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Sweet&Bitter  作者: みずの
嘘は罪
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99/152


 予鈴が鳴る前に、屋上から教室へ戻る。廊下を歩いている時に、由実がさっきの話題を再び振った。

「それにしても今年の生徒会はどうしちゃったんだかね、そんなイベント持ち出すなんて」

「確かに盛り上がるだろうけど、一部の生徒はイイ迷惑だろうね」

 智子もそう同調して、苦笑を漏らす。



「もっとさぁ、なんか全員が楽しめるイベントが必要だと思うわけよ」

 力いっぱい言う由実に、智子が少し冷たい目をする。

「あんた、名取先生がダメだったら他に誘う男がいないから拗ねてるだけでしょ」

「…う…だって、誘われない男子も可哀相だけど誘う相手のいない女子も可哀相じゃん」

 まだ恋愛にそれほど興味がないらしい由実には、確かに迷惑なイベントに違いないだろう。タイミングさえあえばなっちゃんなら誰のものでも受け取ってくれそうだけれど、こればかりは早い者勝ちだろうから由実でも厳しいかもしれない。



「あぁーやっぱりなっちゃんのクラスが良かったなぁ。なっちゃんならチャイナドレスだって快く着てくれただろうし」

「…それはどうだろう…」

 想像してみるとちょっと怖い。笑顔でノリノリで女装するなっちゃんなんて…。でも、確かにテンション的にはありえないこともないように思う。

「ユキサダ、本気でノリ悪いんだもん。男ならチャイナドレスの一つや二つためいらいなく着ろっつーの」

「男だから着ねぇんだろ、普通」

 悪態をつく由実の後ろから降ってきた声に、私たちは同時にギョッと目を見開いて振り返った。そこにいたのは本城先生本人で、目を細めてこちらを睨むように見下ろしている。

「…あは、聞いてた? ユキサダ」

「お前声がでけぇんだよ」

 言いながらも先生は、特に怒った様子はない。由実のこういうところには慣れているんだろう。化学の教科書と問題集を片手に、もう片方の手は白衣のポケットに突っ込んだまま私たちをスッと追い抜く。…そういえば、次の5限は化学だったっけ。



「…あぁ、白石」

 ふと先を行きかけた先生が、振り返る。「はい?」と返事をした私は、少しだけ背筋を伸ばした。まさか個人的に声をかけられるとは思ってなかったから。

「放課後、用事がなかったら化学準備室に来い」

「…はい……?」

 確かに今日は部活もないけれど、呼ばれるようなことを何かしただろうか…。首を捻りながらも返事をすると、由実が私の腕をぎゅっと抱きしめるようにして唇を尖らせながら先生を見上げた。

「ちょっとユキサダ、うちの子に密室で何するつもりよ」

 これが由実のノリなのか、さっきの柴田くんに向けたものと同じようなセリフを口にする。…ただ、由実に他意はないのは分かるけれど今回はその相手が先生だからシャレにならない。


「バカか、お前」

 呆れたように先生が肩越しに振り返った態勢のまま言った。

「雑用頼むだけだ。この前こいつ当番の仕事サボったから」

 …あぁ、そうか。雑用…。それ以外で呼ばれる用なんてないはずなのに、一瞬緊張した自分がバカみたいだ。

「来れるか、白石」

「あ! はい、行きます」

 再度確認されて、私は今度は即答した。それに軽く頷いただけで、先生はそのまま先を歩いていく。



「…結構普通だね、あんたら」

 智子がその後ろ姿を見送りながら、呟いた。

「……うん…」

 答えながらも、私は思う。それはきっと先生が大人だからだ。気まずさを感じていた私にも、普通に話しかけてくれるから。それもこれも、あの時のあのメールというきっかけがなければもっと難しかったかもしれない。

「…でも、別れて以来二人きりは初めてだよ」

 放課後の準備室、相当緊張するに違いない。それを思うと自然とため息が零れた。




******



 部活のない日の教科棟は静かなものだ。特にうちの化学部のように他の理系の部活動も毎日活動するわけではないので、今日はしんと静まり返っていた。こうも静かだと、自分が何かをするだけでその音が響く気がする。心臓の音すら室内に響いてしまっているんじゃないかと思う。



「そこの棚の資料、順番に並べ直してあっちの棚に移動させてくれ」

 淡々と指示する先生は、私のように緊張している素振りすらない。「はい」と短く模範的に返事をすると、私は先生が示した棚を振り返った。それから、「うっ」と言葉に詰まる。それくらいそこの資料が膨大だったからだ。順番に整理するだけでも時間がかかりそう…。



