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Sweet&Bitter  作者: みずの
嘘は罪
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「ライブ?」

 艶やかな布を針で器用に縫いながら、智子が聞き返した。ある日の放課後、チャイナドレスを茜の指導の下で作っている最中だ。クラスの女子の多数が参加していて、自分の分と担当になった男子の分と一人2着ずつ縫う。教室の隅の方で皆と離れた位置にいた私と智子は、声のトーンを落として話をしていた。



「そう、ライブ」

 メグミさんから誘われた例のライブが、あと2日に迫っていた。もちろん彼女からはあの後すぐに時間と場所を知らせるメールが送られてきている。ただ、即答で行くとは返事をできずに保留にさせてもらっていた。「気が向けばきてくれればいいよ」とだけ言ってもらえたのがせめてもの救いだ。



「行けばいいじゃん、行きたいんでしょ?」

 すいすいと布を縫い合わせていく智子と対照的に、私はまず糸を針に通すところで苦戦していた。ちょうど通りかかった茜が苦笑い気味に手伝ってくれなかったら、きっとそれだけの作業に何十分も費やしたんじゃないかと思う。

「そうなんだけど…でも、先生は嫌かもしれないし…」

「別に関係ないじゃん。本城のためじゃなくてそのメグミさんが誘ってくれたから行くってことでさ」

「そうだけど…」

 でも、もし先生に露骨に迷惑そうな顔をされたりしたらかなり本気でへこむと思う。



「じゃあ本人に聞いてみれば? 行ってもいいかって」

「…聞けるわけないよ…そりゃ一度は聞こうかとも思ったけど…」

 智子より遥かに遅いスピードで縫い始めた私は、何度も指を刺しそうになった。…今の時期どこのクラスも衣装縫いに必死で、ミシンが使えないのが痛い。まぁそもそも、ミシンが使えたとしてもだからと言って私が器用にチャイナドレスを完成させられるわけはないけれど。



「和美はどうしたいのよ」

 半ば吐息まじりに、智子がそう呟いた。どう言われても「でも」とか「だけど」ばかりを返す私に呆れたのかもしれない。

「…どうって………どうしよう」

「何それ」

 そこで苦笑い気味に、智子がプッと吹き出した。だけどそれから、ふと真剣な表情に戻る。



「和美はさ、もうちょっと自分のしたいようにするべきだと思うよ」

 そんな言葉を紡ぐものだから、私は少し面食らったように目を見開いた。手を止めて、思わず智子の顔をマジマジと見つめてしまう。



「行きたいなら行けばいいし、聞きたいことは聞けばいい。実は、和美が本城のこと忘れようと頑張ってたから言わなかったけど…私はそもそも、必死に忘れる必要なんてないと思う」

「……え?」

「だって、そうでしょ? 忘れようと頑張ってるうちは、絶対忘れることなんてできない。それに、別れたからってすぐに嫌いにならなきゃいけないわけじゃないじゃん」

「……」

 智子の言葉は目から鱗のようなもので、私は見開いた目で見据える。その正面からの眼差しに再び苦笑いを浮かべて、智子は手際よく縫っていた布の方向を変えた。



 智子たちに、先生とどうして別れることになったのかを話せたのはつい最近のことだった。それまで黙って待っていてくれていた3人は、私が話したいきさつを落ち着いて聞いてくれたものだ。由実は聞き終えた後には本城先生に対して怒っていたけれど、そう言えば意外にも智子は何も言わなかったっけ。



「私、和美の言うことはもちろん信じてるけど…どうしても本城が何も考えなしに元彼女のところへ行ったとは思えないんだよね」

 話の方向性を少し改めるように、智子は続ける。

「私さぁ、裕貴との付き合いはそれなりに順調なまま来てるでしょ? だからか、周りのカップルを羨ましいと思ったこととかなかったんだけどさ。でも、本城と和美が一緒にいるの見た時は…『あぁなんかいいなぁ、この2人』って漠然とだけど思ってた」

 初めて語られるその智子の言葉に、私はまた目を瞠る。まさか、そんな風に思ってもらっているとは考えたこともなかったから。

「だから、そんな2人がこんな別れ方をするのは納得いかないっていうか…。和美の話を聞いただけだと分からない、何かがあるんだと思う。本城がそんなことで和美を裏切るわけない」

 断言するように言い切って、智子はそこでようやく針を置く。顔を上げてまっすぐに私を見据えた。その時にはもう苦笑いは口元から消えていた。



「あと、私が言うとキツイ言い方になるかもしれないと思ったから言わなかったことがあるんだけど…」

「…何?」

 恐る恐る聞き返すと、智子は目を逸らさないまま声のトーンをもう一段階落とした。

「和美の辛い気持ちは分かる。…でも、和美は本城の気持ちを考えたことがある?」

「……え…?」

 問われた意味が分からずに、私はただ間の抜けたような声を返すことしかできなかった。



「普通に考えたらそりゃ腹が立つよ。泣いてる自分を置いて元彼女のところに行かれたんだからね。でも、逆に考えたことある? 好きな子を置いてでも行かなきゃいけなかったとしたら?」

