とある集落にて
「では、そちらの薬草と毛皮も追加で」
「あー、だったらそっちからはもうちっと干し野菜とかと……っと、そうだ食器とかはあるか?」
「食器か……。持ち運びができた方が都合がいいんだったな、確か。そうなるとうちで用意するよりも、もっと大きな街で探した方が物も使い勝手もいいのが見つかると思うが……」
「やっぱしそうか。……んじゃ、そっちは無しにして布とか……あと、適当な子供服とかってあるか? あればそっちをちょっと増やしてもらってかまわねぇか?」
とある農村の一室。質素な机を挟み、オレと集落の交渉役はあーでもないこーでもないと交渉の内容を詰めていく。
ここは赤籐地方のとある寒村。季節は冬が終わり日差しに春の訪れを感じ始めたばかり。遠くに仰ぎ見る《神山》ことお山はまだ雪化粧を残し、内街道と中街道の間に位置するこの周辺にもまだ所々名残雪が残っている。
それでも気の早い動植物は活動を初め、人もまた同じよう新しい季節に活動を開始する。雪解け水でぬかるんだ地面に鍬や鋤を入れたり、家畜達を放す放牧場の柵を直したり、冬眠開けで活動が活発になった獣を狩るため出かけたり、外での作業が困難な冬の間に作り溜めた日用雑貨や衣服などの民芸品を売るため街に運んだり――と、この時期は大抵どんな農村でもそう変わらない光景だ。
そんなありふれた集落に、オレ達が到着したのはほんの数時間前。早春の来訪者に住人達は珍しそうな視線を向けた。それはオレ達のメンバーがそう年の離れていない、所謂成人したばかりのやまだ成人していない子供も含めた顔ぶれだったから、というのもあるだろう。
ま、大きな街道からも離れたこの集落はさほど頻繁に旅人が訪れるような土地柄ではないから、まぁ余所者に対する物珍しさもあったんだろうけどな。
実際、こうして交渉をしてその予想は確信となっている。でなければこの時期、冬の間に作った民芸品を引き取るため、あるいは春捲きの作物の種を売るため、行商人が立ち寄っていてもおかしくはない。それをオレ達みたいな流れの者に売るという事は、それだけで人の往来の少なさを証明してるって訳だ。
「どうだね? 捗っておるか?」
「お、族長サン。世話ンなってます」
そんな室内にやってきたのは、そろそろ初老に差し掛かっただろう頭に白い物が混じり始めた男。この集落の長の姿にも関わらず、気楽な様子のオレに対して気分を害したふうもなく楽にして構わないと身振りで示す。
都会のお歴々とは違って、こういった地方では下手に堅苦しいやり取りをするよりもこうして気軽な口調の方が親しみが持たれるらしく、そこんとこに倣ってオレもそうしている。……まぁ、堅っ苦しい喋り方は肩が凝るんで、正直ありがたいことなんだけどな。
「ま、ぼちぼちって所ですかね。やっぱ干し物とかは一所に落ち着いてないと作りにくいんで、交渉に応じてもらって助かってます」
「それはよかった。こちらとしても久しぶりの来訪者じゃ。それにあのような物まで持ってきてもらった礼もあるしの。足りない物があるようなら、遠慮なのう言ぅてくれ」
「あ、ははは……」
族長の言葉にオレは思わず苦笑で返す。
言っちゃ悪いが、ここは街道から外れた寒村だ。よく言えば土地に根付いた、悪く言えば閉鎖的な社会が築かれていたってなんの不思議はない。
だからまぁ、余所者に対して警戒心というか、排斥とまでは行かないまでもあんま歓迎されねぇだろうなー……なんて、オレは今までの経験から警戒していたんだ。
が、蓋を開けてみれば真逆。滅多に無い歓迎ムードに加え、交渉――移動の道中集めた人里近辺では見られない動植物と村で生産された産品との交換――にも快く応じてもらえたし、ぼったくられている印象も受けない。むしろちょっと色を付けてもらっている方だろう。
普通じゃなかなか受けられない好待遇――それ自体は大いに喜ばしい事なのだけれど、世の中何も無しにこんな上手く行くわけがない。当然のように、この好待遇には理由がある。
その原因たる野生児の事を思うとどうしてだろう、素直に受け入れられねぇっていうか、腑に落ちないっていうか。
微妙とも取れるオレの反応に、族長達は不思議そうな顔をしていた。
森の中にある小さな集落。似たような規模の集落と同じく、集落の中には木材で作られた素朴な建物がまばらに並ぶ。