「先生、これ私一人でやるんですか…?」

「当番忘れたの誰だっけ」

「…やります」

 さらっと返した先生は、肩を落として観念した私を見て少しだけおかしそうに笑った。諦めた私はすぐにその棚の扉を開き、大量の資料とファイルに対峙する。「よしっ」と気合を入れると、手近のファイルからまず机の上に並べることにした。



 先生はその間、他の仕事があるらしく机のパソコンに向かっていた。よく見ていたはずの光景が、なんだか懐かしく思える。いつも勝手に自分の席のように先生の近くの椅子に座り、仕事をする先生の傍らで何かを話しかけていたっけ。仕事中だっていうのに一度も迷惑そうにしなかった先生の表情すら、今でもはっきりと思いだせる。…なのに、今では何だか遠く感じる。別れたのだから当たり前だけれど…。



 資料を整理するのに苦戦しながらも、何度かチラチラと先生を盗み見てしまう。そのたびに、自分がまだ全く諦められていないことを実感させられた。パソコンのキーボードを打つ長い指や、画面を見据える真剣な目を見つめれば片想いをしている時のように胸が高鳴った。



 …先生は、一度もこちらを見ない。気にする素振りすらなく、パソコンとすぐ傍の資料を交互に見比べるだけ。




 そういえば…先生、煙草吸わなくなったのかな。準備室ではいつも吸っていた気がするけれど、今日は箱すら机の上に出していない。


 別れてまだたった一ヶ月ちょっとなのに、それまで一緒にいたはずの人のこともこれだけ分からなくなるんだなと思った。




「…先生、そういえば怪我はどうですか?」

 長い長い沈黙の後、私はそう恐る恐る声をかけた。パソコンを見据えたままの先生が、顔も上げないまま答える。

「あれから3週間だぞ。いい加減治ってるよ」

「…そうですか…」

「まだ気にしてんだったら雑用増やしてやろうか」

「えぇ!? いいえ! 結構です…!!」

 恐らく私にそれ以上気にさせないように言っただけの言葉のはずだけれど、私はこの目の前の資料が更に増えるのかと思うと眩暈がして慌てて首を横に振った。それに微かに笑った先生が、立ち上がる。パソコンから打ち出した資料を取るために、私のすぐ傍にあるプリンタの前に立った。



 …そう、先生はこういう人だったはずだ。こちらに気を遣わせないように、嫌味っぽい軽口を叩くような人。そういうところが好きだったから、別れる直前や直後のようなありきたりな優しさを見せられると胸が痛んだ。今のような関係の方が、自然で嬉しいとさえ思う。



「…っと…」

 一番上の段にある資料を取り出そうと、私はそこで思い切り背伸びをした。少し高い位置だけれど、170センチある私なら何とか届きそうだ。そう思ったけれど、そこにある資料はびっちりと詰まっていて簡単には引きぬけそうになかった。

「きゃ…!!」

 思い切りひっぱると、その反動で後ろへ倒れそうになる。



「!」

 よろけたところを、そこにいた先生が手を伸ばして支えてくれる。グッと肩の辺りを後ろから掴まれて、私は何とか倒れこまずにすんだ。あのままだときっと後ろにある机で頭を打っていたに違いない。

ただ、勢いよく抜かれた一つの資料をきっかけに、棚からそのうちのいくつもがバサバサと無情に雪崩落ちた。

「す、すみません…!」

 慌てて支えられた状態から体を起こした私は、咄嗟にそう謝る。

「横着すんな、ちゃんと台使え」

 後ろにある脚立代わりの台を指して、先生は吐息まじりに言って私から手を離した。そしてそのまま、床に散らばった資料を拾うためにその場にかがむ。それを見て自分も急いで拾おうとしたけれど、先生が片手で制した。

「俺がやるからいい」

「でも…!」

 役立たずだと判断されたということだろうか。思わず声を上げたけれど、先生はもう片方の手でポケットから小銭を取り出した。そしてそのまま、私に握らせる。

「ここはいいからコーヒー買ってきてくれ」

「…コーヒー?」

「コーヒーメーカーぶっ壊れたんだ。お前でもそれくらいできるだろ」

 笑いながら言われて、やっぱり役立たずだと思われたらしいことを悟る。こうなるともう雑用でもなんでもなくただのパシリだと思うのだけど、自分がドジをしたせいなので文句も言えない。

