《穴熊の双腕》
ひときわ背の高い木の枝に止まり、周囲を見回す。
広がっているのは所々まばらになったりがあるものの、緑の葉が繁る森林地帯。
生まれてこのかた長い時間過ごしてきた森と同じで、でもどこか違う空気。街という緑のない場所に行く経験をしたせいか、今までよりもその微妙な違いがよくわかるようになった、ような気がする。
生まれ育った森では聞かなかった鳥の声に耳を傾けながら、視線を向けるのは森の一角。そこだけは森の中にあって、一目で森とは違うとわかるものがでんっと存在感を放っていた。
地面に丸太をぶっ刺して、その間に板を打ち付けただけの囲いの中にある建物。囲いは所々が崩れていたり、森の緑が浸食したりしているけれど、それでも形を保った人工物が有るわけで。
そこから上るいく筋かの細い煙を確認し、両手の翼をすぼめたまま空に身を踊らせた。
「――戻ったわよ」
着地の瞬間に羽を広げて勢いを殺し、難なく柔らかい森の大地に着地したあたしは開口一番、地上で待っていた狼達に報告する。
「……こちらも、確認が済んだところだ」
「そっか、じゃ、早速方向を合わせましょ」
あたしと同じように、だけど黒はあたしみたいに見て確認するのではなくて例の道具を使って晶の位置を確認していた。
道具の反応があった方角と、あたしが確認した建物――昔作られた砦とかいう場所らしい――の方角は、見事一致していた。
「となると、ほぼ確定……か」
「狼、そういうそっちはどうだったの?」
「ああ、例の団体サマ所属らしき足跡がそっちに向かってた」
「あとー、定期的に人が通ってるみたいで、あっちこっちに足跡とかイロイロと残ってるね」
同じように周囲の捜索に出ていた狼と海も合流して、それぞれ持って帰った情報をすり合わせる。
狩りをする時もそうだったけれど、こうやって相手の居場所が分かっている場合は、その周りにこっちを襲うような動物がいないかとか、本当にそこにいるのかとかをあらかじめ確かめるのはよくあることだと思う。
何となく、土蜂の蜂蜜を取るときと似てるかな、なんて考えている間に男連中はあれこれ話すべき事を話して突入することを決めたみたい。
「じゃ、その前にまずはコレだね」
「んあ? 他になんか……って、ぶぁっ?!」
砦に向かおうとする狼に待ったを掛けて、海は腰につけたポーチから取り出した何かを問答無用でぶちまける。
白っぽい粉は空気に混じって、たちまちあたし達を包み込む。
「ちょっ、海てめっ! ンだよコレ?!」
「んー? 何って、単なるニオイ消しの粉だよ。君みたいに鼻の利く《変化》の持ち主がいるかも知れないんだしさ、できる限りニオイとか気配とかは消しておいた方がいいじゃん」
まだ少しむせている狼の言葉に、海はあっけらかんと言ってのける。
「あー、そっか、クマって案外ニオイに敏感だもんね」
「そうそう。アナグマなんて名乗ってるんだし、クマ系の《変化》持ちは居そうだしぃー、そうじゃなくても内陸系の組織だから|《陸人》(ルディ)は多そうだもん。ニオイはなるべく消しておかなきゃね」
オオカミなんかがニオイに敏感で血のニオイを嗅ぎつけて寄ってくる、っていうのは有名よね。それにクマだって、案外鼻がよくてちょっとでも風上に立とうものならすぐに感づかれちゃうのよ。だから狩るときはもちろん、他の獲物を追っているときもなるべくクマの風上には立たないようにって気をつけたっけ。
うっかりしてると、獲物の横取りだけじゃすまないから。
「だとしても……やるならやるってもうちょっと早く言いやがれ」
「ん、でも避けられたら意味無いし」
「勝手なことすんなつってンだよ!」
憮然とした声でそんなことを言う狼は体にかかった粉を払いながら、自分のニオイを確かめるような仕草をしてなんだか落ち着かないようだった。
……やっぱり、オオカミの《変化》だし、自分のニオイが薄くなるとかになると落ち着かないのかしら?
狼の様子が狩りの時に目にしたことのあるオオカミの姿とかぶって、こんな時にも関わらずなんだか和んでしまった。
丸太をそのまま打ち込んだような獣除けの柵。あちらこちら痛みが見て取れるのは、作られてからずいぶん経っているせいだろうね。まあ普通は住人がその都度痛みを直すわけだけれど……うん、今ここを根城にしてるような連中に、そのテのコトを期待するのは無駄ってもんだ。
使ってるのなら、ちゃんと管理はすべきだと思うんだけどなぁ?
