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裏切るための思案

 結局、次郎は暫定という形ではあったが、当主就任を認められた。

 そして男として、党首の座に就くにあたって、諱を与えられた。それは、先例となる上杉輝虎をもじったものだった。

 直虎。

 井伊の直系につけられる直の字と、輝虎の虎を合わせた名だ。

 本人としては不本意極まりなかったのだが、やむを得ないとあきらめた。

 上杉輝虎のような化け物と一緒にされるなど冗談ではないのだが。

「どのみちそう長いこともあるまいよ」

 あくまで一時的なものと、井伊直虎は考えていた。

 この、不本意極まりない諱と付き合うこともそう長いことでもないと。

 もうすぐ今川家は終わる。

 今考えなければならないのは今川家が終わった後、井伊家の身の振り方だ。

 おそらく今川に真っ先に牙をむくのは、同盟者である甲斐の武田だ。

 武田は既に四五回、越後へと兵を進めている。

 武田が何より求めているのは、海に面した土地だ。

 自らの領地内が、海に面しているか否かはその領地のアドバンテージにかかわる。

 まず、人間が生きていくためには塩が必要不可欠だ。自らの領地内で取ることがかなわなければ、他国に頼るしかない。

 生存に必要不可欠なものを他国に頼らざるを得ないというのは戦国の世にとって不利としか言いようがない。

 現在は同盟を組んでいる今川と北条から塩を仕入れているが、海に面した領地を今も喉から手が出るほど欲しがっているのは疑う余地もない。

 塩は食料だけでなく、染色の色止めなど工芸でも使われる。どうあっても欠かすことはできないのだ。

 そして物流に関しても同じことが言える。

 海流の流れに船を乗せることができれば、大規模な輸出も輸入も思いのままだ。実際今川の富は、それに支えられているといっても過言ではない。

 日本という土地は、面積の割に、高低差が激しく、行き来が不便だ。直線距離は近くとも山一つ越えれば文化が大きく変わることも珍しくない。

 そのうえ、荷物を運ぶ手である馬は極めて小さい。

 力の強い女であれば片手で抑え込めるほどに非力だ。

 詰める荷物など、たかが知れている。

武田の騎馬軍団はほとんど荷駄部隊だ。実際に戦うわけではない。

 しかし、海と船を手に入れることができれば。どれほどのことができるか。その期待に今頃胸躍らせている可能性が高い。

 北条は、今川との親戚関係をそれなりに大切にしているが、武田にそれを期待するだけ無理だ。

 氏真の生母は、武田の生まれであり、信玄の姉にあたる。しかし、信玄は実の父を追い出し、実妹の産んだ諏訪の嫡男を暗殺したという噂のある男だ。

 亡き姉所生の甥を打つぐらい簡単にやるだろう。

 信玄の正妻、三条氏は氏真の祖母樹桂尼が仲立ちとして嫁いできた都の姫君であるが、血縁関係はほとんどない。

 どう考えても武田が止まるわけがないのだ。

 ここまで考えるといっそ氏真が哀れになってくる。

「さて、どこに話を持っていくか」

 将来今川を裏切り、井伊家の後ろ盾となりそうな家を直虎は考えていた。

「武田は、どうだろうなあ」

 武田に井伊を高く売ることは難しそうだ。

 何しろ井伊には武田に与えられるものは何一つない。

「やはり徳川か」

 亡き直親の縁にすがることを考えてみた。


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