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お礼を言って欲しかったわけではないが、突然少女にそう言われてセシアは目を丸くした。
「レース、破れたままの方が良かったの?」
何かそういう暴行の証拠として必要だったのだろうか、と一瞬セシアは危惧したが、令嬢の方は首を横に振る。
「そこじゃありません。先日のガーデンパーティといい、一時助けてもらったからって何も改善しないんです。いつも助けてくれるわけじゃないなら、余計なことしないで……!」
ロザリーから注意されていたことを、本人から直接言われてセシアは衝撃を受けた。虐められっ子としては年期の入った身だが、そんなことは考えたこともなかったのだ。
尤も、彼女を助けてくれたのはマリアとマーカスだけだったのでこういった感想を考え難かったのもある。
「あのまま放置しておいた方が良かった、てこと?それとも彼女達が改善するように私から王子に頼めとでも?」
「あなたにはそれが出来るでしょう?」
わざと嫌らしく、セシアは鼻で笑ってみせる。ひどく嗜虐的な気分だった。
セシアはずっと誰かの力を当てになんてせずに生きてきた。それでも現状を変える為の努力は惜しみなくやってきたつもりだ。
「お断りするわ。自分で戦おうとは思わないの?」
ぴしゃりと言うと、彼女は顔を歪める。
「生まれはどうしようもないのよ。わたくしは子爵家の娘で、向こうは伯爵家。これからもずっとああいったことに耐えていくしかないのよ!」
「……相手に自分を認めさせる努力はしないの?」
「どうしろと?わたくしが悪いわけじゃないのよ、生まれの所為で虐められてるのに、どうしろって言うのよ!あなたはいいわよね、王子様を射止めたんだもの!!」
彼女はそう叫ぶと、その場から走り去ってしまった。
一人庭に取り残されたセシアは、呆然とする。が、じわじわと身の内から怒りが込み上げてきた。
生まれはどうしようもない?王子を射止めたから、セシアは安泰だとでも?
とんでもない。現在進行形で好奇と粗探しの目で監視されている身だというのに。
セシアは聖人君子ではない。確かに中途半端に助けたことはお節介だったかもしれないが、あんな扱いをされる謂れはない筈だ。
「……全員纏めてその腐った性根を叩き潰せたらいいのに」
ブツブツと物騒なことを呟くが、虚しいだけだ。
対外的に見て、救国の英雄として突然授爵して王子の婚約者になったセシアは、彼女達から見たら胡散臭く貴族の常識を知らない得体の知れない女なのだ。
さきほど走り去った少女は、ひょっとしたらそんなセシアに助けられたこと自体が不名誉だったのかもしれない。
さすがにジュリエットの計画を阻止したことで経理監査部二課の活躍は方々に知れ渡った。
それまで他部署の手柄だと思われていたいくつかの事件に尽力していたことも知られることとなり、今期の部署入りを希望する者は複数名いたとも聞いている。
春先から第二王子の婚約者となり、二課に顔を出せていないセシアには遠い話だった。
「……皆のところに戻りたいな」
そこまで考えて思わずぽつん、と言葉が零れてしまう。
言った先から、彼女は後悔した。自分で望んでマーカスの隣に立ったのだ、ただの捨て猫の頃の自分に戻りたい、というのは自分にもマーカスにも失礼だろう。
ぺちん!と両頬を手で叩いて、セシアは自分に気合を入れた。
弱音を吐いている場合じゃない、気づけばいつの間にか時間が経ってしまっている。少し離れるつもりだったのが、長い不在になってしまった、早く夜会に戻らなければ。
急いでホールの方に戻ると、マーカスがすぐに彼女を見つけてくれた。
「セシア」
「殿下、申し訳ありません」
「いい。庭が吹っ飛んでいない、ということは何も問題なかったんだろう?」
冗談交じりに言われて、セシアは僅かに微笑む。
「人を嵐みたいに言わないでください」
「似たようなものだろう」
いつもの調子で返しながら彼女はホッとした。が、マーカスの背中の向こう、ホールの雰囲気はあまり良くない。セシアが長時間庭に一人でいた、とは誰も考えていないらしく、まるで逢引でもしてきたかのように邪推しているのだ。
こちらを見遣りながらひそひそと話す姿があちこちに見える。ついセシアが眉を寄せると、マーカスはそんな彼女の腰を抱き寄せて優しく背を撫でた。
「挨拶も済ませたし、そろそろ帰るか」
「…………はい」
夜会でのあの行動は、失敗だった。セシアはそう思い知らされて、項垂れた。
王城に戻ってきた二人はそのまま回廊を歩き、マーカスがセシアの客室まで彼女を送ってくれた。
「セシア……」
失敗に眉を寄せる彼女を気遣いマーカスがそっと頬を撫でると、セシアは慌てて彼から離れた。拒絶してしまったような様子になり、彼女は慌てる。
「あ……違うの、あの……」
「分かってる。不貞を疑っているわけじゃない、何が嫌なのか言ってくれ」
「嫌じゃない……嫌なんじゃなくて、殿下に触れられたら、甘えてしまいそうで……それが……」
怖いのだ。
言葉にならなかった思いを正確にくみ取って、しかしマーカスは目を細めた。それの何が怖いのか、彼には分からないのだ。
セシアは今まで一人で生きてきた。勿論、助けてくれた人はたくさんいたし、親切な人もたくさんいた。
だがそれ以上に酷い人は多くいて、セシアが気を抜けば気を許せば何もかも奪おうとしてくる者が後を絶たなかった。勿論、マーカスのことをそうだと疑っているわけではない。
ただ、マーカスに優しく触れられると、その指先が触れた箇所からぐずぐずに溶けていって、二度と自分一人で立つことが出来なくなってしまうのではないか、ということが怖いのだ。
彼の手は心地がいい、すっぽりと甘えて何もかも委ねてしまいたくなるのだ。
「……それは悪いことか?」
マーカスが控えめに手を伸ばし、だらりと垂れ下がったセシアの手を握る。
「わかりません……私が、弱くなるのが怖いだけ、なのかもしれない……です」
混乱しているのか、セシアは口調が乱れている。そわそわと視線を彷徨わせてマーカスに視線を合わせないようにしていた。
「セシア」
「はい……」
「好きだ。それだけは、忘れないでくれ」
少し、マーカスの声は深みを増していた。きっと言いたいことがたくさんあるのに、セシアの為に我慢してくれているのだ。
そうやって、いつも少しだけ距離をとってセシアの好きにさせてくれるところがたまらなく嬉しくて、いとおしい。
一方で、もっと詰め寄ってくれたらこのぐちゃぐちゃな心の中身をぶちまけてしまえるのに、という我儘な気持ちも混じる。
「……私も、好きです」
他に渡せる言葉がなくて、セシアは顔を上げると真っ直ぐに彼を見つめてそう返した。