ま、今回はおかげでありがたいワケだけどさ。
入り口として作られている門は二つ。観音開きの扉の前には見張りが立っているし、それ以外にも時折哨戒する者達の姿がある。まあ、柵で囲われているとはいえ所詮獣除け。それも中型のイヌくらいなら簡単に通れてしまうようなお粗末なシロモノだ。人はもちろんクマやトラなんかの猛獣の侵入は防ぐことができるかも知れないけれど、小型の肉食獣や毒ヘビなんかは止められないわけで――哨戒が歩いているのもわからなくもない。
ただ――その頻度は少し、普段からしている警戒にしては多いような気がする。
はたしてそれは森の異常を感じ取っての事か、それとも襲撃される可能性が有るほどの何かが滞在しているのか。
どっちでも、これから侵入しようっていうぼくらには面倒な事なんだけどさ。
見張り達に見つからないよう、茂みの陰に身を隠したまま一呼吸。侵入するに当たって、先頭はぼくが引き受けた。風はアレだから当然任せる気になれないし、まあ狼や黒なら出会い頭の戦闘もどうにかなるだろうけどさ。
やっぱりここはほら、盗賊の誤解をちゃんと解いておかないとね!
いつもの調子も程々に、意識を切り替える。
森の梢、鳥のさえずり、自分やすぐ後ろにいる狼達の息づかい、見張りの足音、退屈そうな呼吸――
押し寄せる音の波の中から必要な情報を拾い上げ、頭の中に書く地図に反映。見張りの位置、向いているだろう方向、予想される移動経路その他諸々――を割り出し、使えそうな道を探る。
音を使った探知……あいつ曰く|《音波探知》(ソナー)というらしい――を終え、ひとまず意識を引き戻す。
音を出しているものであれば何だろうとその所在を把握できるこの能力だけれど、得られる情報があんまりにも多すぎるせいで動きながらだとどうにもどっちつかずになってしまいがちだ。
だからこうして、わざわざ足を止めて探知に集中しないといけない。
ともあれ、必要な情報は一通り得られた。|《音波探知》(ソナー)の精度をせいぜい聞き耳を立てる程度くらいまで落として行動を開始。
哨戒が通り過ぎたのを茂みの中に隠れたまま把握し、その後ろを突っ切る。目指すは砦跡を囲う柵の壊れた箇所。ぼくや風だけならそこらの隙間でも十分に通れるけれど、流石に狼や黒は難しいだろう。それに柵を抜けるのにもたもたしていて見つかるなんてつまらないもんね。
通りやすいように――だけどぱっと見では壊れているとわからないように細工して通路を確保したあと、森に向かって手招き一つ。
事前に決めておいた手信号は単純なものをいくつか程度だけれど、声や匂いを使わず意志疎通する手段としては有用だ。現に、暗がりであっても見通せる狼と黒が読み取ったんだろう、タイミングを見てこちらに移動する。
気配を消して狩りをしていただけあって、風は流石に足音を殺すのが巧い。反対に狼と黒は少し危ないかな? って見ててやきもきしたけれど、幸い見つかることなく柵を潜る。
ひとまず侵入は成功。後はこのまま晶を探して何事もなく脱出できればいいんだけど――
ほっとしている風の横で、狼が視線でぼくを促す。事前に調べた限りではこの砦跡地を《穴熊の双腕》が使っていることはわかったけれど、建物の作りだとかどこをどう使っているかの情報は手に入らなかった。
だからここからは一つ一つ確認していかなきゃならないこと――本来なら。
けれどぼくには、そんなことをする必要がない。ここまで近づいてしまえば晶がどこにいるのか、そんなの探る必要もなく解るから。
いや、ううん。正確に言うのならもうちょっと前からだね。正直言って近隣の村に着いたあたりから、晶の居場所を感知できた。
それがどれだけ異常で異質なことかは言うまでもない。――だから狼達には伝えていないし、今後教えるつもりもない。
横道にそれた思考を打ち切り周囲を見回す。砦を構成しているのは物見櫓を除くと後は三つ四つ建物があるだけ。そのうち一つはやけに大きくて目立つけれど――ぼくが向かうのは砦の中でも一番小さな建物。
ぼくらが隠れている箇所からだと、丁度砦の中央を突っ切って移動するかたちのそこに向け、周囲の索敵を行いながら足を踏み出し――
悪寒を感じ、直感に従うまま空に向かって投擲武器ーー小指ほどの太さもない鉄の棒を尖らせたもの――を投げた。
風切り音はほとんどなく、静寂を切り裂いたのは堅い何かがぶつかる音と、続く落下音。
遅れてそれに気づいた狼達が視線を上げる。そこにいたのは夜空を背にした一対の翼。鳥の羽とは違う、皮翼は音もなく空気をつかみ、主を空という場に存在させる。
「コウモリ?! つーことは――」
「あの時の!」
襲撃者の登場に、隠密行動中だってコトも忘れて声を上げる狼と風。二人の声が届いたかのように、空を飛ぶコウモリ女はまるで三日月のように口の端をつり上げる。
「見つけた―。やっぱり来たね、餓鬼共!」
静寂を破る、甲高い声。
暗闇に潜む漆黒の翼を宿す|《空人》(シエロ)が、獲物を見つけた肉食獣のように狂気の色を浮かべていた。
ああもう、せっかく穏便に済まそうとしていたっていうのに台無しじゃないか!