「……それは…単に先生が…」

 結果的に、私より由香子さんの方が大事だと思っただけだとしたら?逆に聞き返したかったけれど、うまく言葉にはならなかった。だけど智子には伝わったようだ。

「本城が由香子さんのところに行ったのは、単純に和美より由香子さんの方が好きだからだとは限らないでしょ」

「…でも…っ」

 そうだとしたら、どうして行ってしまったのか。それ以外の理由なんて私にはどうしたって思いつかないんだ。



「和美だったら、どう?」

「……私…?」

「そう。本城のことが大好きだけど、成川先生につきまとわれて、『来てくれなきゃ死んでやる』って言われたら」

「……それは…っ」

「『勝手に死ね』って思う? 自分には全く関係ない、って?」

 そこで蓮くんを出す意味について反論しかけたけれど、それこそ無意味だと気づいて言葉を飲み込んだ。言われた言葉の内容を考えることの方が重要に思えたからだ。



「和美だったら、そこまで成川先生を追い詰めたのが自分だと思ったら余計に放っておけないんじゃないの?」

「………」

「本城がそう思ったかどうかは知らないよ? だけど、一つの例ってこと。和美はもっと相手の立場に立って考えてあげた方がいいと思う。普段は私や茜や由実が傷ついてる時には必要以上に気持ちを分かってくれるくらい優しいのに、どうして本城のことだけは向こうの気持ちになって考えてあげられないのよ」

 最後は責める口調ではなく、半ばからかうように言われた。だけどだからこそ…私の胸に突き刺さるには十分だった。



 私…そんなに自分本位だった?



 だけど、覚えは確かにあるんだ。

 由香子さんのところから帰ってきた先生が『話したいことがある』と言ったのに、聞かなかったのは自分。それは、先生の気持ちや考えなんて理解することすら放棄したから。



「…っ」

 気づいて思わず絶句した私の手は、もうとっくに止まっていた。智子はそれを見据えてから、もう一度柔らかく笑う。

「だから、聞きたいことは聞いてみなって。知りたいことは聞いて理解すればいいんだよ。聞いて嫌そうな顔されるなら、それまでの男だって見限りな」

「……」

 彼女なりの励ましなのだろう。最後にポンと肩を叩くと、智子は立ち上がって次の指示を仰ぎに茜の元へと行った。



 取り残された私は、ギュッと布を握り締める。ただ智子に言われた言葉の意味ばかりを、頭の中で必死に考えようとしていた。




******



 居残って作業を始めて、どれくらいたっただろう。気づくと窓の外は真っ暗で、もう既に教室には数人しか残っていなかった。元々裁縫が得意ではないのに、考え事をしながらだったので大して私の作業は進んでいない。茜は用事があるので先に帰ってしまったけれど、智子は最後まで私に付き合ってくれていた。



「こら、まだやってんの?」

 不意に教室のドアが開いて、そんな声が降ってくる。その言葉に顔を上げると同時に、別の場所にいた女子4人が「きゃあ」と黄色い声を上げた。

「も、もうすぐ帰るところですー」

 ドアのところに立ってこちらを見ている蓮くんにそう返事をした女子たちの、目の色が違う。教室に残っていたのはそんな彼女たちと私と智子だけだった。



「下校チャイムなっただろ? 早く帰りなさい」

 どうやら蓮くんは今日の見回り当番らしい。本当なら文化祭の準備で下校チャイム以降に残っていると相当怒られる。それでもチャイムが鳴ったことにも気づかなかったらしい私たちに、蓮くんはそれ以上お説教するつもりもないようだ。



「えーでもこんなに外が真っ暗になってるなんて思わなかったー」

 黙々と片付け始めた私と智子とは真逆に、彼女たちは口々にそんなことを言い出す。

「せんせー、うちらのこと車で送ってくださいよー」

 甘えるような声に、蓮くんは吐息まじりに苦笑いを浮かべた。

「何言ってんだ。ほら、早く帰りなさい」

「え、先生知らないの!? 最近この辺、変質者が出るって噂があるんだからー」

 蓮くんの反応に尚も甘えて縋りつこうとする声に、智子が「だったらさっさと帰れば良かったんじゃん」とボソリと呟いた。思わず慌てて、私は智子に向けて「しぃっ」と人差し指を口元に立ててみせる。



「俺の車に全員は乗れないからダメ」

 教室のドア枠に手をかけた態勢で、蓮くんはそう応じた。それは…どうやら私と智子を頭数に数えたからのようだ。そんな言葉に、彼女たちがこちらを振り返る。……うぅ、私たちがいなかったら車に乗れたのにとか思われるのかと考えるといたたまれない。



 だけど、その時だった。

「何やってんだ、まだ残ってんのかお前ら」

 蓮くんの後ろから、更に背の高いシルエットが覗く。白衣を着た本城先生が、教室内を見渡して言った。

「あーユッキー! ちょうど良かったー」

 そんな本城先生に、例の女子たちが声をかける。



「遅くなって帰り道怖いから車に乗せてって成川先生に頼んでんだけどさぁ」

「全員乗れないからダメって言われたとこだったんだー。だからユッキー、智子と和美乗せてってあげてよー」

「え!!?」

 そんな彼女たちの言葉に、思わず大声を上げたのは私だけだった。本城先生は眉を顰めただけだ。驚く代わりに「じゃあさっさと帰りゃ良かっただろうが」と智子と同じことを呟く。だけどそんな本城先生の反応も、彼女たちは気にしないらしい。

「ねぇ成川せんせー、それならいいんでしょー?」

「…え? …あ、あぁ…まぁ…」

 一部の生徒だけを特別扱いしなければいい。彼女たちはそう判断したらしい。蓮くんもその勢いに強く断れず、思わずと言った感じに曖昧に頷く。彼はそのまま申し訳なさそうに本城先生を仰ぎ見たけれど、智子が何食わぬ顔で「じゃあ本城、よろしくー」と言ったものだから先生に選択権はなくなってしまったようだ。



 どうやら彼女たちは、どうしても蓮くんの車に乗せてもらいたかったようだ。

「おかげでイイとばっちりだよ。…ま、でも和美にはチャンスか」

 車を取りに行くという先生たちと別れ、あの子たちよりも先に教室を出たところで智子がそう呟いた。

「せっかくだから、聞きたいことは聞きなよ」

 念を押すように言って、智子は私の背中を送り出すかのようにポンと叩いた。





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