その中央にあるのは、わずかに開けた空間。集落の中心となる広場には井戸が設けられ、住人達の集まる井戸端会議の場でもあり、青空集会の場ともなる。
今も沢山の住人が集まり、せわしなく動き回る様子はさながら平和な農村の様子そのものだろう――
その中心に、茶色いクマが居なければもっと。
人の背を優に越える巨体を持つクマ。そんな物が人里の中に降りてくればたちまち騒ぎになる。特に今の時期、冬眠から醒めたクマが餌を求めて徘徊している。腹を空かせたクマは当然の如く凶暴性を増していて、時として人も襲うからだ。
が、今集落に流れている空気はそんな早春の襲撃者に対処するためのぴりぴりと張りつめた空気などではなく、むしろ祭りを楽しむように浮き足立っている。
証拠に住人達の顔には緊張感の欠片もなく、むしろ子供達など広場で何かある度に子供特有のよく通る声で歓声を上げている。
今もまた、集まった人々の間から感嘆の声が上がる。一部の大人達はよそ見をしていないで各々の作業に手を動かせと声を上げるが、その側から別の歓声が上がっているため、効果のほどは推して知るべし、だ。
歓声の中心、つまりは広場にいるのはクマだけではない。
腕をロープで括って吊されたクマの手前、つむじでひとまとめにされた新緑色の髪が揺れる。子供というには少し年を重ねた、けれど大人と言い切ってしまうには少しばかり幼さが残る少女。彼女の手がひらめく度、クマの内蔵や肉の塊が手前に置かれた木桶の中に転げ落ち、周囲の見物人から歓声が上がる。
解体作業。今現在広場で繰り広げられているのはまさにそれだ。
それだけであるのなら狩猟も盛んな集落ではたいして珍しくもなく、住人の目を集めることもないのだろうが、今回は獲物が獲物でもあるし――何よりも人の目を引きつけているのは、解体作業に没頭する人物。
解体作業は見た目以上に体力を使う。そのため小さく切り分けられた部位毎の処理ならばまだしも、その切り出しは大抵体力のある男性が行う事が多い。
しかし今現在その最も体力を使うはずの作業に没頭しているのは、見た目に幼さのを残す少女。この集落の人間でない事も相まって、村人達からの注目を集めていた。
予想に違わない光景に、長達との会話の中で沈めたはずの衝動が復活してくる。まったく、本当にこいつは、どうしてこうも予想通りというか逞しい限りと言うべきか……
「あ、狼お帰りー。どうだった?」
と、オレの姿に気づいたのだろう。解体作業を見学していた内の一人が声を掛けてきた。……って、
「お帰りー、じゃねぇよ。おまえなぁ、少しはあいつを手伝うとかしろよ……」
「え、だってシロウトが手を出すと邪魔だしさ。風もそう言ってたし。それにここのおじさんおばさん達からもね、旅で疲れてるだろうから子供はゆっくり遊んできなさいって」
「オイおまえ成人してんだろ、一応」
「ホント、しつれーだよねー」
「ていうか一応言うな。ぼくはれっきとした十四だよ」といつものようにぶーたれる海の姿に、頭痛を覚えるのははたしてオレだけだろうか……
十にもならない子供といわれても通じるだろう小柄な体、海原を思わせる深い青の瞳はやはり子供っぽく大きな物で、好奇心というかいたずら好きそうな光を宿している。同じ色の髪は三つ編みにまとめられ、海の背中でまるで好奇心旺盛なネコの尾のようにひょこひょこはねる。
……うん、どう見てもガキだ。これで成人してる――つーかオレと一つ違いって言うんだから、世の中なかなかに広いというかなんというか。
つかアレだ、下手したら海の見た目だと、オレが旅を始めた頃と同じくらいの年――つってもまだ納得できるんだよなぁ……
確かもう、あれから結構経ってるから……などと半ば現実逃避気味な思考を巡らせてしまう。
「で、結局交渉の方はどうだったのさ?」
「あー、まぁなんだ、ぼちぼち?」
「なんで疑問系かなぁ」
適当な答えに気分を害した様子もなく、海はけらけらと笑う。
交渉がうまく行くのは、海にも予想できた事だったんだろう。……まあ、それも当然っちゃ当然なんだ……
「あれ、狼? もうそっちの話、終わったの?」
と、そんなオレ達に声を掛けてきたのが一人……って、オイ。
「もういいのか風? つーかおまえ、少しは身なりに気を使えとあれほど」
