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「会ってみたいです!」
「あーでも今日は難しいかもな。一課の手伝いに駆り出されてるから……春は金の出入りが激しい時期だからな」
「ああ……そうですね」
確かに、去年セシアが勤め始めた頃もこの時期はかなり忙しかった。それが経理監査部の仕事の全てだと思っていた頃が懐かしい。実際には執行官などという想像もつかないような職務の方が本業だったのだが。
「じゃあ今日は会えなさそうですね」
「明日ならこっちにいる筈だぞ?」
一つ目のカップケーキを食べ終えたキースがそう言うのに、セシアは苦笑を返した。
「お休みは今日だけなので」
「あー……そうか。そりゃ」
キースが何か言いかけたところで、突然部屋の扉がガチャンと音をたてて開きレインが入ってくる。彼は、セシアを見ると、厳しく目を細めた。
「何をしている、カトリン」
「レイン先輩。ご無沙汰しています」
「挨拶などいい。迂闊に男と二人きりになるな、お前は常に人に見られていると思え」
セシアを叱責したレインは、何やら苛立った様子で自分の机に向かう。
厳しくもいつも穏やかだった彼の、そんな珍しい様子にセシアは青褪める。
確かに昨日の今日で迂闊だったかもしれない。古巣に来るだけのつもりだったし、他にも誰かいると思っていたので、気楽に来てしまった自分を恥じた。
「何をしに来たんだ」
「申し訳ありません……久しぶりに皆に会いたくて、差し入れを……」
レインに問われて、セシアは答える。彼はキースの持つバスケットを見て、首を横に振った。
「ならもう用は済んだだろう、ここはもうお前の居場所じゃない。帰れ」
言われた言葉に衝撃を受けて、セシアは僅かに震える。
勤め出して一年と少しだが、二課の課員とは苦労を供にした仲間だと思っていた。でももうここは自分のいる場所ではない、と明言されて、心が引き絞られるような心地がする。
「おい。そんな言い方ねぇだろ、カトリンはまだウチに籍にある課員……」
「まだ、だろう。殿下と成婚すれば王子妃だ、一般文官や危険の多い執行官をさせるわけにはいかない」
レインの言うことは尤もだ。
セシアはマーカスの妻になることを選んだ。それは、二課の執行官である自分を捨てるということなのだと、今更ながら悟る。彼の妻になることによって、失っていくものがあるなどと考えもしなかった。
足元がガラガラと崩れていくような気持ちがして、彼女は眩暈を感じた。何者でもなかった自分。ようやく手に入れた地盤が、二課なのだと思っていたのに。
一つ手に入れたら、一つ手放さなければならないのだろうか。
「レイン、言い方ってもんがあるだろうが」
「いいんです、キース先輩」
キースが青筋を立てたのを見て、セシアは慌てて彼を止めた。自分の所為で二課の頼れる先輩二人の仲が悪くなるのは嫌だった。
「レイン先輩の言う通りです、私……甘ったれてました」
「いや、カトリン……そんな思い詰めんなって」
「いえ。王子妃になるなら、ちゃんとその覚悟を持って挑むべきでした。申し訳ありま……」
キッ、と眦を吊り上げたセシアが涙を押し殺して謝ろうとした瞬間、
バンッ!と扉が音を立てて開き、また誰かが部屋に入ってきた。
ふわりと広がる燃えるような赤毛。シンプルなワンピースを着たマリアだった。
「セシア」
「マリア!」
驚いて目を丸くするセシアに、マリアはにっこりと微笑む。きゅっと彼女の手を握ると、引っ張った。
「早く早く、お出掛けよ!」
「え?え?」
ぐいぐいとセシアを引っ張って、彼女の体を部屋の外へと連れ出す。
「あ、あの、先輩方! お邪魔しました!」
慌てるセシアが言えたのはそれだけで、最後は背を押されて彼女は部屋の外へと出されてしまう。マリアも出ようとドアノブを掴んだが、思いついたようにくるりと振り返る。
ぎょっとするキースと険しい顔のレインを見て、マリアはにっこりと微笑んだ。
「レイン、あまり私のセシアをイジメないでね?」
「……間違ったことは言っていない筈です」
レインが反論すると、マリアは僅かに首を傾けた。
「一面だけを見て、あの子の評価を下すのは愚かなことだと思わないかしら」
「……無論、カトリンにも良い面があることは承知しています。ですが今は大事な時期で、周囲はその一面だけを見て判断するのですから全方位完璧にしておかなければならないでしょう」
正論過ぎる程の正論に、キースは青褪める。マリアという嫋やかな淑女の皮を被ってはいるが、この人は上司である王子殿下なのだ。そしてキースもレインも、マーカスには大切な者を守る為の苛烈な一面があることを知っている。
しかし、キースの危惧に反してマリアはぷんぷんと可愛らしく怒っただけだった。中身があの美丈夫だと思うと、キースは相変わらず悪夢を見ているような心地がする。
「もう! 強情な男ね。……でも、私の選んだあの子は、必ず素晴らしい王子妃になるわ。そうなってから謝ってもゆるしてあげないんだからね!」
びし、と指を突き付けられて、レインは頷いた。
「そうなることを私も望んでいます」