「…行ってきます」

「おう」

 それっきり資料を拾うことに専念して顔を上げなかった先生に苦い表情で声をかけて、私はその部屋を後にした。




 ドアを閉めたところで、ずず、とそのまま力なく壁にもたれる。後ろから支えられた時に胸が緊張で震えたせいか、その緊迫感から解き放たれて脱力した。


 先生が触れた、肩が熱い。大きな手のひらの感触を思い出すだけで顔まで赤くなりそうだった。




 蓮くんに、前に触れられた時は背筋すら凍りそうなほど冷たい感覚だったのに…。



 先生の指は、触れる箇所から熱くなる。




「…コーヒー買ってこよ」

 もしかしたら、先生はそれが分かったから私を準備室から追い出してくれたんだろうか。そうだとしたら尚更赤面ものだったけれど、助かったのも事実だった。



 握らされた小銭は、明らかに私の分まで含まれていた。だからそれに甘えて、自販機の前でミルクティーも購入する。そうしてコーヒーと紅茶を胸に抱えたところで、スカートのポケットに入れていた携帯が鳴ったことに気づいた。慌てて出すと、それはメールではなくて通話着信を知らせて振動していた。



 開くと、そこにあった名前はあのジャズバーに通っていた時に仲良くしてもらっていたメグミさんだった。番号を交換してはいたけれど、電話をしたことはない。メールですら数回程度だ。そんな彼女が、先生とも別れてしまった今私に何の用があるのかは見当もつかなかった。



「はい」

 コーヒーと紅茶を片手に抱えなおして、私は電話に出る。校内で堂々と喋っていたら怒られるかもしれないけれど、幸い今は静まり返ったここは先生たちもなかなか通らないだろう。



『和美ちゃん? 久しぶり』

 第一声に明るい声で、メグミさんはそう挨拶をした。



 メグミさんの用件は、来週の週末、夜に行われるビッグバンドの演奏を見に来ないかというものだった。彼女がアルトサックスでビッグバンドに参加していることは前々から聞いていた。ケイコさんもボーカルとしてゲスト参加したことがあるらしいし、興味があったのも事実だ。本来なら二つ返事で行くと言いたいところだったけれど、メグミさんが継いだ言葉が私を躊躇わせる。

『ユキもピアノで参加するから、おいでよ』

 その一言で、思わず返事に詰まってしまった。



「…メグミさん、私もう先生とは…」

『うん、聞いてる。別れたんでしょ? でも和美ちゃん、それを抜きにしてもビッグバンド見たいって前から言ってなかった?』

「…それは…そうなんですけど…」

 見たい気持ちはもちろんある。メグミさんのバンドなんだから尚更だ。…いや、それ以前に、本当は先生がピアノを弾く姿を見たい。



「でも、先生が困ると思うし…」

『そんなことないんじゃない? ユキに和美ちゃん誘っていいか聞いたら「いい」って言ってたし』

「…え…?」

 意外な言葉に、私は思わず目を見開いた。

『とにかくおいでよ、ね? 後で時間と場所メールするから』

「え、メグミさん…!」

『じゃーね、待ってるね』

 有無を言わさぬ口調で、メグミさんは楽しそうに笑うとそのまま通話を終わらせてしまう。



「……」

 困った顔でしばらく携帯を眺めた私は、やがて吐息まじりにそれをしまった。そして来た道を戻る。再び訪れた化学準備室では、落とした資料を先生がすっかり拾い上げてくれたところだった。



「…先生」

 呼びかけると、先生はコーヒーのことだと思ったのか「あぁ」と小さく言うと手を差し出した。それに買ってきたばかりの缶を手渡して、私はしばらくそのまま立ち尽くしてしまう。

「? どうした?」

 動かない私を不思議そうに見つめてから、先生はそう尋ねた。その声に我に返って、私は慌てて「いいえ」と首を横に振る。



 ビッグバンドの件を、聞いてみようかとも思った。本当に私が見に行ってもいいのかを。迷惑じゃないのか、先生は嫌じゃないのかと…。


 

 だけど、何となく予感がした。メグミさんのことだ。確かに彼女は先生に私を誘っていいか尋ねたかもしれない。でもそれに対する先生の返事は、「いい」という意味合いよりは「どうでもいい」とか「勝手にしろ」とか、その程度の意味じゃないか、と。



「何でもないです。あ、紅茶買っちゃいました。ありがとうございます」

 微かに笑ってそう取り繕うように言うと、先生は小さく首を傾げた後で「あぁ」と短く返事をしただけだった。






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