「へ?」
そこにいた人物の姿を認め、呆れた声を上げるオレに対し、風はきょとんと首を傾げる。
細かい事に五月蠅いとか女々しいとか言うなかれ――何しろ今現在の風の格好ってのが、うんまぁ、何だ、その。
「……服、変えてこなくていいのか?」
と、今までオレ達の会話には入らず、ただ側で静かに聞いていた長身の男――黒が疑問を投げた。
普段あまり積極的に会話をするタイプではない黒が指摘するほどに、今現在の風の格好はアレなのだ。
女性らしい丸みを帯び始めてはいるモノの、平坦な体にまとうのは動きやすそうな簡素な服、伸ばした髪はつむじでポニーテールにまとめ上げる。ここまでは良い。まったく持って普通だ。……多分。
問題は、その服やら手やらを汚しているモノ――血。
つい今し方まで鼻歌を歌いながら解体作業に没頭していただけあって、風の至る所には返り血が付着している。とは言ってももちろん、予めある程度血抜きしてあるのでべったりと吹き出した返り血を浴びたという程ではないのだけれど。
とりあえずまぁ、普通じゃねぇよなぁ……。風の外見は絶世の、とは行かないまでもそこそこ見目のいい部類に入るので、なまじ見れるだけにその姿はシュールの一言だ。この格好のまま町中を歩いていたら、間違いなく何があったのかと呼び止められるレベルだ。
つい先ほどまで作用をしていたんだから、多少の汚れなど気にするなと言われそうだが、そこまで長い付き合いではないモノのこいつは普段からこんな調子なのだ。いい加減、少しは身なりに気を仕えとも言いたくなるっつーモノだろう。
「んー? だってまだ作業終わってないから。また手伝うことになったら、まーた汚れちゃうでしょ?」
「そりゃ合理的で……って、終わってねぇのに抜けてきていいワケ?」
「疲れただろうから、休憩してきていいよって言われたわよ?」
オレの疑問に、心底不思議そうに風は返す。
「それ、遠回しにもう上がっていいって言われたんじゃないかな?」
「あがる?」
「あー、仕事終わっていいよってコト」
「え、だってまだ終わってないわよ?」
風が言うとおり。広場の真ん中に吊されていたクマの死骸は今は地面に下ろされてはいるモノの、その体はまだ半分くらい残っている。村の男集がその体を解体しているので、もう間もなく作業は終わるだろうと思われるけれど。
……逆に言うと、半分くらいこいつ一人で解体したってコトになるんだよなぁ。
何ともまぁ、生活能力に溢れた――というか溢れすぎてダダ漏れになっている風の能力っぷりに、改めてため息しか出てこない。
「何溜め息付いてるのよ? ……あ、もしかして交渉、うまく行かなかったとか?」
「いーや、そっちは怖いくらいすんなりいったって」
「じゃあ、なんでそんな辛気くさい顔してるのよ?」
心底理解できない、といった顔の風を適当に流す。元凶殿が何をぬかす、と言ってやりたいところだが、言ったところでこいつには理解できねぇんだろう、そんな確信がある。
あまり長くはないとは言え、かれこれおおよそ一月くらい顔をつき合わせていればお互い大体のコトはわかる。黒は積極的に会話に加わわらねぇし海は手の着けられないイタズラ坊主、じゃあ風はなんと例えるかというと――まあ、その田舎者と言うべきか世間知らずって言うべきか常識欠如者っつうべきか……
……うん、ろくな例えがねぇ。
いったいどういう環境で過ごしてきたのか知らねぇけど、風は常識とか普通ならそうするだろうっつぅ予測が当てはまらない。いや普通やらねぇだろってコトをあえてやらかすのは他にもいるが、風のはなぁーんかその気も無しにやらかしてるように思えるんだよなぁ……
言動を見ている限り、どうにも風なりのやり方なり決まりなりがあるようだが、その悉くがずれているっつうか明後日の方向に突き抜けてるっつうか……
特にそう、周りの目だとか周囲の人間との折り合いだのとか言うトコロは致命的だ。
一体全体、どういう生活してればこんな人間に育つのか……正直頭がイタイ話だ。
「まぁいろいろと……な」
「そうそう、あれだけあるんだから、今回の交渉が失敗するはずないんだよ。楽なもんだった、よね?」
「?」
言葉を濁すオレとは対象に、楽しそうな海の言葉。対照的なオレ達の姿に、風は首を傾げる。
