのよ!」
「あんたにぶたれるなんて、屈辱だからよ」
だが、セリーヌの方もただ無策で突っ込んだわけではない。セシアが避けた時に、彼女の腕にカチリと金属の腕輪を填めていたのだ。
「……何これ」
セシアは怪訝な表情を浮かべて、腕輪を外そうとするが鍵が掛かっているようで外れない。嫌な予感に、魔法で壊そうとしてハッとした。
セリーヌは勝ち誇って笑う。
「気づいた?それは魔法封じの腕輪なんですって。これであんたの小賢しい魔法は使えなくなったわね」
見た目は普通の金属の腕輪だが、魔法錠と同じ効果のある魔法具らしい。セシアが腕力だけで潰せないか一応試みたが、無理だったので仕方なく腕を下げる。
その頃には彼女達に注目が集まっていて、招待客達が二人を遠巻きにしていた。
その中には当然フェリクス達もいるが、セリーヌが誰なのか何が目的で近づいたのか、そしてセシアの敵なのかどうか判断がつかないようで困っているようだった。
殴りかかられ魔法錠に相当する魔法具を不当につけられたのだから、セシアとしては十分に敵認定だが、ここはロザリーの祝いの場だ。無用に騒ぎを起こしてせっかくの夜会を台無しにしたくなかった。
「……分かったわ、部屋を用意してもらっているから話はそっちで聞くわよ」
ここまでされれば明白なのことだが、件の噂を撒いていたのはセリーヌなのだろう。
確かにディアーヌ子爵ならば裏から脅してくるかもしれないが、セシア個人を気に入らないセリーヌならばこんな馬鹿な方法を取ってもおかしくない。
「あんたは相変わらず馬鹿ね」
馬鹿に馬鹿と言われて、セシアは顔を顰める。流石にお前だけには言われたくない。
「ここまでお膳立てしたのに、わざわざ人目のないところに行くわけないでしょう?この場で、今お前のことを男爵様だの王子妃様だの持ち上げている連中の目の前であんたの化けの皮を剥がして上げるわ」
「止めた方がいいと思うけど……」
セシアは更に顔を顰めた。学園での身分の詐称の件は、セシアにも勿論暴露されては痛いことだが、セリーヌにも罪は及ぶ。
賢いやり方だとは思えなかったので、今までディアーヌ家を放置していたのに。
「冗談じゃないわよ!あんたの所為で王都から追い出されてからわたくしがどれだけ屈辱的な思いをしてきたと思ってんのよ!」
王都を勝手に出て行ったのはそちらだ、とは思ったが注目が集まっているのでセシアはどうしたものか悩む。いっそ物理的にセリーヌの口を塞ぐべきだろうか、と物騒な考えが過ぎる。
セシアが焦った顔をしているのを心地良さそうに見て、セリーヌはたっぷりと衆目を意識する。招待客達は二人のよく似通った女性の動向を見つめていた。
ロザリーが急いでこちらに向かって来るのが見えるが、間に合わない。セリーヌの紅を引いた赤い唇が楽しげに開く。
「皆よく聞きなさい!!セシア・カトリンは、わたくしセリーヌ・ディアーヌの名を名乗り身分を偽って学園に通っていたのよ!!」




