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王が再び彼女のいる教会に赴くのに、二ヶ月近くを要した。
王は教会へ着くと、司祭長と猊下への挨拶もそこそこに、シアの許へ行こうとした。
「ハミル王」
しかし、案の定、立ちはだかったのが猊下。文字通り自ら王の進路をふさぐ位置に移動してくる。
ただし、それも計算の内である。王は伴ってきた職人頭と大聖堂の会計係を、自分の前に押し出した。
「こちらがお約束のものです。どうぞ中身を検められよ」
うやうやしく美麗なトレイに山と載せられた書類も、応接机の上に用意させる。それから、猊下が口を開く前に、司祭長に話しかけた。
「ところで司祭長、子供たちに贈り物を持ってきたのだが、彼らには会えようか?」
「ええ、もちろんです。ただ、大変失礼とは存じますが、教育上の問題もございますので、何を持っていらしたか教えてもらえましょうか?」
柔和に笑っているが、相変わらず頑として引かない老女であった。それも織り込み済みの王は、品良く笑んでから答えた。
「子供用の聖書だ。いつも彼らが神と共にあれるようにと思ってな」
「ああ、なんと素晴らしい贈り物でしょう。英明なる王に、神の祝福のあらんことを」
司祭長は感動の面持ちで指を組んで神の慈悲を願うと、猊下へと向いた。
「さっそく子供たちに届けてやりたいのですが、王をご案内してもよろしいですか?」
「そうですね。そうしてさしあげなさい」
猊下は穏やかに、案外あっさりと引き下がった。もう少しごねられると覚悟していた王は、拍子抜けした。
が、それがどうしてだったのか、彼はすぐに思い知ることになる。
昼下がりのこの時間、なんとなれば、子供たちはお昼寝に突入するところだったのである。
「申し訳ございません。喜びのあまり失念しておりました」
司祭長は子供部屋の扉の前で、心底申し訳なさそうに謝った。
「よい。中には入れるか?」
「すみませんが、ご遠慮願えましょうか。疲れてうとうとはしても、寝付けない子もおりますので。ここできちんと休めないと、午後中ひどくぐずることになるのです」
だから、彼女は寝かしつけに付ききりなわけだ。
それでも王は、どうしても彼女の姿を見たかった。
「邪魔はしない。私は足音も気配も消せる。様子を見たいだけだ。中に入らせてもらう」
己の意思を宣言すると、司祭長はいつかのように、じっと王を観察した。やがて、温かい目で、扉の前を譲る。
「わかりました。どうぞお入りください」
王は護衛から聖書の入った包みを受け取って、一人でそっと部屋に入った。
それほど広くない部屋の半分ほどに、床に直接マットレスが設えてあった。その中央で、彼女は小声で子守唄を歌っていた。
子供たちは彼女を中心に、寄り添いあって横になっている。彼女の両手は二人の子供の背中に当てられ、とん、とん、と、ゆっくりと拍子をとっていた。
まるで一幅の絵だった。守護天使と、それに守られて眠る子供たち。そこには、一つの冒しがたい平穏があった。
王はそのまま、近くの壁際の床に腰を下ろした。
彼女に会って、言葉を交わして、その手をとって、その瞳の中に自分を映しこんで、彼女の中に自分を確かに刻み込まなければ、この飢えにも似た感覚は消えないと思っていた。
でも、違った。いや、今もそうしたいという欲望はある。けれどそれ以上に、こうしている彼女を、そのままに守りたいという思いが、熱く、強く、胸を満たしていた。
王の胸の中に、情熱的でありながら、静かで深い幸せが広がる。彼女という存在が、とても高次にある神聖な何かを、彼の中に呼び起こしていた。
彼はこの時、慈悲というものを本当に知ったのかもしれなかった。
王は、彼女に気付かれることもないままに、飽きることなく彼女を見つめ続けた。
そうして、優しく心地良い声に耳を傾けているうちに、彼自身も眠りの中に落ちていったのだった。