海の方に視線を向ければ、イタズラ坊主はそ知らぬ顔。……ってオイ、にゃろう説明人任せかよ。
「あー……何だ、おまえあのクマ狩ってここの住人に渡したろ?」
「うん」
旅の道中、偶然鉢合わせしたクマ。冬眠開けで腹を空かせ、食料を求めていたクマは当然のようにオレ達を襲おうとした。が、まぁモノの見事に風によって返り討ちになった。
で、狩りに出ていたこの集落の猟師連中が物音を聞きつけてやってきて、集落に来ないかって話になったわけだが――
「春先で冬眠開けのクマは腹を空かしてる。だから普段はあんまよりつかねぇ人里付近まで降りてくる事もある。だから春先に猟師は人里に近づいてきそうなクマを狩る。ついでにいや、新鮮な肉が手に入る。そんなわけで積極的に狩りに出るわけだ。けど、クマ狩りってのは結構危険が多いんだよ」
何せあの巨体のくせに、案外足音をたてないし頭もいいので人の行動を先読みするところがある。ちゃっちゃな罠にはかからないどころか、そこから人の足跡をたどって人里の位置を把握することだってあると言われるほどだ。
つまりはまぁ、クマ狩りはしなきゃならねぇ事なんだが、狩るのは苦労も危険も多い。毎年一人や二人の犠牲者は出る。
とまぁ、こんな事はオレなんかよりも猟師やってる風の方がよくわかってるだろうけどな。
「で、お前はそれを代わりに狩っただけじゃなく、肉や皮もちょっとしかいらねって残りは全部集落に渡すって言ったろ?」
「うん。だって、食べきれないでしょ?」
「……マァ、そーなんだが……。普通は売りつけるなりなんなりすんだよ、普通は。それも無しに融通したんだぜ? そんな相手からぼったりするなんざ、よっぽどがめつい人間でもなきゃんなことはしねぇってハナシな」
「へー……」
わかっているのかわかっていないのか。
頷いた風はしばしなにやら考え込み、それからじゃあと口を開く。
「なら、クマを見つけたら遠慮なく狩っても良いのね」
「いや、何でンな結論?!」
「っていうかさー、風が言うと洒落にならないよね、それ」
「………」
茶化す海と、わずかながらも頷き同意を示す黒。
「なにそれ? どういう意味よ?」
「どういう意味も何も、平生往生って言うか自業自得っつぅか……。なぁ?」
何せ今回のクマをしとめた時も、ご丁寧に風下から接近してきたクマをいち早く発見し、相手に気取られる事なく弓を射掛けて一方的に狩った光景は記憶に新しい。
あの勢いで本気を出そう日にゃ、一帯の種を刈り尽くすんじゃね……? そんな冗談のような光景さえ、冗談ではすまないような気がしてくるのだ。
アレはもはや人間業じゃねぇって。自覚はないのかこいつは……
「それに、この集落はクマ狩っても問題なかったけどなぁ……集落によっちゃ風習が違うからな。禁猟区だの狩る事そのものを禁止して、逆に神使として崇めてる動物だのがあるんだよ。んなモン下手に狩ったら歓迎どころか逆に神使を傷つけた不届き者っつって睨まれるか、最悪攻撃されるっての」
「そうなの?」
「うんー」
オレの言葉に、風は海達に確認を取った。……って、オイ。何で他人に確認を取る? オレは嘘なんかつかねっての。……むしろ海の方がハナシを誇張する確率が高いだろうがっ。
「何でそんな面倒なコトするのかしら……?」
「理由はいろいろあっけど、大本は……ほら、人じゃないとは言え自分と同じ《変化》の相手を殺すだの食うだの、やっぱ抵抗あるだろ?」
「え?」
「……え?」
「え……や、だってほら動きが遅いし、鳥にしては大きさの割に肉が多いから……ね?」
「………」
「あ、あはははは」
気まずい沈黙に、風は居心地が悪そうに頬を掻く。
「ねー風、それって共食いなんじゃ……」
「共食いって何よ共食いって?! 嫌ねぇ、だって動物は動物、人の《変化》は《変化》でしょ?」
「だとしても、フツー少しは抵抗あるだろうが……」
どうしよう、こいつマジで野生児。
改めて思い知った風の野生児っぷりに、いったいどう反応して良いのやら。疲れた溜め息をこぼすオレを前に、風はますますばつが悪そうにそっぽを向く。
オレ達がそんなたわいもない、いつもと変わらないやり取りをやっている間にも集落の住人達の手でクマの解体は終わり、女集の手によって宴会料理へと調理されていった。