ぼくの心配は見事的中。せっかく笛をたたき落として仲間への連絡を防いだっていうのに、女の声に気づいた連中が動き出す物音があちらこちらから聞こえてくる。
このままじゃ、囲まれるのも時間の問題。だけどあっちは空の上。視覚ではなく聴覚でもって空間把握を行うコウモリの《変化》相手じゃ投擲は不意でもつかなきゃ通じなさそうだし、風の弓は問題外。黒の符術に至っては、有用な遠距離攻撃になりうるけど、その分派手だから敵をおびき寄せる格好の目印。
かといってコウモリ女を放置なんてできない。自分の有利な状況でみすみす見逃してくれるとも思わないし、空の上から追ってこられるなんてそれこそ目印を連れて歩いているようなものじゃないか。
だから今すべきは、一刻も早くコウモリ女の動きを封じてこの場を離れること。
交戦の構えを見せるぼくに、コウモリ女は薄く笑む。――ぼくの《変化》が何なのか、知っているんだろう。警戒は|《海人》(オセアノ)のぼくではなく、同じ舞台に立てる|《空人》(シエロ)の二人に向けられていて、ぼくのことはついでのように意識を向けているだけ。
だけどけしてぼくらを侮っている訳じゃない。その証拠に、むやみに攻撃を仕掛けるそぶりをせずこっちの攻撃が届かないぎりぎりの距離で、油断無く出方をうかがっている。
当然といえば当然、か。コウモリ女にとっても谷川でしてやられたことは、記憶に焼き付いているだろうから。
あの時の攻撃の正体を掴めていないんだろう、むしろコウモリ女の動きは|《空人》(シエロ)二人への警戒じゃなく、正体不明の横槍を警戒してのものだと解った。
あの時あいつが何をしたのか、コウモリ女に何があったのか――ネタは実に単純。
コウモリは音で周囲を把握する。正確に言うのなら、自らの鳴き声がモノに当たって反射してくる、その音を捉えて獲物や障害物の有無を判断する。
つまり、暗い場所で目が見えている訳じゃなく、音の反射で視野を補っているにすぎない。
だからそこに邪魔な音を用意してやればどうなるか――自分と同じ能力を持つ者が居ないと思いこんでいるところで障害物に反射した音に偽装した音を当ててやれば、当然それを正しい情報だと認識する。そんな寸法。
あいつみたいに巧く能力を使いこなせないぼくには、せいぜい真似事くらいしかできないけれど――
肺に貯めた空気を吐き出す要領で、喉ではないもう一つの発声器官を鳴らす。
普通の音は発生地点を中心に円形に広がるものだけれど、お生憎様イルカの発声は音の進む方向をある程度制御できる。その特性を利用し放たれた人の可聴域を越えた音は目標地点で盛大に威力を発揮。
何事も見逃すまいと――否、聞き逃すまいとただでさえ鋭敏な聴覚を研ぎ澄ませていたコトが徒になった。
可聴域外の大爆音という不可視の攻撃の直撃を受けたコウモリ女は一瞬ぴくりと翼の動きを止め、そのまま平衡感覚を失いきりもみしながら地面へ落下。
「え……?」
「惚けてる場合? 新手がくる前にさっさと行動!」
「っぅ……あ、ああ」
突然落下したコウモリ女の姿にぽかんとしている風達に発破をかける。狼がなんか気分悪そうに耳押さえてるのは……ああ、そっか狼の《変化》もコウモリほどではないけど可聴域の広い獣だったね。方向を絞ったとはいえ制御が未熟で他にも被害が行った、ってところかな。
うーん、やっぱり未熟。要練習……ぶっつけ本番は良くない、か。
「で、でも行動って、どこに?」
「……ひとまず物陰に」
「こっち!」
あっちこっちから聞こえ始めた物音にすっかり腰の引けた様子の風、ひとまず発見の可能性を避けるため物陰に身を隠すことを提案しようとした黒の言葉を遮って、ぼくは晶の気配がある小屋に向かって駆け出した。




